コロナ後の世界を見据えて。
地下鉄サリン事件をはじめ、過激派集団はなぜ無差別テロを行うのか。
それは、一言で言えば、社会の中でのうのうと暮らしている一般市民たちに、「このままではいけないのだ」という危機感を思い起こさせるため。
彼らは、特定の思想の下、このままでは社会がいずれよからぬ終末を迎えると危惧していて、がんばって行動しているにもかかわらず大多数の人々が効く耳を持たず、幸せな現状に満足して、特に行動を起こさないでいることが許せない。
そこで、ドカンと一発恐怖を与えて、ショック療法で、このままではいけないのかもしれないと、考えるようになるきっかけを与えようとしている。
無茶苦茶な話で、成功した試しはないのですが、今回のコロナ騒動は、結果としてそうなる可能性があります。
まあ、そういったテロリストたちにも平等に禍が及んでいるところは面白いですが、そこはさておき。
今回のコロナ禍で、本物の政治家と偽物の差がはっきり出たとか、何かに開眼した人たちが続出しています。
特に、東日本大震災のように、自然災害が一瞬で被害を及ぼし、後はみんなで連帯して復興を目指すというものではなく、今回は、それぞれの事情に応じてだらだらと鬱屈する日々を強制されるという点で、国民のイライラは頂点に達していて、既存の社会的な仕組みに対する不満が渦巻いています。
騒動がひと段落したら、既存の仕組みを批判する様々な動きが出てくるでしょう。
これだけの大騒動ですから、もちろんそれは自然なことだし、政治参加が進むことなどは良いのですが、問題は、既存の仕組みを批判するにあたって、寄ってかかる視座、当てにする思想的な土台が何になるかという点。
海外などを安易にお手本にした場当たり的な批判にならないといいのですが。
今回のコロナ騒動でも、いちいち海外を引き合いに出して日本政府の対応を批判する人がいます。
クルーズ船の時も、乗員の人権無視で、海外なら考えられない、ありえない。
トイレットぺーパーが無くなった時も、海外ならありえない、こっちではそんなこと起きてない。
そして、欧米で惨禍が広まり各種ロックダウンが起きると、日本の対応は遅すぎ、早くロックダウンすべき。
海外のように、迅速に休業補償や現金配布を行うべき。
とにかく、海外を持ち出して日本を批判する。
もちろん、日本を批判するのも結構だし、日本以外のお手本を持ち出すのも、それ自体に問題があるとは思わない。
ただ、批判したいものを批判するときに、寄って立つ土台として、自分の中で学び、格闘して出した結論としての海外であればいいけど、それをせずに安直に借りてきたユートピア的なものに飛びついているのであれば、いただけない。
不満があって批判したいという思いが先行して、でも自分の中に批判の土台になる強固な思想がないから、とりあえず海外と言った感じで、借りてきた物を持ち出すなんて言うのは、何にもならない。
やはり、今起きているのは、というか、今も昔も問題は、攘夷派VS開国派なのだろうか。
確かに、日本の思想史は整理されていないし、十分に教育もされていない気がする。
攘夷派VS開国派も、あたまのいかれた攘夷派VS開明的な開国派の文脈で語られることが多い。
ステレオタイプの高学歴曰く、
日本は、明治維新の時に急激に近代化したが、富国強兵政策をはじめ、科学技術や社会制度と言った、「近代国家風」の制度整備に追われ、大事な近代主義の中身を真に身に着けることができなかった。
その結果、上辺だけの近代化は実現したが、真の民主主義が根付かず、結果として、国民の利益を無視する独裁的な軍部や政治体制が誕生し、あの悲劇的な戦争に突入した。
戦後は、今度こそ真の民主主義国家になろうとしているが、明治維新の時同様、アメリカの真似をしているだけだったり、あの戦争を直視して反省しなかったりするせいもあり、「民主主義の本質」を十分に理解していないので、真の民主主義国家とは程遠い国家となっていて、尊王攘夷派の魂を受け継ぐ、戦前の亡霊が今も徘徊して、多くのところで旧態依然としている。
そして、トランプ政権やブレグジットなど、諸外国で排外主義が台頭している流れに乗って、日本でも「十分な教育を受けていないかわいそうな」攘夷派たちが台頭しつつある。
まあ、真の民主主義とか言って日本を批判する人たちも、日本の分析するときに、「日本は~な国だから」と、「日本は特別」論を平然と繰り出すあたりは、戦前の皇国思想と根っこが同じですが、そこはまた今度。
そういった、上辺だけの歴史観の中で、幕末の攘夷派VS開国派も、あたまのいかれた攘夷派VS開明的な開国派の文脈で語られることが多い。
しかし、どっちも末端はバカだったのは今も昔も同じで間違いないですが、思想的なリーダーの人たちの見解をみると、攘夷派(水戸学)の人たちは決して頭のおかしな人達なんかではないです。
彼らが言ってることはシンプルで、開国派がカルト集団と化していることに危惧を抱いており、このまま行ったら生活に根差した、地に足付けた議論ができなくなると言っているだけです。
黒船到来という未曽有の国難に当たって、いきなり登場した借り物に全身を委ねて、これまでの歴史や、先人たちの思想的な格闘が、さも無意味であったかのような態度を取るのをやめろと、そう主張しているだけです。
つまり、大変な国難にあたって、幕府の対応に問題があるのは間違いなく、その動きに不満を持つ勢力が登場するのは仕方がないのですが、その勢力が安易な開国思想に染まり、浮ついた議論や批判を繰り返すせいで、それを諫めようとしただけなのに、そうだそうだと、安易な開国派に対抗するような形で、安易な攘夷思想が登場し、国が大混乱になったわけです。
つまり、事の本質は、既存勢力への、安易な反動と、それが引き起こす安易な反・反動の対立です
脱線が長くなりましたが、ヨーロッパ中世で教会万能な世界が終わり、これからは人間の知識の時代だ、合理主義の時代だとなり、そのまま科学の時代だとなり、さらには、IT革命で社会が変わる、仮想通貨で社会が変わる、AI革命で2045年にシンギュラリティが起きる、などなど。
信仰の自由は認めますが、自分なりに考え抜いてそういう思想になったのか、それとも、単に既存社会の枠組みを批判するためだけに、評論家になるための土台を一日で得ようとして、それっぽいものに飛びついただけなのか。
絵にかいた餅のような、ユートピア的な「あるべき論」を振りかざしても、「そうである」現実社会の改善には何の役にも立ちません。
安易な反動は、同じくらい安易な反・反動を呼び起こし、社会にヘイトが渦巻くことになる。
社会が分裂し、混乱することほど、社会に害悪はないです。
皆さん、自宅待機で暇を持て余しているようです。
ただ、時間が出来て、法律、経済、社会学でも何でもいいですが、勉強する時間ができてうれしい、ずっと気になっていた勉強をする時間がやっと取れると言っている大人をあまり見ない。
そういう大人たちが、この騒動がひと段落したときに何を言い出すのか。
適当な思想に飛びついて批判を繰り広げ、別の思想に飛びついた人たちと、お前は全然わかっていないと、昨日本屋で買った教典片手に「思想的格闘」を始めるのでしょうか。
いまこそ、平安時代とは言わないから、江戸時代当たりから見直すべきだと思うわけです。
日本を作っているのは、日本人であり、日本語であり、歴史の影響を受けているから、そこを見据えた上で社会論争をしない限り、絵にかいた餅そのまま、現実に根をおろしていない安易な「あるべき論」の応酬になるだけです。
「真の民主主義」が根付かないのはなんでだろうじゃなくて、私たちには、そんな上辺だけの偽物を拒否する、生活に根差した太い歴史が流れているんですよ。
温故知新ですよ、温故知新。
その学び直しには絶好の機会だと思うわけです。
先日、ネットで、教育論争の中で、「古文と漢文をなくして英語の時間を増やすべき、なぜなら現代社会では『いとをかし』なんて言わないからだ」なんて意見を見て、これが江戸時代で私が侍なら、刀抜いてぶった斬ってるだろうなと思ったので、あの時代に生きていたら、先頭切って攘夷浪人になっていたんでしょうけど。