【書評】戦国日本と大航海時代


面白かったので紹介。

昨日読了した本が面白かったので紹介します(書評というより紹介です)。

『戦国日本と大航海時代』と言う本ですが、一言で言うと、秀吉の朝鮮出兵は一体何だったのか、それを世界史的に考えてみるという本です。

秀吉の朝鮮出兵に関しては、正直よくわかっておらず、一番よくある説は、天下統一して大名たちの私戦を禁止したのは良いけど、褒美として与える土地が足りなくなった説ですかね。

果たして本当にそうなのか、世界史的に考えてみるという本です。

そして、そこを考えていくと、なぜ日本が植民地にならなかったのかも見えてくると。

世界史的に考えるというのどういうことかと言うと、当時絶賛来日中だったポルトガルやスペインの宣教師たちが残した資料(本国などに送った手紙)などに基づいて、同時代に世界は日本をどう見ていたのかという視点から、朝鮮出兵について考えてみるということです。

朝鮮を占領しようとして失敗した、大変ご迷惑をおかけしましたという視点はもちろん重要なのですが、そういった日本と朝鮮という二国間関係だけから歴史を見るのではなく、世界史的にどういう流れの中で起きたのか、また、その後にどういう影響を与えたのかという、もう少し大きな視点と時系列から考えてみようという発想です。

「日本しか登場しない日本史」と「日本がほとんど登場しない世界史」を別々に学んで教養と言えるのか、本当に歴史が分かるのかという疑問を受けて、日本史と世界史を融合し歴史を再構築していこうというトレンドがあります。

とは言え、歴史の本は少し深入りしようとすると難しい本ばかりですぐ嫌になるのですが、この本は「日本史と世界史の融合」というお題目が、どういうものなのか素人に具体的に教えてくれる、成功例の1つだと思います。

信長、秀吉、家康と、戦国時代の終わりから江戸時代への日本の歴史が、世界からどのような影響を受けて進み、また、世界にどのような影響を与えたかを考察しています。

フラシスコ・ザビエルが来て以降、宣教師たちが日本に来て布教活動を始めるわけですが、当時の世界の覇者はスペインとポルトガル。

そして、宣教師の後に軍隊がやってくるというのは本当にその通りで、布教活動で地元民をある程度取り込んで拠点を作ってから、軍隊が来て占領します。

当時、スペインの拠点はフィリピンのマニラで、ポルトガルはインド西海岸のゴアにポルトガル副王を置き、マレー半島のマラッカとマカオも貿易拠点としつつ、両国とも明をどうやって占領しようかとあれこれ思案しながら、足を伸ばして日本に来るようになる。

そして、ザビエルが来た当時、すなわち信長の時代と言うのはまだ群雄割拠で誰も天下統一していませんから、宣教師たちには日本は分断国家と映っています。

実際に、各大名が勝手に、南蛮(東南アジアのこと)貿易をしており、あっさりキリシタン大名が誕生したりして、そこに宣教師たちは付け入るスキを見いだしています。

ザビエルが来て以降急速にキリスト教は普及するのですが、当時の宣教師たちが本国に送っている書簡は真っ二つに意見が割れているようです。

1つは、今すぐ軍隊を送って来い、日本は簡単に占領できるという種々の見積もり。

キリシタン大名に強力な軍備を与えればそこを突破口に一気に切り崩せるという考え。

明の占領のためにはまず先に日本を占領して、日本の経験値の高い兵力を使えば、明の占領も容易になるなんて議論も普通にされている。

しかし、他方で、この国は戦争ばっかりやっていて、兵隊が強いから、侵略は当分諦めて、布教に専念すべきという慎重論もある。

そんな感じで、しばらくは様子見ということで、直接軍隊は来ないのですが、ものすごい勢いで布教活動は進みます。

そんな中、信長は、彼らが勢力を強めているのを知っても、貿易への関心や純粋な興味の方が強い。

ポルトガル領となったインドやスペイン領となったマニラなどの状況から、宣教師たちは侵略行為の先兵であると主張する部下がいるのですが、「おまえは小心者だな」とか、いざとなっても自分達の方が強いと考えて特に気にしない。

もっとも、本隊がいるのはインドのゴアであり、マニラやマカオからじゃ大した戦力が来れないという分析ができるくらい情報には精通していたらしい。

しかし、秀吉の時代になると、宣教師たちが、貿易利権を天秤にかけながら、キリシタン大名をけしかけて内戦を起こせるくらい力をつけていること、また、ポルトガル人たちが大々的に日本人の奴隷貿易を行っていることなどから、秀吉はバテレン追放令を出します。

とは言え、秀吉が天下統一したと言ってもまだまだ群雄割拠の名残が強く、追放令にもかかわらず宣教師たちは九州などでは普通に活動している。

というより、キリスト教を排除すると貿易利権まで失うので、貿易港を持つ西日本の大名たちは排除するにも排除できない。

つまり、宣教師たちは相変わらず、日本は分断国家というか、連邦国家のように考えている。

そこに、秀吉が全国から兵を30万集めて朝鮮半島に出兵するという事件が起きる。

しかも、秀吉は朝鮮出兵に前後して、スペイン支配下のマニラのフィリピン総督とインドのポルトガル領インド副王に恫喝するような手紙を書いている。

両者は、似たような内容ですが、フィリピン総督に送った手紙の概要は下記。

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・我が国は争闘と戦争が百余年続いたが、予が十年にしてこの国をことごとく服従させた。
・高麗人および琉球、その他遠方の諸国はすでに予に帰服して貢を納む。
・予は今、大明国を征服せんと欲す。
・その国(フィリピン)は未だ予と親交を有せず。よって予は行ってその地を取らんと欲す。
・これ旗を倒して予に服従すべき時なり。もし服従すること遅延せば、予は速やかに征伐を加うべし。後悔することなかれ。

ここら辺はもちろん、秀吉ご乱心説の根拠でもあるわけですが、当のスペイン領マニラは、日本から二週間くらいで行けてしまうこともあり、また、倭寇が暴れて大損害を被ることが何回もあったので、秀吉が30万の兵隊を朝鮮半島に船で送ったのを見て、震え上がるわけです。

フィリピン総督は戒厳令をしき、大至急でスペイン国王にメキシコからの援軍を要求しています。

また、その国王宛の援軍要請の手紙の中で、数年前に日本人が数十人ほど現地の教会を参拝したいと言ってマニラに来たが、教会ではなく港湾をじっくり見分して帰っており、こちらの戦力は把握されており、日本がその気になればすぐに陥落してしまうなんて報告もされています。

朝鮮半島からの撤退により、かえってマニラの人たちは怯えていたり、お願いだからずっと朝鮮で戦争しててくれなんて手紙に書いている人もいる。

この朝鮮出兵以降、秀吉や家康は、ヨーロッパの文書中では、日本のエンペラーと呼ばれるようになるという話は面白いですね。

つまり、強大な軍事力を持つ帝国として認識されるようになる。

その影響もあり、家康の時代になると、遅れてきたプロテスタント系のイギリスとオランダがやってくるわけですが、この両国は自分達は貿易さえできればそれでいいという戦略を取り、家康相手にポルトガルとスペインの宣教師は侵略の手先だとしきりに吹聴して、貿易の為ならある程度はキリスト教を認めざるを得ないと考えていた家康が禁教令を出すようになるまでの過程もわかりやすく説明されています。

そして、最終的に幕府はポルトガルとスペインを追い出し、オランダを出島に閉じ込めますが、彼等も強硬な反発には出ません。

当時のヨーロッパの商船はほぼ海賊みたいな感じで、アジアの海域でやりたい放題やっていて、家康が、イギリスとオランダに日本の臨海での略奪行為を止めろというわけですが、オランダの商館長がオランダ東インド会社の総督に、送った手紙が残っているそうです。

マカッサル王(インドネシア)とは違い、皇帝(将軍)は自分の港や停泊地での(外国人の)暴力を許容しない。マカッサル王にその意思がないとは思わないが、彼にはその(外国人の暴力を抑止する)能力がない。しかし日本の皇帝(将軍)は、力において欠けるところはないのである

このようにオランダもイギリスも、日本の言うことを素直に聞いています。

宣教師を先兵にしつつアジアをどうやって支配しようかと思案する強気のヨーロッパ列強に対して、信長、秀吉、家康と少しづづキリスト教に対し禁圧的になっていくわけですが、そのような態度を可能にした背景として、群雄割拠の戦国時代からの天下統一過程を経て一大軍事国家に成長していく日本の歴史があり、世界と日本の双方の思惑の推移を外国人宣教師たちの手による資料を基に推理考察しています。

戦国時代というのは、国益的には消耗と損失しかありません。

しかし、その過程で全国的に軍事力が増強され、それが、信長、秀吉、家康と段階的に統一されて行くわけですが、その中でも、秀吉が30万の軍を引き連れて海を渡ったことが、対外的に一大ターニングポイントであり、東南アジアのヨーロッパ拠点は震え上がり、ヨーロッパ列強としても、日本は侵略できないと考えるどころか、日本人の目に触れないような書面の中でも帝国扱いする状況が生まれることになったという話です。

小難しくなく、読みやすい。

なにより、全編を通して、「強い日本」というイメージを前提に話が進むので気分がいいです(この本の評価の本質はそこだと思う)。

また、所々出てくる小話も面白いです。

例えば、当時、南蛮貿易は相当盛んだったらしく、タイに一大日本人街があったことは有名ですが、東南アジアには日本人がたくさんいて、フランシスコ・ザビエルというのは、三人の日本人信者を連れて来日します。

その内の1人は、アンジローという殺人を犯してマニラに逃げていた薩摩の人で、その人が通訳をしているわけですが、適訳がないということで、聖母マリアは「観音」、天国は「極楽」、神のことは「大日(大日如来のこと)」とか「天道」などと訳していたとのこと。

すごい勢いで信者を獲得したとされていますが、「大日を拝みましょう」なんてやっていたなら、当然かもしれませんね。

なんて感じで、面白くて読みやすい反面、エビデンスに基づいて「強い日本」が浮かび上がるのか、「強い日本」前提でエビデンスを都合よくまとめているだけか、客観性が少し不安になる本ですが、ポイントは真実でもないでしょう。

まずは、立場が変われば歴史の見方も変わるといった話からさらにスケールアップを進めて、非常に大きな視点で日本史を捉え直してみようという試みに触れることが重要かと思います。

こういう本が増えてくるといいですね。

自粛の夜長にいかがでしょうか。