百人一首解説その2:紫式部(57番)と清少納言(62番)


百人一首解説のその2です。

昨日から突然始めた百人一首解説のその2ですが、有名どころの2人、紫式部と清少納言の歌を紹介します。

この二人の名前を知らない人はいないでしょうが、百人一首に入っている歌は知らない人も多いかもしれません。

まずは、57番の紫式部の歌。

『めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな』

夜半は「よは」と読みます。

この歌は、「むすめふさほせ」の「め」に当たる歌ですから、かるた競技の初心者が真っ先に覚える歌の一つです。

「むすめふさほせ」というのは一字決まりの7首です。

かるた競技というのは、読み手が歌を詠んで、競技者は下の句だけが書いてある札をパシーンと取るわけですが、7首だけ、上の句の最初の1字だけで下の句を確定できる歌があり、それを一字決まりといい、具体的には「むすめふさほせ」の7首です。

つまり、読み手が「む」と発音しただけで、競技者はパシーンと、「霧たちのぼる秋の夕ぐれ」という札を弾きます。

そんな「むすめふさほせ」の「め」は紫式部の歌で、読み手が「め」といった瞬間に、「雲がくれにし夜半の月かな」という札が取れます。

なので、お孫さんや甥っこ姪っ子と百人一首遊びをやる時には、適当に札を並べるふりして、是非この下の句の札を近くにおいておくとよいと思います。

さて、歌の意味です。

この歌において、「めぐり逢ひて」というのは、恋人に巡り合えたというのではなく、幼馴染に偶然遭遇したことを意味しています。

「見しやそれともわかぬまに」の「見しや」は、見る(会う)+し(過去)+や(疑問)ですから、会ったのかどうか、という意味で、「わかぬ」は、わからない、という意味です。

要するに、幼馴染と偶然再会したのだけど、話が尽きないうちに夜が来て別れるはめになってしまい、会ったんだか会ってないんだかわからないようなあっという間に、という意味です。

そして、下の句の「雲がくれにし夜半の月かな」は、雲に隠れた夜半の月のように、という意味で、意訳すると、出たと思ったらすぐに雲に隠れてしまったあの月のようでした、という意味です。

つまり、幼馴染に偶然再会して昔話に花を咲かせつつも、すっかり打ち解けて話が尽きる前にあなたは去ってしまった、まるで、夜が来て出たと思ったらすぐに雲に隠れた月のようでした、という意味になります。

まあ、これがストレートな訳。

とは言え、やはりこの歌の面白さの一つは、雲隠れという言葉にあり、ドロンと消えるという意味で、本当に消えたのは月ではなく幼馴染で、慌ただしくドロンと消えた幼馴染を月に例えたわけですから、文字通り「雲に隠れた」と訳す必要はないと言う専門家もいます。

月が消えた(沈んだ)ことを意味するのであって、月が雲に隠れている情景を想像する必要はないと。

歌の場面を新古今和歌集の詞書でみると、この歌は7月10日頃の話とされています。

したがって、15夜の満月ではなく夜中には沈んでしまう月の話ですから、日が暮れて、出たと思ったらすぐに沈んでしまったあの月のような人だこと、と訳してある場合もあります。

この歌は、よくよく考えてみると結構珍しい歌で、男女関係の悲哀や人生の無常を情緒的に歌ったものではありません。

幼友達に再会して、ぺちゃくちゃおしゃべりしたのですが、気付いたら夜遅くになってしまい友人が慌てて帰って行った場面と、取り残された自分のもの寂しい感じをたった31字で見事に描写していて、しかも詞書に7月10日頃と、中秋の名月になる前の上弦の月であることを添えて、漂う物足りない気持ちを遠回しに伝えています。

その辺から、情緒豊かな歌人の歌というよりは、細かい描写の得意なまさに小説家の作品という評価も受けたりする歌です。

紫式部というのは、源氏物語のイメージとは異なり、公務員の娘で、自身も公務員と結婚して転勤生活を送ったという人らしく、恋少なき女性の代表でもあるのですが、この歌も、恋愛沙汰ばかりの華やかな宮廷の女性というより、書き物が趣味の主婦といった感じがにじみ出ている、ある意味クールな歌です。

そして、次に紹介するのが清少納言の歌ですが、才気走った清少納言らしい歌です。

62番の清少納言の歌。

『夜をこめて鶏の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ』

空音は「そらね」で、「逢坂」は「あふさか(読みはオウサカ)」です。

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この歌は清少納言らしい歌で、意味を理解するにはいろいろと前提知識が必要になります。

まずは、『史記』に登場する、孟嘗君の函谷関脱出のエピソード。

孟嘗君というのは昔の中国の政治家ですが、人材登用に積極的で、才能ある者を食客として多数召し抱えていました。

しかし、学芸や武芸に秀でていた者だけでなく、何らかの特技があればよいということで、食客の数は膨れ上がっていて、中には動物の物まねが得意なんていう者もいて、優秀な武芸者や学者からはあんなのと一緒にされたくないと不満も出ていました。

そんな中、孟嘗君がピンチに陥って敵国から夜行軍で脱出を図る場面が訪れ、夜中に函谷関という関所にたどり着くのですが、その関所が門を開けてくれない。

追手が迫ってきているので、関所を開けてくれと頼むのですが、規則で朝が来ないと開けられないと門番が話します。

何をもって朝というのかと聞くと、鶏が泣いたら朝だと門番が言うので、そこで動物の物まねの名人が登場し、鶏の鳴きまねをすると、鶏たちが一斉に鳴き始め、慣例だからと、門番たちは夜中にも関わらず関所の門を開け、孟嘗君は九死に一生を得るというエピソードがあります。

なお、この後、物まねの名人と同じくらい周りの食客から疎まれていた、盗みの名人というのも活躍して孟嘗君は自国に逃げ帰るわけですが、そこから、鶏鳴狗盗(けいめいくとう)という故事成語が誕生し、どんな才能でも必ず役に立つときが来る、という意味でつかわれます。

さて、清少納言。

この人は、中宮定子という人に仕えていて、その才能たるや当時の宮中に鳴り響いていました。

そんな折、同じように多芸多才で鳴らし当代随一の書の達人との呼び声高かった、藤原行成という人が遊びに来ます。

そして、文芸の才能あふれる二人は気が合いますから、夜遅くまでおしゃべりをしていくのですが、行成は夜中の二時ごろに用があると言って帰ってしまいます。

これは、現代でも私のような意気地なしにはよくあった話で、急に下世話な話になりますが、男が女性の部屋で二人きりで過ごしていて、なんとなくそんな雰囲気になるのですが、男の方が、俺ちょっと明日朝から会議あるからとか何とか言いながら、夜中に逃げ帰るあの感じです。

そして、翌朝になって行成が清少納言に手紙をよこします。

昨夜は失礼、もっと居たかったんですが、例の鶏にせかされましてね、と。

これはちょっと思わせぶりな文で、後朝(きぬぎぬ)の手紙といって、当時は、一夜を過ごした後に男が女性に手紙を送り、朝が来て帰らざるを得なかったが昨夜は素晴らしかったとか、また会いたいとか伝えるわけですが、朝が来たを、鶏が鳴いたので帰らざるを得なかったなどと、洒落た表現をします。

つまり、清少納言と行成は恋仲ではないのですが、行成は、例の鶏が鳴いたのでなんて、逃げ帰った自分の言い訳をしつつも、男女の仲を匂わせるような後朝めかした手紙を送るわけです。

そこで、清少納言はすぐに返事を書いて、例の鶏って、あの函谷関にいた鳴きまねの名人でもいましたかと意地悪します。

行成は、そこで参りましたと引き下がればいいのですが、返事を出し、私が通ろうとしているのは函谷関の関所ではなく、あなたとの逢坂の関(逢う=契りを結ぶと関所をかけている)ですよと伝えます。

それに対する清少納言の返しがこの歌です。

『夜をこめて鶏の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ』

「夜をこめて」というのは、夜を籠めてで、夜が明けないうちに、の意味です。

「空音」は鳴きまね、「はかる」は謀(はかりごと)のはかるです。

つまり、この歌の意味は、夜が明けないうちから鶏の鳴きまねしたところで、函谷関はいざ知らず、私との逢坂の関は開きませんよ、となります。

要するに、本気の告白なのか冗談なのかを濁した思わせぶりな手紙をよこした行成に、教養全開で返事して、口説きたいなら「空音」ではなく「本音」でくればと、答えたわけです。

なお、このエピソードは清少納言的にも会心の出来だったらしく、枕草子の中でも楽しそうに紹介されているらしいです。

清少納言は、和歌の才能はそこまででもなかったと言われていて、多くの和歌が残されているわけではないらしいのですが、即興での返しの歌には定評があり、どれもきらりと光る鋭さが見えているとのことです。

今回は、天才小説家紫式部の歌と天才コラムニスト清少納言の歌でした。

つづく。