Amazon Goがついにオープン


思ったより早かったですね。

Amazon Goの第一号店がついにオープンしたようです。

アマゾンが「レジ係いない」コンビニをシアトルにオープン

Amazon Goというのはアマゾンが仕掛ける新形態のコンビニというかスーパーのようなお店です。

何が特徴と言っても、入店するときにスマホをゲートにかざすと、あとは商品を袋に入れ、店を出れば自動で精算されるという仕組みです。

要するにレジが無く、レジもなければレジ待ちの行列もなく、レジ係の人件費もないというお店です。

まさに未来のスーパーといった感じで、コンセプトは昨年提示されましたが、まさかこんなに早く実現するとは思っていませんでした。

ただ、このAmazon Goを仕掛けるアマゾンの狙いは何でしょうか。

アマゾンの躍進の秘密は様々なメディアで取り上げられていますが、その多くは、顧客第一主義に基づく徹底的な合理主義と説明されます。

中でも、当日配達といった物流に重きを置く説明は多く、昨年のクロネコヤマトの値上げが話題になったこともあり、無駄を省いた物流機能がアマゾンの強みであるとよく解説されます。

しかし、これは本当でしょうか。

そこのところを、先日のアマゾノミクスの記事で書いてみました。

『アマゾノミクス データ・サイエンティストはこう考える』を読んで

要約すると、アマゾンの強みは、かなり早い段階から、自分達をデータ企業としてとらえたことにあります。

アマゾンサイト内での私たちの行動、何を買ったかではなく、何を見たか、何をクリックしたかなどはすべてデータ化され収集されます。

そこを、プライバシーみたいな、わかったようなわからないようななんとなくの言葉を使うと、グローバル企業により私たちのあらゆる行動が監視され情報が抜き取られている、といった陰謀論的な説明になってよくわからなくなりますが、とりあえずアマゾンは便利です。

なぜ、便利かというと、結局私たちにとっては、同じ消費者同士の私たち自身の行動情報が役に立つからです。

すでに購入した人による商品レビューは、自称プロの提供するキュレーション情報(まとめ情報)よりも参考になります。

また、なんらかの問題解決のための商品を探している人にとって、同じような商品を見ている人が買って役に立ったと評価している商品がどれなのか、また、一緒に買われている商品はどれなのかといった情報は役に立ちます。

結局、消費者の行動は無数にあり、一部の専門家情報を集めるのでは足りず、その一方で、私たち自身が作り出す膨大な情報をうまくまとめて提供できると、私たちにとってはそれが非常に役立つわけです。

アマゾンからこの商品おすすめですよと言われてもピンとこない人でも、この商品買った人はこの商品も買ってますよという情報が表示され、確かにこれは一緒に買うと便利かもしれないと思えば、買う人は多く、しかも実際に満足する可能性も高いわけです。

それを、ビックデータを駆使した最新のデータマーケティング手法により我々はアマゾンによって購買へ誘導されている、アマゾンに買わされているのだ!、ととらえることも可能ですが、多くのユーザーが、従来とは違う充実した納得感や満足感とともに買い物をしているのも事実です。

ポイントは、私たちの消費行動が知らぬ間に収集されデータ化されるのは事実だとしても、それが私たちにとって非常に有用な情報でもあるという点です。

従来のような、企業側からの一方通行の情報を鵜呑みにするしかなかった状況と比べると、まさに新しい世界です。

よくアマゾンにより小売店が潰されるというニュースを見ます。

その理由としては、上述のように物流に重きを置かれることが多く、実際に店舗に行って買い物して商品を持って帰るより、スマホなどで見て、ワンクリックで買え、当日や翌日に持ってきてくれる方が便利だからとされます。

しかし、アマゾンは自分達をデータ企業として見ていて、自分たちの強みは物流であるなんて、言っていないわけです(もちろんそうであることは間違いないですし、特段否定しているわけでもないです)。

私達が買いものにあたってほしいのは情報であり、一部商品においては実物を見ることも重要ですが、多くの商品においては、それを使って抱えている問題が解決するのかどうかや使い勝手が重要なのであって、それさえわかれば実物を見る必要なんてないわけです。

そこで、私たちは欲しいものや探し物があれば、まずネットで情報を収集し、そこで満足いく情報が得られれば、実物を見る必要がないので、ネット通販で買うわけです。

そして、そのネットでの情報収集段階で一番重要な、すでに購入した人の商品レビューと、他の類似商品との比較、組み合わせると有効な商品、の情報を見やすく提供することに注力しているのがアマゾンなわけです。

アフィリエイト目的の怪しい個人サイトを巡回するよりは、最初からアマゾンで情報収集した方が信頼性も高いです。

さて、話は本題のAmazon Goに戻ります。

Amazon goに関しても、レジがなくなり、店舗にとっては人件費の節約、客にとってはレジ待ちや精算時間がなくなるという、Win-Winの関係が築けるという、合理化の観点から説明されることが多いようです。

しかし、これもデータの観点から分析してみます。

まず、商品を袋に入れるだけで精算される(もちろん棚に戻すと取り消される)という仕組みの実現のために、Amazon Goの店舗の天井には無数のセンサーが付いています。

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そして、その仕組みを受け入れて利用する消費者としては、店内での行動を逐一モニタリングされることに同意していることになります。

つまり、消費者一人一人の店内での行動が分析できるわけです。

これは、従来、ネット通販では可能でも、実店舗では不可能でした。

顧客ごとに、何を買ったかだけでなく、店内で何を迷ったか、一旦手に取ったものの棚に戻した商品は何か、等が詳細にわかるわけです。

これは、小売業者の多くが欲しくてたまらないデータです。

今から20年位前、スーパーがこぞってポイントカードを配り始めた時期があります。

あれは確か、山梨県のなんとかというスーパーが始めたマーケティング手法が有名になったからです。

そのスーパーは、ポイントカードを使って、客ごとに何を買っているかを分析するようになりました。

さらに、毎月の支払金額が一定額以上のロイヤリティの高い顧客にターゲットを絞って分析をしました。

何をしたのかというと、従来の売れ筋商品中心のラインナップをやめて、ロイヤリティの高い客が買ったリピート商品は、例え売れ筋商品じゃなくても棚に置くようにしたわけです。

一定額以上使う客を手放さないようにした結果、売り上げが伸びたという話です。

Amazon Goではそれをさらに一歩進めることが出来ます。

優良顧客を追跡し、迷ったけど買わなかったもの情報を使って、商品ラインナップの改善を図ることもできれば、再来店を誘導することも可能です。

客の導線分析も詳細に可能です。

売れた売れない以外の情報がたくさん入手できるわけです。

ここまで来ると、昨年、アマゾンがホールセールという大手スーパーチェーンを買収した意図も見えてきました。

ネット通販の巨人であるアマゾンが通販では飽き足らず強力な物流網と徹底的な合理主義を持って店舗小売業界に殴り込んできたのではなく、データ企業の巨人が、ビッグデータ分析を用いることで我々の消費行動を根本から変えられると考えて、技術的に実現可能になったから実店舗業界に進出してきているわけです。

いやー恐ろしい。

なんか、ここまで来て、突然変な話になりますが、こういったアマゾンの行動を見ていると、民主主義の矛盾が見えてきます。

自称プロによる一方通行の情報よりも、私たち自身が同じ消費者として作り出す情報の方が私たちには役に立ちます。

しかし、その情報は膨大過ぎて、私たち自身ではどうすることもできません。

そこで、膨大な情報を収集整理するデータ企業が求められるわけです。

そして、そのデータ企業が私たち一人一人にカスタマイズ情報を提供することで、私たちの生活は間違いなく向上します。

しかし、データが膨大になればなるほど、帝国主義的な巨大データ企業が登場するというジレンマがそこにはあります。

その企業に分析結果を操作されると、私たちは操り人形とかします。

もちろん、私たち自身が力を合わせることは原理上は可能です。

しかし、無数にいる私たち個人が自発的にまとまることは事実上不可能です。

これは民主主義にも似たようなことが言え、一人一人が結局は自分の利益を考えて投票する結果、まとまるはずはありません(民主主義に、民衆の力を結集することが『よい社会』につながるという思想が内在するのかどうかはだいぶ疑問ですが)。

もちろん、投票は義務だとか、公共の利益を考えて投票すべき、実際に自分はそうしているなんて人もいるわけですが、その公共の利益自体が人によって違うわけですからどうしようもありません。

そこで政党などが登場してある程度意見を集約して団体行動をとろうとするのですが、民主主義、自由主義が発展すると、誰もが勝手すぎて、意見の集約行動自体がうまくいかなくなって、何にも前に進まなくなります。

そして、私たち自身が、強力なリーダーシップを求めるようになるわけです。

誰か何とかしてくれと。

ナチスドイツをはじめ、歴史上の多くの独裁者は民主主義の中で、民主的に選ばれています。

私たち自身が力を合わせることの重要性は理解しつつも、自発的にまとまりようがないので、誰かがまとめる必要があって、その人に頼らざるを得ない状況が生まれるわけですが、その過程が一方通行で、その人からやっぱり返してと権力を取り戻すことが出来ないわけです。

かといって、カオスを放置するわけにもいきません。

独裁者の出現は必然なのか。

これは、昨今の仮想通貨もそうなのかもしれません。

インターネットが登場して、権力機構に依存せずに民衆が力を合わせる真の民主主義(こういう標語嫌いですが)がついに実現できると思ったのに、結局誰かが膨大な情報をまとめる必要があって、いつものように、アマゾンやグーグルといった帝国企業が登場し、結局、私たちの情報を独占してしまうような状況に向かっています。

そんな状況で、挫折感を味わっている多くの自由主義者にとって、今度こそという思いが結集しているのがブロックチェーンによる分散型システムやそれに基づく仮想通貨で、今度こそ中央権力のない世界が実現と期待していたわけですが・・・

早くも仮想通貨業界では、リップルという中央集権型で、ぜんぜん本来の仮想通貨のコンセプトとは異なる仮想通貨が覇権を握り始めていて、多くの純粋な進歩主義者はあれは仮想通貨などではないと憤ってたりするのですが、世の自称専門家の多くは、仮想通貨の分類などに精を出していて、仮想通貨によって世界が変わるなどと言っても、国際送金や決済が便利になるとか、手数料が安くなるとか、その程度の次元の話しかしておらず、結局世の中は仮想通貨業界の覇権争いといういつもの状況に向かっています。

後半は例のごとく、脱線しましたが、ついに実現したAmazon Go。

Amazonと共に私たちはどこに向かっているんでしょうか。

例のごとくまとまりが無くてすみません。