福沢諭吉を思い出して読み直しました。
コロナ自粛関連で、大阪府が自粛に応じないパチンコ屋3店舗の店名を公表しました。
その結果、営業を継続する店舗に数百人の大行列が起きるという事態が発生しました。このパチンコ屋の実名公表については、やる前から「やりすぎ」とか、かえってそのパチンコ屋の宣伝になるだけで、逆効果だという批判がありました。
そして、以下のラサール石井さんと吉村大阪府知事のやり取りが起きました。
「皆さん、パチンコ屋が軒並み閉まって大変でしょう。今ならここが開いてますよお」と宣伝した結果になるの、わからんかったんかな。 https://t.co/j2jzzmzVhO
— ラサール石井 (@lasar141) April 26, 2020
大阪に700店舗近くパチンコ店があり、休業要請後に120店舗の開店状況と府民の苦情と専門家の意見。そこから詰めてきた結果の現在公表3店舗。ここだけ捉えて「分からんかったの?」とはお気楽な立場だよ。影響力ある立場なら「今だけはやめときましょう」位言えないのかね。 https://t.co/ia0v5hwyCq
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) April 26, 2020
このやり取りをみて、ラサール石井さんに批判が殺到しているそうです(支持している人もいるようですが)。
そして、私は、このやり取りを見て、福沢諭吉の『痩我慢の説』と『丁丑公論』という有名な短編を思い出しました。
この2つで福沢が強調しているのは、一言、
立国は私である
ということです。
公というのは、法を守り、一市民としての役割を全うすること。
私というのは、恥を知り、義を守ること。
そして、国家の大本を為しているのは一人一人の公ではなく私である、という論考です。
福沢諭吉は、幕末のころは、幕府の遣欧米使節団に二回とも参加して、ある意味日本に不在がちでした。
すごい勢いで海外からの知識を吸収し、帰国してからは辞書を作ったりその普及にまい進し、まさに知の巨人として八面六臂の大活躍で、近代日本の礎を作ったと言っても過言ではありません。
しかし、知らず知らずに外国かぶれになってしまった時期もありました。
2回目の使節団から帰ってきたとき、下関戦争で長州が外国連合軍にこっぴどくやられたニュースを聞き、福沢は村田蔵六(大村益次郎)に下記のように言いました。
「村田さんも大変だね、おたくの所の攘夷派の気狂い達にも困ったもんだ、勝てるわけもないのに、そんなこともわからないなんて」
しかし、それを聞いて村田は怒ったと言います。
「気狂いとはなんだ。力の差なんて知ってるし、自分達だって交易をし、知識を吸収し、独自に近代化を進めている。しかし、無礼な態度は見過ごさないと決めているのだ。それの何が間違っているのか」
村田蔵六は、攘夷戦争に突入しながらも、欧米列強との実力差は知っていましたし、その裏では乾退助(板垣退助)ら長州藩の優秀な若者を何とか外国に派遣しようと画策していました。
しかし、それと目の前の無礼を看過するのとは話が別じゃないかと言ったわけです。
このやり取りを、福沢は晩年まで引きずっているのではないかと言われています。
そこで、『痩我慢の説』や『丁丑公論』という短編で、江戸城で討ち死にしなかった勝海舟を攻撃し、勝てるはずもない西南戦争に突入した西郷隆盛をたたえるわけです。
国家の利害を説く「公」の精神と、私的な義理に報いる「私」とでは、「私」こそが国家の大本であり、利害に基づいて「私」を捨てる行為を称えたり、損得なしに健全な「私」を貫く行為を批判することは、国家百年の計に害をなすと。
幕末と言うのは不思議なもので、開国派と攘夷派の対立と考えた時、開明的な開国派と視野の狭い攘夷派の対立と捉えがちですが、勝ったのは攘夷派です。
もっとも、攘夷派が勝ってできた新政府は開国路線まっしぐらです。
不思議な展開です。
しかし、国家を動かし、超速での近代化を成し遂げたエンジン、それは何かと考えると、話のつじつまは見えてきます。
当時の日本国民を動かしていたエネルギー、それは、
軍艦で乗り付けて、大砲突き付けて、開国しろ、こんな無礼で馬鹿げた話があるか、なんでそんなものに応じなくてはいけないのか。
という思いです。
この思いをみんなが共有していたから、国家一丸となって近代化に猛進できたわけです。
もちろん、外国と全面戦争が無理な状況で、威信と現実の板挟みで後手後手に回った幕府がスケープゴートにされた感は否めません。
また、攘夷派の言う攘夷の意味も、終盤には、中岡慎太郎が、「攘夷とは武の一字である。鎖国を意味するのではなく、広く交易するものの、外国が無礼な態度を取った時には討つ、それができる体制を作ることこそが攘夷なのだ」なんて言うように、ほぼ開国路線になっていきます。
こうして、攘夷派が幕府を倒して新政府を作り、何事も御一新の折りということで、心機一転、開国政策で近代化に猛進するわけです。
しかし、どうにも理解しがたいねじれた歴史の流れを支えたエネルギーは、誰もが感じていた怒り、すなわち、大砲突き付けられて、開国しろと言われて、そのまま開国するなんてばかな話があるかという、思いでした。
国家のためにはどうするのが最善かという「公」ではなく、一人一人の「私」が集まった結果生まれた膨大なエネルギーが国家を動かしたわけです。
今回の件で、パチンコ屋の名前を公表するのは逆効果だとわからなかったのだろうかと、聡い理性を発揮しておられる方は、幕末に生きていたら、攘夷なんか馬鹿げている、勝てない戦争してどうするのかと主張していたのでしょうか。
勝てないとわかっていながら西南戦争を戦った西郷隆盛は先の予想がつかない愚か者だと思っているのでしょうか。
もしそうなら、今すぐ病院に行って、右往左往するコロナの重症患者の家族にでも話しかけてみればいい。
何をしているのかと。
ここまで来たら死ぬ可能性が高いのだから、治る可能性に期待するのではなく、葬式の準備をする方が合理的であると。
先のことが予想できないのかと。
確かに、休業要請に応じないパチンコ屋を公表したことは、その店を宣伝したかのような効果を生んだかもしれない。
しかし、数百人が群がる映像を見て、多くの人が、「自分はこんな人間では決してない」と心の底から思ったのではないだろうか。
政府や知事が自粛しろと言ったから自粛する、国全体のためには自粛した方がよいだろうから自粛する。
これは、福沢諭吉の言う「公」であり、重要なことではあるけど、国家の大本を為すものではありません。
しかし、今回の件は、恥を知り義を守るという、一人一人の健全な「私」を明確に意識させたと思うのです。
そして、これこそが国家の大本であり、それをまとめることが政治の役割ともいえる。
そういう意味では、大阪が府民一丸の「真の自粛」に近づいた事件になったのかもしれないなと思いました。
厚顔な人間には無意味どころか逆効果かもしれないけど、恥と義をベースに自主的な対応を求めて、それを多くの民衆が支持する。
少し青臭くてロマンチックな話ですし、ある意味スケープゴートありきの連帯なので別の場面ではいじめ問題の元凶とも言えるのですが、ただ、福沢諭吉が言うように、国家を国家たらしめている大本は「痩せ我慢の気概」であるというのは、本質をついているなと思いました。
自粛の夜長にぜひどうでしょう。
なお、幕末に関する見解は大いに下記に寄っています(パクリと認めます)。読み応えあって疲れるけど非常に面白い本です。