なんだかすごい決着になってきましたね。
ちなみに、この問題について、私は何回かいろいろ書いてますが、素人のたわごとでろくに調べもしないで書いてますから、ご注意くださいね。最近、検索経由で読んでる人がいることに気づいて焦っています。
決着見込み
どうやら限定付適正意見で決着しそうですね。
損益計算書が7000憶も間違っているけど、貸借対照表はあってるから、限定付適正意見というのもすごいですね。
何がどう適正なのかさっぱりわかりません。
テストで50点だった時に、間違えた50点を除くという限定付ではあるが、全体として適正でした、なんて言いますかね。
90点とか、95点とかの時につかうんじゃないのかな。
ただ、これが、3者が出した落としどころということでしょうか。
限定付であっても適正意見だから、東芝も上場廃止にならず、そうすると、監査結果をめぐる法的責任論は登場しない。
とすると、あらた監査法人と新日本監査法人の両者は意見が異なったけど、それ以上でも以下でもなく、お互い訴訟に巻き込まれずに済む。
三方良しとでもいう気か。
絶対にどこかがこの騒動の責任を取らなきゃおかしいだろうに。
東芝
そもそも論からいうと、東芝がまだ上場していることがおかしい。
16年3月期の時に上場廃止にすべきだっただろうに。
ウルトラCで虎の子の先端医療部門をキャノンに売却しないと債務超過は免れないなんて言う時点で、これは再生案件。
国にとって無視できない企業なんだから、東芝の資産・経営資源を仕分けして、国益の観点、場合によっては公費で救済も加味した再生計画を早い段階で立てるべきだったと思う。
上場廃止にして潰せばよいじゃなく、上場廃止にして、しっかりと必要な部分は救済、不要な部分は閉鎖、とすべきだったと思います。
ああいった状況にもかかわらず、東芝という看板の存続のことだけを考えるサラリーマン経営陣が登場した時点で誰かが引導を渡すべきだったでしょう。
非上場になっておけばそもそも半導体事業の売却なんて話も必要なかったのに。
このまま自主的な経営再建の名のもと民間主導で会社資産がバラバラにされるのだけは防がないと。
新日本監査法人
ここもひどい。
報道によるとS&W買収時点で、7000億円の追加工事費用の見積もりはあったらしい。
しかし、東芝から、工事計画の見直しやコスト削減対策で、追加工事費用をゼロにするという計画が出されたとのこと。
同時に、東芝経営陣は、「追加工事費用を大幅に削減できると見込んだからこそ買収したんだ!」などと強くいったのでしょう。
そして、追加工事費用の見積もりゼロで監査を通し、1年後やっぱり7000億円の損失発生。
確かに会計・監査的には、決算時点での見積もりが合理的なのかどうかが問題なので、コスト削減計画がうまくいかなかった結果、やっぱり追加費用が発生してしまったというのはありうる。
決算時点での見積もりが合理的なのであれば、実績とずれても何の問題もなし。
また、事後的に見積りの精度を問うのはズルい。
ただ、どう考えても、7000億円をゼロにしたのはおかしいだろうに。
これを読むとわかりますが、16年3月期の時点で、原発部門の損失をめぐっては相当内部的に紛糾しています(この本は本当によく書けてる)。
7000億円をゼロって、工期の遅れで訴訟にまでなってた工事で、どうやって追加工事費用をゼロにするつもりだったんだろうか。
監査的には、大人の判断として、何千憶かは見積もりを維持させるだろうに、ゼロで監査通すとは・・・
あらた監査法人
ここもおかしい。
どうして監査を引き受けたのだろうか。契約締結時の調査で何を調べたんだろうか。
また、監査にあたって、東芝の会計監査リスクをどのように評価して、どのような監査計画を立てたのだろうか。
上記日経ビジネスの元記事をはじめとして、原発絡みの推測報道はすでにたくさんあっただろうに。
第1四半期、第2四半期とろくに手続きもせずに見事にスルーして、第3四半期になって突然大騒ぎ。
不正があったと主張して、会社に20億円ものコストの調査をさせて、何も出なかったら今度は前期が誤謬と騒ぎ始める。
これたぶん、訴訟リスクを恐れて、リスク回避行動がどんどんこじれていった結果なんじゃないだろうか。
大企業の監査なんて、帳簿を全部ひっくり返してみるなんてとてもじゃないけどできないので、リスクアプローチと言って、リスクの高いところから重点的に監査をしていくしかない。
そして、合理的な監査手続きをしていたのであれば、予想外の損失がでたって、何も間違ってない。
リスクを低いと見積もったところで不正が行われることもあるし、その場合だって、リスクを低いと見積もった判断が合理的であればなにも問題はない。
監査計画の策定時点での、自分たちの判断が合理性なら、何の過失もない。
そうはいっても、第3四半期にとつぜん7000億円の損失の発生を知らされて、相当パニクったのでしょう。
原発関連のところをハイリスク領域として期中からじっくりモニタリングしてこなかったことに後ろめたさがあったんでしょうね。
そこで、ルサンチマンをこじらせ、絶対不正があったに違いないと強硬に主張して調査の要求。
しかし20億もかけて調査してもなにも出ず、焦りはマックスに。
しかし、そこはアメリカ法人。
一気にゲームの達人の世界へ。
不正から誤謬に一気に舵を切る。
東芝と新日本監査法人が訴訟沙汰だけは避けたいと思っているのを見越して、自分たちは不適正意見も辞さないとブラフをかけて、両者の弱みに付け込んで、一気に追い込む。
そして、収拾不能と思わせたところで、限定付適正意見で三方一両損に持ち込んで決着。
これ、一番助かったのあらた監査法人じゃないのかな。
新日本監査法人の監査はさておき、第3四半期になってから大騒ぎし始め、しかも収集つかなくなって、意味不明な決着に落ち着かせようとしているのは完全にあらた監査法人の責任。
もし最終決着が限定付適正意見なのであれば、第3四半期で自分たちの過ちに気づき態度を改め毅然とした態度で監査に臨むようになったという美談は一切通用しないでしょう。
第3四半期の意見不表明時の、東芝の精鋭監査委員会による強気の対応あたりから、ずっと自分達の保身を考えていた可能性もある。
そもそも、内部統制の評価について不適正で、PL大間違いなのにBSあってるから限定付適正意見って、いったい何なんだろうか。
こんなおかしな意見を表明する時点で、後ろめたさがあるんだと思いますけどね。
また東芝
よくよく考えると、上場廃止の一発アウトは2期連続債務超過であり、債務超過即上場廃止ではない(確か)。
もちろん、債務超過は1期であっても大ごとですが、解消の見込みがあるのであれば上場廃止は回避可能。
とすると、富士フィルムがブチ切れるくらいのウルトラCスキームで大急ぎで先端医療分野を売却してまで、16年3月期の債務超過を回避したというのは、もうその時点で、17年3月期の債務超過は見込んでたんでしょうね。
事実上16年3月期の債務超過が上場廃止に直結するから、何が何でもそれだけは回避する必要があると考えたうえでの行動だったのでしょう。
新日本監査法人もあらた監査法人も東芝に完璧にやられた可能性もあるのかな?
ということは、不正を疑ったあらた監査法人の筋はよいということか。絶対証拠が出てくると確信して調査。
しかし、20億かけても見つけられなかった。
ここであらたの敗北が確定ということ?。
それにしても、よく証拠残さなかったな。メール一切使わずにやったのかな。そんなこと可能かな。
その一方で、もしそうなら、不正なんかないと強硬に主張した、検事出身元最高裁判事の監査役はいったい・・・
ここまで疑うと藪の中か。
超そもそも論
本当のそもそも論をするのであれば、憲法学者が全部悪い。
あの連中が、憲法は国家の手足を縛るためにあるとかいう念仏を唱え、自由とか人権とかの美名を奉ることだけに専念してきたせいで、その下位にある法体系やその背後にある思想体系が完全におかしくなってる。
個人あっての社会だけれども、社会あっての個人でもあり、時代の変遷に対応しながら社会と個人の調和をいかに図るべきかが重要なのに、対立があると、無条件で個人の自由が優越するかのような主張をして、現代的な難問からただ逃避してるだけ。
電気もガスも水道も民営化、出来るだけ民主的自治という名のもとの、国、都道府県、市町村の3層構造。
その網目状の権限分配おかげで、東日本大震災の時、どれほどの混乱が生じたのか。
なにも、民営化や地方自治に反対するわけではないです。
しかし、しかるべき時には、国家が強権をふるうことも必要だと思うわけです。
今回の東芝のような場合に、国益に絡むんだから問答無用で上場廃止して再生!とか、そういった機能を東証に期待するのはいくら何でも酷なので、何らかの形で、国が関与していくべきではないでしょうか。
これも保護主義とか言って批判されるんでしょうか。
おわりに
2,3日前に、どうやら適正意見が出るらしいというニュースがあったので、さすがにあらた監査法人も折れたかと思っていたら、まさかの限定付適正意見とかいう決着。
三者ともリスク回避行動をとった結果、公然と談合したかのような見事な玉虫色の結果に落ち着く模様です。
結論としては、三者とも、訴訟で詳細が明らかになるのだけは避けたいという弱みがあったんでしょうね。
まあ、東芝の完璧な隠ぺい工作にあらた監査法人が矢尽き刀折れ、落としどころを提示せざるを得なくなった可能性もありますが。
なお、2015年中、一連の会計不祥事が明らかになって経営陣が交代し、東芝が会社再建に乗り出したころ。
東芝は全従業員にアンケートを取りました、おかしいと感じていることや改善すべき点など自由に意見求むと。
しかし、発言に責任を持ってもらうという趣旨から、アンケートを実名にしたところ、見事に意見が集まらなかったらしい。
これをもって、一部のマスコミは、アンケートを記名にした時点で、評価とかにつながるのを恐れて自由に意見なんて言えるはずがない、そうなるのが当然で意見を広く集める気があるとは思えない、なんて批判をしていますが、私はそうは思いません。
会社存続の危機に、アンケートを記名にしたら、人事評価へ反映されたりするのを恐れて多くの社員が意見を書かない。
そんな状況の会社に自主再建なんて絶対に無理だと思う。