今さらですが、『君の名は。』の話。
最近、記事を更新するたびに近い人からは、長すぎる、電車の中で読もうとしても会社着いちゃう、なんてお叱りを受けます。
そこで、短めに書こうとするのですが、気づくとドンドン自分の中で盛り上がってきて、長くなってしまう。
しかし、短くてもいいからこまめに更新するのも大事かなと思いはじめたので、どうでもいいことも書いていこうかと思うようになりました。
ということで、『君の名は。』に感動して泣いたという話。
私は、Youtubeで外国人が日本のアニメやテレビ番組などを見てリアクションする動画が好きです。
妻からは、また見てる、何が面白いの?とやや軽蔑気味に聞かれるのですが、自分が見た作品について、外国人がどのような感想を持つのかを見るのが好きです。
『どろろ』も、一話見るたびに、Youtubeでリアクション動画を見てチェックしていました。
百鬼丸がブチギレて鬼神を殺した結果、鬼神と取引することで戦乱を逃れ平和を維持していた村の田畑は焼け、村人たちはお互い殺し合って、村が滅茶苦茶になり、どろろが、自分達のしたことは正しいことなんだろうか、自分達さえこの村に来なければ、こんなことにはならなかったのではないか、自分達に他者の生活に介入する権利があるのかと悩むシーン。
こういった社会の矛盾の描写は、手塚作品の醍醐味ですが、外国人のリアクションを見てみると、悩むどろろに対して、「悪と戦うことに犠牲はつきものであり、悪を討ったのだから何も悪くない」とか、「戦うと決断して戦った以上は、後悔するべきではない」といったリアクションをする人がいて、へー、と感心します(英語の勉強というのももちろんある)。
こういうの。
そんな中いつものように見ていたら、出てきたのが下記の動画。
『君の名は。』のラストシーンを見ている外国人のリアクションを集めた動画です。
ちなみに私は『君の名は。』は見ておらず、どういう話がまったく知りません。
どんな感じかなと思って見ていたら、本当にラストシーンらしく、二人の若い男女が階段で出会い、すれ違った後に振り返って、君の名前は?と聞いたと思ったら、スタッフロールが始まるシーンで、何のことだかさっぱりわかりません。
しかし、見ている3人が感動のあまり号泣します。
見るからに3人とも、非常に深い感動に包まれていて、感情を抑えきれないといった感じで、文字通り感極まって泣いています。
それを見ていたら、私も泣けてきて、目が潤んでしまいました。
(『君の名は。』を見てない人がいたら是非上の動画みてほしい。)
なんか、感動とか、涙って何なんでしょうね。
悲しくなる前に、これは悲しい場面であるという認識が先行していて、そのトリガーに基づいて、悲しいと思ったり、泣いたりするようにできてるんでしょうか。
最近、確か中国で、脳のある部位に電流を流すことで、人を笑わせることに成功したらしいですが、本当に人間と何なんでしょうね。
AIは人間になれるかという問いに対して、絶対になれないなんて主張している人たちがいますが、自分とAIと何が違うのかよくわからななくなってきました。
人間には感情があるといったところで、脳のどこかにスイッチみたいなものがあって、それを押すと、泣いたり笑ったりするんでしょう。
本当に泣けてきます。
また、笑いも同じ仕組みらしく、下記の動画がYoutubeで200万回以上再生されています。
しかも、外国人に大人気らしく、日本語がまったく分からなくても、笑いが止まらないらしいです。
感動にしろ笑いにしろ、この周りからの伝染は何なんでしょうか。
今日は8月15日、終戦記念日。
戦後、旧日本軍の幹部への取材などで、本当にアメリカに勝てると思っていたのかなどと聞くと、もれなくみんな下記のように答えたそうです。
勝てるわけないと思っていたが、そんなこと言い出せる空気ではなかったと。
これを受けて、日本は同調圧力が強い云々、「日本は特別」論を主張する人もいますが、戦前の皇国思想と根本が同じ思想で、本当に反省できているのか不安になります。
仮に特別な日本人なるものがあったとしても、いや、多かれ少なかれあるであろうからこそ、より根っこにある人間というものを根本から考える必要があるんでしょうね。