5月26日の日記です。
相も変わらず、Netflix中毒は終わっていないのですが、最近はブレイキング・バッドを熱心に見てます。
このドラマ、ゴールデングローブ賞とかエミー賞とかに毎シーズンノミネートされていて、実際に受賞しています。
そして、ネットでも異常に評判が高く、しかも、評論家とかの玄人筋の人たちからの評判が抜群に良い。
確かに、面白いし、ここのところ毎日最低一話は見ているから何も言えないんだけど、そんなにおもしろいかな。
見ていて、アメリカ人てこうなんだろうなとか、そういうアメリカ人が生きていく中で直面する葛藤のようなものがうまく描かれているのだろうなとは思うのだけど、自分がアメリカ人じゃないからか、今一つ感情移入できない。
生活態度が違い過ぎる。
特に、欧米人の持つ正義感的なものが邪魔に感じるのは私だけなのかな。
確か、「菊と刀」だったと思いますが、日本人というのは本音を言わない文化なんだけど、うわべだけを大事にしているわけではなく、人間の本能的な部分やどうしようもない弱さ的なものに対しては非常に寛容というかおおらかで、隠したり取り繕ったりしてもしょうがないところは互いにオープンに許容しあって生きている、といった話があった気がします(だいぶあいまいな記憶ですが、個人的にその通りだと思う)。
その点、キリスト教の影響だか何だか知りませんが、かなりかっちりした正しさみたいなものがあって、正しく生きなければいけないといった、無意識の義務感のようなものがあるからか、このドラマでは、葛藤に入る前のハードルが低すぎて、そこはしょうがないだろって思うようなだいぶ手前のところから、深く悩み始めちゃっているので、展開自体が冗長に感じてしまいます。
自分の中で、それは、「そこはしょうがないでしょ」を多用する、ある意味都合の良い運命論者な日本人としての自分のせいなんですが、このドラマが日本でも絶賛されているところを見ると、もしかしたら私に倫理観みたいなものが欠けているだけなのでしょうか。
いや、坂口安吾が生きてたら、登場人物はどいつもこいつも悩んでるんじゃなくて、ポーズを気にしてカッコつけてるだけの、こうすれば評論家先生が絶賛するだろうという視点から制作された、とんだ駄作であると言ってくれるに違いない。
まあ、今日もこれから見ますけど。