百人一首解説のその6です。
今回は超有名人の紀貫之(35番)と知っている人は少ない周防内侍(67番)です。
「すおうのないし」と読みます。女性です。
共に、遊び人の軽口というか、男女間のちょっとした応酬の歌なのですが、両者ともに歌の達人だけあって、なかなかしびれる歌です。
まずは、35番の紀貫之の歌。
『人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける』
「いさ」というのは、「さあ、どうだかな」の意味で、「いざ鎌倉」の「いざ」とは全く別の言葉です。
すなわち、「人はいさ心も知らず」というのは、人の心のことは、さあどうだか、分からないけどね、という意味です。
「ふるさとは」はそのまんま「ふるさとでは」。
「香に匂いける」の「香に」とはどういう意味かときかれると分法解説は困りますが、「香りを放って」の意味です(「に」は状態を表す格助詞)。
以上より、この歌の訳としては、
人の心というのは、さあどうだか分からないものだが、故郷では昔と変わらず花が咲いて良い香りを放っているなあ
となります。
これだけだと、和歌にありがちな失恋とかで傷ついた人が、故郷に帰ったら昔と変わらず花が咲いていて慰められた歌という気がしますが、違います。
この歌には前書きがあります。
紀貫之は、毎年、奈良の長谷寺に参拝していたのですが、いつも定宿にしていた宿がありました。
しかし、ここ数年は別の宿に泊まっていて、久しぶりにその宿に泊まることにしました。
そうしたら、その宿の女主人が出てきて、「ごらんの通り、ずっと宿は用意してたんですけどねえ」と、クラブのママみたいな小言を言ってきたわけです。
その時に、紀貫之が庭先の梅の枝を折って、一緒に渡したのがこの歌です。
したがって、この歌の言う「ふるさと」というのは、生まれ故郷ではなく、愛着のある場所という意味で、この宿を自分の故郷のように思ってるんだけどね、という愛着の気持ちを伝えています。
そして、もちろん、昔と変わらず咲いているのは庭の梅の花だけでなく、女主人のことでもあります。
正にクラブのママと常連客の応酬のような歌です。
しかも、歓迎の気持ちを込めて軽口を言ったママを「さすが」と唸らせるような機知にとんだ歌です。
久しぶりになじみの宿に泊まると、女主人が、「どこで浮気してたんだか」と小言を言い、それに対して、「本当に待ってたんだかどうだか」と返しつつ、「相変わらずきれいだね」とからかった歌です。
この背景を考慮すると
『人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける』は、
人の心はどうだか分からないものだが、昔なじみの宿では以前と変わらず、花が良い香りを放っているなあ(あなたの本心は分からないけど、相変わらず美しいままでだなあ)
という訳になります。
さすが、紀貫之と言った歌でしょうか。
それに対して、女主人は以下のような歌を返します。
『花だにもおなじ心に咲くものを植ゑたる人の心しらなん』
花が昔と同じように咲いてるんだから、それを植えた人の気持ちもわかるでしょ、という意味です。
まあ、こういったやり取りを感心してほめられるのも、舞台が隔世の感の強い古文の世界だからこそかもしれませんけどね。
さて、次の歌も同じような、とっさの返しにも関わらず、機知にとんだ歌です。
67番の周防内侍の歌です。
『春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ』
この歌は前提から。
春の夜に、簾の中で女子たちがおしゃべりをしています。男たちは簾の外にいて、それが平安時代の男女交際です。
そんな折り、周防の内侍が「なんだか眠くなってきちゃった、枕がほしいわね」とつぶやきます。
そうしたら、大納言忠家という人が、「どうぞこれをお使いください」と簾の下から腕を差し出してきたわけです。
それを受けて返した歌です。
「春の夜」というのは秋の夜長の逆で、短い夜を意味します。
「夢ばかり」の「ばかり」は程度を表します。
つまり、「春の夜の夢ばかりなる」は、短い春の夜のはかない夢ほどの、という意味になります。
「手枕」は「腕枕」のことで、「手枕に」の「に」は文法的には難しいですが、原因を表す「に」で、つまり「手枕が原因となって」となります。
「かひなく」は「甲斐なく」で「見合ったリターンのない」という意味ですが、腕(かいな)とかけています。
「立たむ」の「む」は推量で、「立つであろう」の意味。
「名」は「浮き名」で、「惜しい」は「口惜しい」です。
以上より、
『春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ』とは
春の短い夜のはかない夢のようなちょっとしたうたた寝に、あなたの腕枕をお借りしたばかりに、私の浮き名が流れでもしたら、まったく甲斐がなくて、口惜しい限りですよ
という意味になります。
これだけだと、実際に春の夜であるし、甲斐なくとかいな(腕)をかけていて、機転は利いていますが、軽妙な返しと言うだけ。
この歌に埋め込まれたポイントに気づくでしょうか。
私は理系の割には古文が得意な方だったのですが、こういうのがさっぱり分からないからこそ、文系の才能はないとあきらめていました。
この歌、「夢」と「枕」と「立つ」が縁語となっていて、微妙に連携しているのです。
この3つがあることで、意中の人(みほとけ)がいることが、言外に匂ってきます。
あの人との浮名が立つなら本望なんだけど、あんたとの浮名が流れるのは、甲斐が無くて口惜しいからいやだ、と言っているわけです。
正に歌の達人の当意即妙な歌で、紀貫之の方はちょっとチャラチャラしすぎですが、こちらは才女感が半端ない感じがします。
達人の二首でした。