映画『True Grit』を見た感想


久しぶりに映画感想文を。

先日、久しぶりにお気に入り映画『True Grit』を観て、しみじみ感動したので、感想文を書いてみます。

なお、『True Grit』は私の大好きな映画ベスト3に入る作品のひとつで、AmazonのPrime動画で見れます。

この映画は、2010年公開、コーエン兄弟監督、スピルバーグ製作総指揮の作品で、アカデミー賞の確か10部門にノミネートされた作品で、当時大絶賛された映画です。

ジェフ・ブリッジスとマット・デイモンという二人の名優の名演技が光るだけでなく、美しい映像に美しいBGMと、文句なしの傑作です。

しかし、日本版の予告映像がひどかったり、DVDの表紙など全体的に地味な印象のため、いまひとつ話題にならなかった感があり、映画マニアを除き、コーエン兄弟好きの人の中にも、見てない人がいたりする作品です。

ストーリーは、南北戦争後のアメリカを描く西部劇といってよく、父親をならず者に殺された14歳の娘が、ジェフ・ブリッジス演じる乱暴者で悪名高い保安官を雇い、仇敵を追跡する旅を共にするというものです。

そして、その旅に、その男を別の理由で追跡しているマット・デイモン演じるテキサスレンジャー(テキサス州の警察官みたいなもの)が絡んでくるというものです。

この映画を一言で言うと、復讐劇です。

しかし、私は、この映画のテーマは、復讐と正義だったり、より上位の因果応報といったものではないと思います。

もちろん、そういったものが描かれていないとは言いませんが、そのテーマを描こうとして登場人物がデザインされているとは思えませんし、そうであるなら私はここまで感動しません。

あくまでテーマは、「生きる」ということであり、因果応報的な世界を表現したいのではなく、自分の人生の起こる出来事を受け止めて強く生きる人間の姿に焦点が当てられています。

そのため、話は淡々と展開し、セリフも、各登場人物の性格に忠実なその場限りの発言だらけで、考えさせられるようなセリフや言葉の応酬があったりするわけではありません(ないわけでもないですが)。

特定のテーマを観ている者に伝えようとするセリフがあって、それを言いそうなキャラがデザインされているという感じではなく、描きたい人物が先にあり、その人物が言いそうな発言がセリフとなっています。

しかし、この映画に登場する人物、いずれも曲者ばかりですが、誰一人自分の運命を嘆いたりしません。

欠点だらけの人間たちですが、皆堂々と生きており、生きざまに清々しい美しさを感じさせます。

その点こそがこの映画の最大の魅力です。

当時のアメリカは、法律の原形のようなものはあり、裁判が行われたり保安官がいたりしますが、見世物的に絞首刑が行われたり、すぐに銃で撃ったり、現代と比べると遥かに社会はルールもインフラ整備されていません。

人々は、まだまだ未開の社会を、大自然の中で逞しく生きています。

現代社会は、優しさ地獄とか友達地獄とか言われますが、とかく他人に配慮して生きることが求められます。

もちろんその根底にあるのは他者の尊重ですが、相手を傷つけないことが重視される一方で、壊れた関係の修復は過少評価されています。

他人に注意深く配慮する半面、うっかり不用意な発言をしてしまったりすると、他人の気持ちをわからない人非人として徹底的に糾弾されます。

しかし、コミュニケーションには両輪があり、他者を尊重することも大事ですが、何かあったときに関係を修復し、その結果、より強固な信頼関係を築ける場合もあります。

衝突を避けることも重要ですが、衝突を乗り越えてより強固な関係を作ることも重要です。

しかし、衝突を避けることに過大な労力をさく一方で、一度衝突するとダメージが大きすぎて、取り返しがつかなくなることが多いのが現代社会です。

また、他者への尊重の延長で、弱者への配慮が求められ、福祉国家的な考えと結びつき、人を傷つけないような社会、弱者を生み出さないような社会を作り出そうと躍起になっていて、人はその社会の一員として行動することを強要されています。

自由が強調されつつも、人や社会はこうでなくてはならないという強固なルールが出来上がっていて、その範囲内での限られた個性しか許されません。

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そして、何かにつけて、「他人に配慮できない人非人」と「弱者を生み出し救うことのできない間違った社会構造」がクローズアップされます。

その影響を受けてか、私たちにも、傷つけられれば傷つけた人を糾弾し、生活に問題を抱えると社会を糾弾する権利が与えられています。

しかし、この映画に描かれる時代やそこで生きる人々はそういった我々とは違います。

現代人と比べると、未開で粗野な人物ばかりですが、1人1人が好きなように生きていて、全員自己中心的ではありますが、裏切ったり喧嘩したりしながらも、他者を他者と認めて受け入れています。

他者をバカにしたり喧嘩したりしますが、その物差しは自分の価値観であり、あるべき社会像から演繹される特定の価値観ではありません。

社会がまだまだ未開なため、どういう社会にすべきでそのために人はどう生きるべきかという寄り掛かれる価値観もなく、その結果として、一人一人が自由に生きながらも、自分の人生を自分の行動の結果として当たり前に受け入れています。

現代社会のように、そのルールを守ることで自分の生き方が正当化されるようなルールはありませんし、ルールに反している者を批判することで自分の生き方を肯定するような生き方はできません。

人間が違えば生き方も違い、その結果生じる軋轢など当然であり、正しい生き方なんてものがないからこそ、衝突だらけの世の中を自尊心をもって力強く生きています。

だからこそ、この映画、登場人物は皆、自己中心的というか自己愛の強い曲者ばかりですが、誰一人自分の運命を嘆いたりはしません。

自分の意思に基づいて行動し、その結果を自然に受け入れ、後ろを振り返らず、気概を持って生きていきます。

現代社会に疲れ切っているせいか、その生きざまに強く心を打たれます。

他人を傷つけていけないし、弱者にやさしい社会も必要です。

しかし、自分が傷ついているのは誰かに傷つけられたからであり、自分が不幸なのは社会構造に問題があるからと、声高に叫ぶことに違和感を覚えるのは、現代人にわずかに残った尊厳でしょうか。

確かに、世の中、自分の思い通りにならないことばかりで、どんな悩みも、その根底には自分ではどうにもできない「自分以外」があります。

誰だって、職場、学校、家族など、環境にがんじがらめにされています。

しかし、自由な自分がいるのも事実。

自分なりにこう生きると決めたからには、いかなる代償を払おうとも、そのやり方で最後まで生き抜きたいものです。

そういった気概のある生き方のすばらしさを教えてくれるのがこの映画です。

人は欠点だらけでも誰からも理解されなくともTrue gritを持っていれば美しく生きることが出来ます。

こう書いてくると、自分がこの映画を好きな理由が自分でわかってきましたが、『兎の眼』や『ベターコールソウル』と同じものを私は見ているのかもしれません。

人間の美しさは抵抗することにあると。

なお、全編を通じて景色が美しく、BGMも素晴らしいです(メインは『Leaning On The Everlasting Arms』という讃美歌)。

まだ観たことない人は是非どうぞ。