Netflixの新作ドキュメンタリー『不自然淘汰』を観た感想


これは必見。面白いし、いろいろ考えさせられました。

一昨日、ネット上で少し話題になっているNetflixの新作ドキュメンタリーの『不自然淘汰』を観ました。

夜中に見始めたのですが、面白くて全4話一気見してしまいました。

これは、会員じゃない人もぜひ無料体験に入って観た方が良いです。

日本語版の予告編はまだ無し

非常に考えさせられたので、私なりのポイントを紹介します。

まあ例の如く、私はこの分野の専門家でもないし、頭の中で勝手に補足する悪い癖があるので、ご注意を。

まず、この『不自然淘汰』というのは、最近話題のゲノム編集技術、CRISPR(クリスパー)に関するドキュメンタリーです。

もっとも、CRISPRを開発した、ノーベル賞確実と言われる研究者だけに焦点を当てたり、技術を詳細に解説するというより、この最先端のバイオ技術にかかわる多様な人物を追跡し、色んな立場や思想を雑多なまま紹介し、観た人にとって考えるきっかけになるような構成にしてあります。

作った人は、CRISPRの紹介をしたいのではなく、この技術に関する議論を巻き起こしたいんだと思います。

そして、その試みは大成功している気がする。

この、CRISPRという技術、ゲノム編集なんて言われていますが、要するに、人間の遺伝子を自由自在に変えることができるようになったというすごい技術革新です。

DNAの中の特定の個所に、特定の遺伝子を放り込むことができる。

もちろん、人間には約3万ほどの遺伝子があり、どの遺伝子を変えるかと言った具体的な部分には、これからの臨床的な応用研究を待つ部分が多いのでしょうが、原理原則の部分では、近い将来のどこかで人間の遺伝子は自由に変えられることが確定したということです(原理的には)。

具体的に言うと、まず、遺伝的疾患。

これは、特定の遺伝子が異常であることから生じるわけですが、CRISPRによって、こういった遺伝的疾患は近い将来必ず直せることが確定したといっても過言ではないです。

『不自然淘汰』の中でも、数名、先天的な遺伝子の異常により、体が動かないとか目が見えないといった遺伝的疾患に苦しんでいる患者が登場します。

遺伝子の異常というのは確率としては稀ですが、仕組み上時々起こります。

そして、遺伝子というのは、タンパク質の設計書であり、遺伝子に異常があるというのは、体内で特定のタンパク質が作られず、体の仕組みのどこかが上手く機能しないことになります。

しかし、私たちは、どの遺伝子も、父親由来と母親由来の2種類を持っていますから、片方が異常だったとしても、もう片方が正常であれば、そちらが機能するので問題は起きません。

逆に言うと、問題が起きてない人の場合、両方とも正常の人がほとんどですが、まれに片側に異常がある人もいます。

そして、偶然、片側に異常がある人同士が結婚し子供を作ったときに、精子と卵子にどちらが行くかは2分の1ですから、4分の1の確率で、両方とも異常がある子供になってしまい、発病してしまいます。

しかし、こういった遺伝的疾患の場合、どの遺伝子が問題になっているかはわかっているので、CRISPR技術を使って、その異常遺伝子部分を正常な遺伝子に置き換えてあげれば、必ず治ることになります。

もちろん、対象が細胞1個の受精卵ならまだしも、患者が無数の細胞からなる成熟した個体の場合、各疾患ごとに臨床的な治療方法を開発しなくてはいけませんが、根っこの理論の部分では、治せることになります。

しかし、話は病気の治療だけでは終わりません。

遺伝子を自由に変えられるわけですから、人間のさまざまな性質を、遺伝子の部分から変えることも可能になります。

記憶力をよくする、足を速くする、筋肉質な体にする、等々、全部の遺伝的な原因が分かっているわけではないですが、原理的には、病気の治療だけでなく、人間としての能力の向上・増強も自由自在にできるようになるわけです。

そして、ドキュメンタリーの後半で登場しますが、無数の細胞からなる大人と違って、受精卵のゲノム編集は容易なので、デザイナーベイビーは本当に自由自在にできるという段階がすぐそこまで来ています。

NYに実際に存在する、赤ちゃんの瞳の色を指定できる産婦人科が登場します。

美容整形の議論と同じですが、ここに、倫理的な議論があります。

科学技術を使って、持って生まれた自分を自由に改造していいのか、自己責任であれば何してもいいのか。

また、大人の自己決定ならまだしも、生まれてくる赤ちゃんに関して、人工授精卵にCRISPRでゲノム編集して、デザインされた赤ちゃんを作ることは許されるのか。

『不自然淘汰』では、技術的に何ができるのかを紹介しつつ、こういった倫理的な論点も掘り下げていきます。

しかし、単なる思想的な対立で済まさず、その対立を根底から揺るがすまったく別の新しい軸を持ってきているからこそ、このドキュメンタリーはすごいとも言えます。

それが、バイオハッカーと呼ばれる人たち。

このバイオハッカーの取材にかなりの時間を割いています。

バイオハッカーというのは、語弊を恐れずに簡単に言ってしまうと、野良の生物学者達。

自宅のガレージとかで実験している人達。

まずメインで登場するのはNASA出身で大学の教職を持つ人ですが、この人は、自宅等でゲノム編集実験をしたい人用に実験キットを作って、ネットで売っています。

自宅のキッチンで仲間とあれこれ生物実験して、その様子やノウハウをSNSで公開しながら、世界中のバイオハッカーたちに同じ実験ができるようなキットを販売しています。

そして、そういったキットを買って、自宅で実験して、成果をYoutubeに上げたり、結果をFacebookで共有したりしている人達がアメリカにはたくさんいます。

ゲノム編集技術で、クラゲとかが持っている蛍光遺伝子を受精卵に組み込んだりして、蛍光に光るカエルを作ってSNSにアップしたり。

『不自然淘汰』では、アメリカの片田舎で一人バイオ実験に取り組む、犬のブリーダーの人が登場します。

この人は、学位どころか高卒認定をなんとかとったという学歴なのですが、家庭も仕事も持ちながら、空き時間にガレージで熱心に実験をし、何とかして、蛍光に光る犬を作ろうとしています。

こんな感じで、革新的過ぎて、倫理的な整理が全然なされていないCRISPR技術に関して、アメリカでは無数のバイオハッカーたちが、規制が無いのをいいことに、自宅のガレージなどで、実験を繰り返しています。

これは、ある意味、テロリストが生物兵器などを開発している現状に鑑みると、非常に恐ろしい事態で、草の根運動的に無数のバイオハッカーたちが日々研究に取り組み、結果をSNSで公表・共有したり、さらにお手製の実験キットやサンプルDNAなどの素材を売買しています。

ただ、このバイオハッカーたち、頭のイカレた連中かと言えばそうではありません。

彼らには彼らの信念があり、それは、「技術の民主化」という思想です。

それを裏付けるような事態が起きます。

CRISPR技術により、従来は治療困難だった遺伝的疾患の治療法が登場します。

この作品では患者が二人登場しますが、知能は正常なのに、生まれつきほとんど動けず、しかも年々ひどくなり、寝たきりの24歳の青年と、生まれつき目がほとんど見えず、しかもいずれは失明することが明らかな8歳くらいの少年。

共に、CRISPR技術で治療法ができるのですが、費用が高すぎるのです。

両親とも、子供のために、家どころか全財産投げ出す覚悟なのですが、一回1億円の治療が数回、しかもその後投薬で永久的に毎月1千万円かかるとか、覚悟だけではどうにもなりません。

バイオハッカーという人たちは、こういう状況と闘っているわけです。

CRISPRのような、人類の未来を大きく変えるような技術が一部の大手製薬会社に独占されてたまるかと。

治療法がありながら、高額で利用できないなんてことがあっていいのかと。

この手の話には、以下の本が必読です。

遠洋航海技術の発展による大航海時代だけでなく、IT革命、仮想通貨革命、そして、CRISPR革命など、革新的な技術が新しい世界を切り開くと、その新世界で、規制が無いのをいいことに、好き勝手やる連中が登場します。

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彼らは海賊と呼ばれ非難にされされますが、実は、海賊がいないと、新技術と新世界は、既存権力にそのまま支配されてしまいます。

そして、この海賊たちが新世界で既存権力と大戦争することで、新しい社会秩序が登場したり、新技術の恩恵が世界全体に早く広がったりした側面があります。

現在、海賊たちの主戦場の1つがバイオ技術で、強大な資本力を持つ大手製薬会社が、既存の地位と資本力を生かして大規模な研究開発を行い、次から次に特許を取得することで、誰も競争できないし、画期的な新薬が出来ても言い値で買うしかないような状況になっています(その反面、役員は数百億の給料をもらう)。

その状況を、資本主義という仕組みの中で政治が変えるのは事実上不可能であり、何とか食い下がって便益を民衆にまで降ろせるのは、無数の一般人からなり、グレーゾーンで暴れ回る海賊しかいないとも言えます。

そういった、「革新技術の民主化」を掲げているからこそ、バイオハッカーたちは、批判をものともせずに、日夜自宅のガレージで研究に邁進しています。

自分達自身でできるようになれば、大手製薬会社の独占を防げるようになります。

したがって、このバイオハッカーたち、最初はアブナイ連中にしか思えなくても、ドキュメンタリーが進むにつれて、だいぶ見方が変わってくるのですが、非常にまともな人達であることもしっかり描かれています。

少なくとも、信念をもって活動しています。

しかし、ここで、倫理観にもいろいろあることが明らかになります。

CRISPRが民主化し、個人個人が、病気を治すだけでなく、自分の能力向上のために技術を使用する未来。

それに対しては、一人一人が幸せになれるなら全然いいじゃないか、一部の大企業や権力者に独占されて秘密裏に使われ、外見など種々の差別の固定化に使われるよりよっぽどいいと言います。

この、道徳的倫理観については、バイオハッカーの人たちはかなり自由主義者、進歩主義者で、確かに異論も多いかもしれません。

しかし、そういったバイオハッカーたちも、科学倫理はしっかり持っています。

それは、十分な研究を積み重ねてから応用するという倫理。

ガレージであれこれやっているのですが、ろくに研究もしないまま、病気が治るかのように人間に試したりすることには反対です。

道徳倫理的には、病気の治療だけでなく、人体の性質向上に使ってもいいじゃないかとは考えているのですが、ただ、それは十分に方法論が研究された後の方向性の話であり、ろくに調べないまま人体実験などをを行うのは間違っている、という立場です。

しかし、案の定、そういう輩が出てくる。

難病に苦しみ、藁をもつかみたい病人相手に、製薬会社の臨床的な検証なんて待っていたらいつになるかわからないし、高額な費用も掛かるなんて話します。

しかし、研究用サンプルなら今ここにあり、リスクもあるがもしかしたら治るかもしれない、なんて。

バイオハッカーのリーダー格たちは、そういうのを知り、「何をやってるんだコイツ等は?」となるのですが、個人個人で勝手にやってる話ですから止めようもないです。

しかし、自分達の技術提供や情報共有が影響を与えているとも言え、大きく悩むことになります。

でも、だからといって「みんなで既存権力の作った規制に従いましょう」という考えだけは受け入れられないので、悩みは深いです。

このように、新技術が巻き起こす倫理的な議論と言っても、複雑な様相を見せていて、非常に考えさせられます。

もう一つ登場する軸が、科学と民主主義の共存の話。

二つの地域が登場します。

アフリカでマラリアに苦しめられていて、誰もが年に1回はマラリアにかかるという地域。


この本も面白い。

外来のネズミが大増殖し、土着の動物の多くが絶滅の危機に瀕している、ニュージーランド。


飛べない鳥キウイ。こんな鳥が外来ネズミに襲われまくっている。

ここで、CRISPRを使って、不妊のような遺伝子操作を施した蚊やネズミ地域にばら撒くことで、異常な遺伝子を拡散させ、最終的に蚊やネズミを絶滅に追い込むという政策が提案されます。

これを、一人の科学者が熱心に進めようとするのですが、地域の同意が得られない(この人はだいぶヤバい感じ)。

なぜかと言えば、遺伝子改良した動物を野に放った時、地域の生態系にどういう影響を及ぼすかは結局のところやってみなければわからないし、何より、何が起きても後戻りできないからです。

しかし、その一方で、現状をこのまま放置して良いわけがないという意識が共有されています。

その中で、地域はどう意思決定すべきか。

ニュージーランドのマオリ族の住民たちの討論会の様子は必見でだと思います。

一人一人が太い意見を持っていて感服しました。

個人の命だとある意味議論は簡単な部分もありますが、地域社会の将来といった話になった場合、専門家が決めるべきなのか、それとも、必ずしも科学に明るくない地域住民が民主主義的に話し合って多数決で決めるべきなのか。

これも、非常に根が深い議論のような気がしました。

マラリアのような感染症の話は、日本だって他人ごとではなく、今後、外来種の駆除や感染症の媒介種の駆除のために、遺伝子改良した動物を使うという話は至る所で出てくる気がします。

このように、このドキュメンタリー、科学技術が生み出す、周辺的な倫理問題や社会問題も見事に描いています。

非常に考えさせられます。

それにしても、このドキュメンタリーを見て私が一番感心したのは、登場人物の公共意識の高さ。

一人一人考えは違えど、自分の活動は社会のために意味のある活動なんだと信じて、公共心を持って活動しています。

私は、一人の日本人として見ながら、「その考えは危険だろ」とか、「それはそうかもね」とか、いつの間にか上目線で「評論」してしまう自分に気づきました。

しかし、このドキュメンタリーの登場人物は、だいぶやばい感じの人達も登場しますが、相互にリスペクトしあって議論しています。

その根底にあるのは、多様な意見を尊重しようという上っ面のお題目ではなく、やはり、一人一人に公共のために活動するという信念があり、お互いにそこを認識できるから、「あなたと私のどっちの意見が正しいのか」という、下手したら人格の否定につながるような議論にならず、「社会がより良くなるためにはどうすべきか」という個人から一段階離れた土俵で議論しているからこそ、意見の違う人同士が討論会などで冷静に議論できるんだろうなと思いました。

見習わないとですね。

以上、あれこれ書いて、無駄に長くなってしまいましたが、見て損はないので是非どうぞ。

PS
なお、この作品観て一番最初に思い出したのは下記の本。

科学万能になった時、大人が一番望む自分の改造は子供に戻ることだったりして・・・