百人一首解説その8:素性法師(21番)と赤染衛門(59番)


百人一首解説のその8です。

今回は、恋の歌ですが、いずれも女性視点の歌で、意中の男が来ると言ったから待ってたのに、来ないまま夜が明けてしまったときの心情を詠んだ歌です。

しかし、一方は素性法師という男性が女性の立場になって詠んだ歌で、もう一方は女性自身が詠んだ歌です。

まずは、21番の素性法師(そせいほうし、スジョウホウシではありません)の歌。

『今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな』

これは、来るといった男が来なかったときの心情を詠んだ歌という前提を知っていれば、なんとなくで訳せるかもしれませんが、少し解釈も必要です。

まずは、直訳から。

「今来むと」の「今」は「今すぐに」という意味です。

「来む」の「む」は意思の「む」。

古文の「む」は色んな意味があって難しいように感じますが、基本の意味は現代語で言うと「おう」です。

なんのことやらわからないかもしれませんが、「飲まむ」は「飲もう」です。

つまり、「酒でも飲もうかな」と一人称であれば意志、「酒でも飲もうぜ」と相手がいれば勧誘、「彼は今頃酒でも飲もう」と言えば、(かなり苦しいですが)酒でも飲んでるんだろうという推量です。

そして、「来る」も少しややこしい。

日本語の「行く」と「来る」を、英語のGoとComeと対応させてはいけないことは、結構有名かと思います。

英語の場合、会話の心理的視点から離れるのがGoで、その視点に向かうのがComeです。

つまり、「お前パーティーに行く?」「うん、今から行くよ」を英語にすると、Are you coming to the party? とYes I’m comingです。

心理的視点はパーティーだからです。

もちろん、一緒にいるのにいきなり帰り始めた友人がいて、「どこ行くんだよ?」「今からパーティーに行くんだよ」であれば、Where are you going?とI’m going to the partyです。

心理的視点は、現在の居場所だからです。

それと似たようなややこしさがこの歌にはあって、視点が自分ですから「来る」と使っているのですが、発言したのは男のほうですから意志の「む」がついています(それとも平安時代は行くと来るが英語と同じだったりして)。

無用に長い説明をしましたが、「今来む」は、現代語で言うと「すぐにいくつもりだよ」です。

「言ひし」の「し」は過去で、「言った」の意味です。

以上、「今来むと 言ひしばかりに」は、「すぐに行くよとあなたがおっしゃったばかりに」です。

長月というのは、旧暦の9月で、夜が長くなってくる秋の夜長の夜長月。

有明の月というのは、夜が明けても空に見える月のことで、朝方に見える月のことなのですが、和歌の世界では、男女が一夜を共にし朝別れた時に見るもので、夜を思い出させる余韻、夜が明けたのに残ってるという取り残された感、本当に夜が明けたんだろうかという気持ちが整理できない・追いつかない感、といった余情を感じさせるキーワードです。

現代人であっても、若いときに徹夜で遊んで、朝方に月をみて切ない気持ちを抱いたことくらいあるはずです。

「待ち出でつるかな」の「待ち出で」は、待つ&出てくるという意味で、「つる」という完了の助動詞が付いていますから、「待っていたら、出会ってしまったよ」となります。

以上、

『今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな』

の訳は、

今からすぐにいきますよとあなたがおっしゃったばかりに、(その言葉を信用してあなたを待っていたら)、まるでそっちを待っていたかのように、九月の朝方の月に出会ってしまいましたよ。

となります。

基本的にこれで良いのですが、それだけだと、ちょっと待った、となります。

この女性(詠み手は男性ですが)、来ると言った男を待っていた時間はどれくらいでしょうか。

ここで、一晩と答えてしまうと、古文のセンスがないと言われてしまいます(ちなみに私は理系人間ですから、こういうのは言われないとさっぱりわからない側です)。

この女性は、何日も何か月も、ずっと待ってるんです。

そして、気が付いてみたら夜が長い9月になってしまったんです。

また、有明の月というのは、朝方に見える月ですが、月の満ち欠けを基準にした陰暦の場合、16日以降は徐々に月の入りが遅くなっていき、特に20日以降は月が朝方も残るようになります。

このように、長月という言葉や有明の月という言葉の両方に、あなたが来るのを待っていたら、いつのまにやら夜の長い晩秋になってしまい、さらにその長い夜を待ちながら過ごして朝になった、という時間の経過を匂わせる要素があるわけです。

長々と待ちくたびれた後に、晩秋の朝方にぽっかり浮かぶ月をぼーっと眺めている姿に趣があります。

以上を踏まえて訳すと以下のようになります。

『今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな』

夜になったらすぐに行きますよとあなたがおっしゃったばかりに、私は真に受けて気長に待っていたのですが、いつの間にやら夜が長い季節になってしまい、あなたを待っていたはずなのに、秋の夜長の長い夜も過ぎて朝になってしまい、有明の月を待っていたかのようになってしまいましたよ。

となります。

洒落た巧い歌ですね。

そして、この歌のもう一つのポイントは、男性が詠んだ歌という点です。

この素性法師は歌名人ですが、女性のリアルな感情を詠んだというより、女性の視点で詠む体で、ただ単に風流で洒落た歌を詠んだ感じがします。

女性の恨みを代弁するわけではなく、あなたを待っていたら有明の月が出てきましたなんて、風流でおもしろいでしょ、といった他人事感が漂っていて面白い歌です。

次は、59番の赤染衛門(あかぞめえもん)という人の歌ですが、女性が詠んだ歌です。

赤染衛門というと男のようですが、赤染時用(ときもち)という人の娘で、右衛門尉(うえもんのじょう)という役所の役人だったため、このような呼ばれ方をしています。

歌は下記です。

『やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月をみしかな』

これもシンプルな歌です。

「やすらはで」の「やすらふ」は、受験古文の重要語で、ということは語感のイメージと意味が違うということですが、「休む」が語源でその意味もあるのですが、基本的に「ためらう」とか「ぐずぐずする」という意味です。

すなわち、「やすらはで」というのは「ためらうことなく」の意味です。

「寝なましものを」の「まし」は仮想現実の助動詞で、仮想現実なんていうと大げさですが、「寝てたものを」すなわち「寝てたのに」という意味です。

つまり、「やすらはで 寝なましものを」というのは、「ぐずぐずせずに寝てたはずなのに」の意味です。

したがって、そもそもの前段に、「あなたが来るって言わなかったら」を補ってあげる必要があります。

以上から、(あなたが来るって言わなかったら)とうに寝てたはずなのに、という訳になります。

さ夜ふけての「さ」は語感を整えるだけですから、そのまま、「夜が更けて」の意味です。

「かたぶく」は「傾く」で、月が西の山に沈んでいく様子、つまり、月の入りを意味します。

「月をみしかな」はそのまんま「月を見ましたよ」です(「し」は過去)。

以上、

『やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月をみしかな』

を訳すと、

あなたが来るなんて言わなかったら、とうに寝てたはずなのに、あなたを待つうちに夜も更けて、傾いて山に沈んでいく月をみましたよ。

となります。

さて、この歌の鑑賞上のポイントはなんでしょうか。

それは、終始冷静な点です。

上の素性法師による、所詮は他人事という風流な歌との対比では、女性による、「待ってたのにー!」から「もう朝になっちゃったじゃないかバカヤロー」と言った強烈な恨み節の歌があれば面白かったんでしょうが、さすがに百人一首にはありません。

そういう視点で考えると、この歌も非常に風流で、「こんなことなら寝てたのに」という率直ながらも決して強烈ではない表現でやるせない気持ちを吐露し、続いて「夜も更けて沈む月を見ましたよ」と、抑揚の無い穏当な表現でやんわりと恨みを伝えています。

要するに、最初から最後まで、大したことではなかったかのように、取りすましているわけです。

そこを面白いと思うかどうか。

この、強烈な恨み節を書きつけるのではなく、すました態度でやんわりと思いを伝える点をもって、男性目線全開で、「この歌には女性特有の拗ねたような愛くるしい媚びがあって趣がある」なんて言おうものなら、フェミニストたちに袋叩きにされるのでしょうが、そういう解釈も可能です。

念のため別の解釈をしておくと、軽薄な浮気男に付き合って感情をむき出しにしたりせず、やんわりとたしなめる点で、女性特有の知性と冷静さを感じさせる点に趣があると解釈してもいいでしょう。

冗談はさておき。

大事なことは、「こんなことなら寝てたのに!月が沈むまで起きてる羽目になっちゃったじゃない!」という歌ではなく、「とうに寝てたはずなんですけど、山に沈んでいく月を見ることになってしまいましたよ」と落ち着いた表現をしている点です。

やるせない思いを抱きながらも、感情をあらわにはせず、何事もなかったかのように事情を伝えつつも、夜更けの沈みゆく月を見る姿に余情を感じさせるところが、名歌と言われるゆえんです。

才女として名高い逸話を数多く残している人らしい歌です。

以上、来ると言った男を待っていたのに、結局来ないまま夜が明けてしまったときのやるせない女心を、男が女性の立場に立って詠んだ歌と、女性自身が詠んだ歌でした。