木下優樹菜さんのタピオカ騒動の話


どうもしっくり来てないのは私だけ?

木下優樹菜さんがタピオカ屋店主をLINEで恫喝した事件の話です。

この騒動、もちろん、木下さんの恫喝は論外ですし、非難されてしかるべきものなのですが、少し報道の仕方や世間の捉え方に違和感があります。

私は個人的には、恫喝LINEはさておき、事の経緯として木下さんが怒ったというかブチギレたのは理解できるし、その一方で、タピオカ屋店主が一方的な被害者みたいな扱いを受けているのはどうも腑に落ちないです。

なぜかというと、タピオカ屋の店主は、パートとして働くこととなった木下(姉)のインスタに自分からけしかけてタピオカ屋のオープンを告知させることで、木下優樹菜さんと、500万以上いると言われるインスタフォロワーが知ることになり、その結果として、オープン初日から二百数十杯のタピオカの売り上げを記録していて、その後順調に大盛況となっているらしいからです。

私の主張を簡潔に言うと、木下さんが謝罪するのは当然なのですが、それを拒絶して、さらに法廷闘争まで匂わせようとするのであれば、「お前みたいな輩の世話になんか死んでもならん」と、木下優樹菜をタダで利用して得た利益を全部返すべきなんじゃないかなと思うのです。

そこまでやらないなら、謝罪を受け入れて許すべきなんじゃないかと。

もちろん、木下(姉)はただのパートですから、利益分配も業績連動賞与も必要ありません。

決められた時給以外に支払う義務などありません。

しかし、日本人の徳の道として、義務と恩(義理)は違います。

私は頑張って親孝行していますが、親が勝手に私を生んだのであり、また、親による子の監護養育義務は民法という法律で決められた義務ですから、義務の履行であり、私として返済(恩返し)をする必要はありません。

また、自分がこれまでの人生で世話になった人には感謝しており何かあれば恩返ししようと思っていますが、私に世話を焼いてくれたといっても、その人たちが勝手にしてくれただけで、私としては恩返しする義務はありません。

しかし、恩を受けたら返すのが当然で、それをしない者は、人としての道にもとると言われても仕方ないと思いますし、それは一般化してもいいくらい日本人の共通認識だと思います。

それくらい恩というものは日本人にとっては重いもの。

どこか別の記事でも書きましたが、夏目漱石の『坊ちゃん』に下記のようなエピソードがあります。

主人公が山嵐という同僚と仲良くなるのですが、山嵐が陰で自分の悪口を言ってるという話を聞いて立腹します。

しかし、二人で縁日に行ったときに1銭5厘の氷水を山嵐から奢ってもらっとことがあり、これから殴り合うにしろ、口論するにしろ、それをそのままにしておくのはどうにもきまりが悪く、結局、まず最初に1銭5厘を山嵐の机に置きに行くという話です。

原文は下記。

そんな裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっちゃ、おれの顔に関わる。おれはたった一杯ぱいしか飲まなかったから一銭五厘しか払わしちゃない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう。

(中略)たとい氷水だろうが、甘茶だろうが、他人から恵めぐみを受けて、だまっているのは向うをひとかどの人間と見立てて、その人間に対する厚意の所作だ。割前を出せばそれだけの事で済むところを、心のうちでありがたいと恩に着るのは銭金で買える返礼じゃない。無位無冠でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊いお礼と思わなければならない。

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おれはこれでも山嵐に一銭五厘奮発させて、百万両より尊い返礼をした気でいる。山嵐はありがたいと思ってしかるべきだ。それに裏へ廻って卑劣な振舞いをするとは怪けしからん野郎だ。あした行って一銭五厘返してしまえば借りも貸しもない。そうしておいて喧嘩をしてやろう。

補足すると下記のようになるんでしょう。

自分は一人前の独立した人間だ、その独立した人間が恩に着るということは、たった1銭5厘であっても以後生涯にわたって相手を恩人として接するということであり、それが日本人としての徳の道であると。

自分がお前とそういった関係に入ったのは、お前を親友だと思ったからであり、そうじゃないなら、最初から自分の分は支払ったし、お前の世話なぞにはならなかったと。

ちょっと繊細すぎですが、根っこにある部分、恩というのは返さなくてはいけないものだが返しきれるものではなく重い負担であるという感覚と、それだけに、他人ましてや嫌いな人間の世話になどは絶対になりたくないという感覚を理解できる人は結構いるんじゃないかと思います。

そう考えると、メディアなどで、このタピオカ屋さんが木下優樹菜を利用して多額の利益を得ているのにそこにはあまり触れず、恫喝を受けたことだけを取り上げ、一方的な被害者のように扱われるのは違和感があるのです。

お店のオープンという一番難しい時期に、パート従業員である木下(姉)経由で木下優樹菜を利用して数か月間にわたって散々儲けてその利益を自分のポケットに入れたまま、木下(姉)との関係が少しギクシャクしてきたら、途端に、忙しいなら来月から仕事来なくていいよなんていったら、それを聞いた木下さんがブチギレるのは、芸能人としては当たり前なんじゃないかと思います。

自分を散々タダで利用しておいて、用が済んだらバイバイじゃねえだろと。

なんといっても、そういった業務を本業にしているタレントさんですからね。

だからと言って恫喝して良いわけではないのですが、その反面、タピオカ屋さんのことを「かわいそうな被害者」だと思わないわけです。

少なくとも、タピオカ屋の店主が寅さんだったら、恫喝LINEを見た瞬間、その場で店の金庫から売上全部出して投げつけて、もってけこの野郎、てめえの世話になんか二度とならねえ、なんて大騒ぎを始めるような気がします。

そして、文無しになって、行く当てもないところに、さくらが、お兄ちゃんだって頑張ったんだから、何も全部相手に渡すことないじゃないなんて小言を言って、それに対して寅さんが、かたぎと違ってそれが渡世人のつらいところよ、なんて言うから、しみじみするわけです。

もっとも、最近の若者には、寅さんが、周りに迷惑かけてばかりで開き直るとんでもない野郎としか映らないらしく、イライラして見てられない、あの作品の何が魅力なのかわからない、なんて意見が多いらしいですけどね。

ですから、木下(姉)はパートだし、何の契約もない以上、タピオカ屋が利益の一部を木下さんに還元する義務はない、以上。と、そこは問題にせず恫喝の所だけを問題にするという人たちが多数派なんですかね。

なんだかなあ。

正月が近づいて、私が変な義理人情モードに入っているだけかな。