WHOがネットゲーム依存症を正式に疾病認定


どうかと思いますけどね。

WHO(世界保健機関)が、オンラインゲームのやりすぎで仕事や学業や家庭生活に支障をきたしているケースを、病気として正式に認定するようです。

言いたいことは分かりますが、こういった先入観や偏見の強い分野に注目して、客観的な分析なんてできるんですかね。

ゲーム=悪いもの的な思いを持った人たちが専門家のふりしてどんどんこういうルールを作っていくのは怖い気がします。

別に自分が最近ゲーマーになったからむきになって反論しているわけではないです。

自分がゲーム好きなので自己肯定的なバイアスがかかった意見かもしれませんなんて、良識派のふりをすることもできますが、そんなことを言い出したら何も言えず、謙遜が美徳だなんていうのは卑怯者の免罪符でしかないので、そんな前置きはしません。

以下は、自分がゲーマーであることは差し置いた、きわめて中立的な意見です。

冗談はさておき、何かに熱中するのは基本的に良いことで、その対象は人それぞれ。

趣味に没頭している人なんてたくさんいて、仕事中ゴルフのことばっかり考えている人もいれば、趣味だけでなく恋愛のせいで仕事や学業が手につかないなんて誰でも経験あるはず。

土日の予定が気になって、金曜日に適当に仕事して帰社して、月曜の朝一で上司に怒られた経験なんて誰でもあるでしょう。

スポーツ選手が一日中スポーツのことを考えても誰も何とも思わないのに、それがゲームになると、何か悪いものであるかのような、なんとなくの前提で議論が進められていくのが怖いです(これは勉強にも言えますが)。

このなんとなくの悪者認定が広く共有されていることが本当に問題。

なんだか回りくどい言い方になっていますが、仕事や学業や家庭生活に問題を抱えている人を助けることが本当の目的なのに、それをゲームのせいにすることで却って問題解決が遠のくことを心配しているわけです。

例えば、ゲームにはまっているにも2通りあって、好きではまっている人もいれば、家庭などに問題を抱えて現実逃避的にはまっている人もいるはずです。

現代のようなストレス社会、後者も多いような気がします。

例えば、親が勉強しろと口うるさく、あまりに過干渉なケース。

親と話しても小言しか言われないのであれば、そりゃあ、部屋にこもってヘッドホン付けてゲームに没頭する生活になります。

そういう子供の場合、ゲーム依存の原因はゲームではなく家庭にあるわけで、ゲームの中毒性が問題なのではなく、家庭から逃避するためにゲームをしているわけですから、その子からゲームを奪っても何の解決にもなりません。

ただ、ものは見方次第で、そういう親からしたら、子供が勉強しないのはゲームのせいということになるのでしょう。

自分を棚に上げる理由としては、ゲームが悪いというのは最高の助っ人です。

もちろん、ゲーム時間を減らす工夫が必要なケースもあるでしょう。

そこの見極めは本当に難しいですが、ゲームは悪いもの、中毒性のあるものという、たださえ偏見や先入観のあるものを正式に悪者認定してしまうと、本当に解決すべき問題が放置されるケースが増える気がするわけです。

大事なことはゲーム云々ではなく、生じた問題を個々のケースごとに分析して解決することなのに、安易にゲームに責任転嫁する風潮が、権威による確固たる裏付けを持って加速しないかと心配です。

それにしても、ゲームの嫌われようは相変わらずすごいですね。

私がやるゲームは、ハースストーンという、囲碁とか将棋みたいに、1対1でやるカードゲームで、オンラインでチームを組んだり、敵と味方に分かれて戦ったりするゲームではないので、他のユーザーとのコミュニケーションは皆無で、いわゆるオンラインゲームの世界は知りません。

しかも対戦後に対戦相手がフレンド申請をしてきても全部拒否するコミュ障っぷりなので、ゲームにはまっているだけで、誰かとチャットしたりすることもなく、オンライン上の世界にはまっているわけではありません。

特に見つける居場所もないです。

ただ、チャットはしないのですが、ハースストーンでは、定型文のコメントがいくつか用意されていて、対戦中に相手に伝えることが出来ます。

「こんにちは」とか、「しまった」とか、「お見事!」とか、「ごきげんいかが?」みたいなやつです。

定型文ですから、自分は自分の設定している言語で選択し、相手には相手の言語で表示されるので、相手がどこの国の人でも問題なしです。

しかし、この使い方にちょっと問題があります。

自分が圧倒的に優勢になって、相手が事実上詰んだような状況で、「ごきげんいかが?」を連呼したり、相手にとどめを刺すときにあえて「こんにちは」と言ったり、いわゆる勝ち煽りという行為があります。

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自分がミスしたときに、「お見事!」なんて言われることも多いです。

負けている相手の感情を逆なでするように使うわけです。

私は、こういうのはやられても平気ですし、やられたから自分もやるということもなく、まあ、ゲームなんてこんなものという感じです。

色んな人がいるというだけで、ゲームの楽しい面の一部です。

多くのユーザーが、「クソー」とか、「むかつく」と思いつつも、やったりやられたり、無視したり無視されたり、楽しんでいます。

ただ、ゲームアプリのレビューとか見ていると、こういった煽り行為が許せないという人は多いみたいで、マナー違反などと主張するだけでなく、そういうユーザーを排除するように運営に求めたり、イライラを募らせてそのせいでハースストーンをやめる人もいるようです。

そして、そこから、ゲームは人間の攻撃性を増幅するとか、オンラインゲームにはまっている連中は病んでいるなんて、それっぽい結論を導くことも容易でしょう。

ただ、そんなに熱くなることなのでしょうか。

熱くなっているのは、「冷静な分析」をしているほうなんじゃないでしょうか。

「ら抜き言葉が許せない」ではないですが、私は何が許せないと言っても、「○○が許せない」みたいなこと熱く語る人が一番許せないです。

そういう人達のせいでどれだけ世の中が生きづらくなっているか。

そういった何かと許せない人が、世の中をストレスだらけにした結果、ストレス回避的にゲームに没頭する人たちが増加するわけですが、当の本人たちは、仕事をさぼりがちな同僚や、勉強をさぼりがちな自分の子供の趣味がゲームだとなると、ゲームが許せないとなって、ゲームを悪者にして、その人たちからゲームを取り上げようとして、ますます社会にストレスをまき散らす悪循環が生まれます。

そして、今回ついに、ゲームの中毒性を正式に認定して、自分が悪い可能性を、科学的根拠とかいう怪しいものを味方につけて排除しようとしているわけです。

高校生の時に読んだ文章で、『ゴルディウスの結び目』という話があって、かつてどこかに複雑に結ばれた紐があって、ほどいた者は天下を制するといわれていたのですが、アレキサンダー大王がそれを見て、そんなもの簡単だといって、腰の剣を抜いて、結び目を一刀両断して、それを部下たちが拍手喝采するという話です。

いつの時代もこんがらがった問題が出てくると、それを解きほぐすのではなく、ぶった切って解決しようとする人と、それを拍手喝采で迎える人たちが現れます。

オンラインゲームに夢中になって、仕事や学業や家庭生活に支障をきたす人が増えている。

本当に原因はゲームにあるんですかね。

どうなんでしょうか。

ちなみに、私が許せないのは、ファーストフードやコーヒーショップの店員で、私の順番が来てカウンターの前に立った時、店員さんが、釣銭をしまったり備品を整えたりレジ周りの作業をしているので、注文するのを待っていると、「???、どうぞ?(なんで注文しないの?)」とか言ってくる奴が一番許せないです。

きっとオンラインゲームのやりすぎで、相手への配慮が欠如してしまったんでしょうね。