3つのコロナ禍


鍋はさすがにないと思いましたが。


ここ最近、ツイッターなどで、「コロナ鍋」という言葉が流行しています。

Googleで「コロナ鍋 レシピ」などと検索している人も多数いるらしい。

一体何かと言うと、「コロナ禍」の禍という字が読めなくて、鍋だと思っている人が多数いる(いた)みたいです。

とある意識高い系の人が、コロナの影響で経済がどうのこうのと熱い分析をしていたのですが、その文中に、コロナ鍋という単語が複数回登場して、鍋という字は「カ」と読まないわけではないのですが、変換候補には普通登場しないので、変換ミスじゃないだろうということで、ツイッターでは大盛り上がりになりました。

そうして検索してみると、コロナ鍋も一定数いるのですが、コロナ渦(うず)という間違いは相当数出回っているみたいで、大手マスコミの記事などにも登場するらしいです(今は全部しれっと訂正済みらしいです)。

まあ、WHOのテドロス事務局長のような、「渦中の人」という場合はこっちの字を書くので、分からなくもないし、おそらく私も気づかずに読み飛ばしていたものもあるだろうから何も言えないですが、コロナ鍋はないな。

コロナ禍という言葉をみて、コロナ鍋って何だろうってなって、Googleで「コロナ鍋 レシピ」と検索する流れは面白いですね。

というネタ記事です。

とは言え、こんな短い文字数で終わりたくないので、禍という感じを調べてみました。

漢和辞典は3つ持っているので(自慢)、漢語林、漢辞海、漢字源の3つを調べてみると、諸説あるらしく3つとも結構勝手なこと書いていて、どれが本当なのかよくわからないのですが、漢字源の説が面白いので紹介します。

禍の左側のしめすへんは神様の意味ですが、右側の咼という字は、冎+口らしいです。

そして、冎というのは、骨と骨がつながる部分、ボール&ソケット構造、オスメス構造を意味しているらしく、片方の骨の丸い穴に、もう片方の骨の丸い部分がはまり込むことからこのような字になっているそうです。

そこで、

禍:神が開けた丸い穴
鍋:丸い容器
渦:うず
蝸:かたつむり
過:障りなく動き、勢い余って行きすぎる意だそう。

などというグループを形成していて、

さらに、

同系統でまさに、骨という漢字があり、滑(スベル、ナメラカ)というのも、関節のスムーズな動きが語源と書いてありました。

そして、禍という字が出てくる故事成語を調べると、

禍転じて福となす
禍福はあざなえる縄の如し

的な有名なものしかない。

病は口より入りて禍は口から生ず

なんていうのは、コロナ鍋のことかもしれませんが。

有名なものしか出なかったので、戦国策に何かあるかなと探していると、

禍をなして福を求む

というものがありました。

これは、中国の戦国時代、趙、魏、韓、燕、斉、楚の6か国が合従連衡を形成し、大国である秦を攻めるわけですが(今テレビのキングダムでやっているのより前の話)、一向に成果が上がらないまま、合従連衡論者であった蘇秦が死にます。

その時、小国の韓に、論客張儀が乗り込んできて、合従連衡からの離脱と秦との同盟を説くわけです。

他の大国の手先になって秦と戦ってどうするんだと。

秦のライバルである楚に対して地理的に有利な土地が韓であり、その地の利を生かして楚を攻め、秦に恩を売るのが国家100年の計であり、接する大国に恨みを残すような行為をして何がしたいのかと。

そこで言うわけです。

禍をなして福を求むるは、計浅くして怨み深し

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当てはまるのは、ここ最近の政治家かそれとも評論家たちかはさておき、なかなか面白い言葉ですね。

他にないかなと思っていたら、自分がマーカーを引いた故事が出てきました。

それが、禍は関係ないですが

怨みは深浅を期せず、それ心をそこなうに於いてす

というもの。

これは、戦国時代の中山という小国の王である中山君が、国中の名士を集めて宴会をしたのですが、たまたま羊のスープが足りなくなってしまい、司馬子期と言う人にだけ回らなかったのでです。

そして、その後この司馬子期と言う人は、楚に亡命し、楚を焚きつけて中山を攻撃させることになるのです。

大国たる楚に攻められてはひとたまりもなく、中山君は国外に脱出するのですが、その時に、ほこを手にした男が二人追ってきます。

何者かと聞くと、以前、中山君より食料を恵んでもらい、餓死を免れたものがいる、自分達はその者の倅である、中山君の難を聞き、今こそ恩に報いるべきと考えはせ参じたと答えるわけです。

そこで中山君が言うわけです。

与うるは衆少を期せず、それやくに当たるに於いてし、怨みは深浅を期せず、それ心をそこなうに於いてす

施しも怨みも、大小が問題なのではなく、心に届いたかどうかが問題なのだと。

そう考えると、コロナ鍋と書いた人がいても、あまりからかったりするものではないですね。

そういえば、今昔物語に、つまらない咎めをして、変なあだ名をつけられた人もいますね。

せっかくだから、本文のせて、流行りの私の解説動画も載せておきます。

今昔物語巻28の8 木寺の基僧 

今は昔、一条の摂政殿の住み給ひける桃園は今の世尊寺なり。そこにて摂政、季の御読経みどきょう行はれける時に、山、三井寺、奈良のやむごとなき学生がくしょうどもを選びて請ぜられたりければ、皆参りたりけるに、夕座を待つ程に、僧ども居みて、或は経を読み、或は物語などしてなむゐたりける。
寝殿の南面を御読経所に定めたりければ、其の御読経所に居並みてある程に、南面の山、池などのいみじくおもしろきを見て、山階寺の僧中算ちゅうざんが言はく、
「あはれ、此の殿のきだち(木立)は、異所ことどころには似ずかし」と言ひけるに、傍に木寺きでら基僧きぞうと云ふ僧居て、これを聞くままに、「奈良の法師こそなほ疎き者はあれ。物言ひはいやしきものかな。こだちとこそ言へ、きだちと云ふらむよな。うしろめたなきの言葉や。」と言ひて、爪弾きをはたはたとす。中算、かく言はれて、「悪しく申してけり。さらば御前をば、小寺(こでら)の小僧(こぞう)とこそ申すべかりけれ。」と言ひければ、ありとある僧ども、皆これを聞きて、声をはなちておびただしく笑ひけり。
 其の時に摂政殿、此の笑ふ声を聞き給ひて、「何事を笑ふぞ。」と問はせ給ひければ、僧ども、ありのままに申しければ、殿「これは中算がかく言はむとて、基僧が前にて言ひ出したる事を、いかでか心を得ずして、基僧が案に落ちてかく言はれたるこそつたなけれ。」と仰せ給ひければ、僧ども、いよいよ笑ひて、それより後、小寺の小僧と云ふ異名はつきたるなりけり。「あぢきなく物咎めして、異名つきたる。」とてなむ、基僧くやしがりける。此の基僧は、木寺に住みけるによりて、木寺の基僧とは言ふなり。
中算はやむごとなき学生なりけるに、またかく物言ひなむ、をかしかりけるとなむ語り伝へたるとや。

解説動画