菜根譚という有名な本があります。中国の古典の一つです。
私の尊敬する人に吉田松陰という人がいまして、まあ、私の幕末に関する知識というのはほとんど風雲児たちという漫画に依存しているのであまり偉そうには語れないのですが、吉田松陰も菜根譚を愛読していたようです。
他にも、有名どころでは田中角栄、吉川英治、野村克也監督とかも愛読していたみたいです。
いわゆる処世訓というようなものなのですが、儒教のように頭カチカチでもなく、かといって老荘みたいにフワフワしたものではなく、丁度良い感じが堅苦しくなくてよい本です。
恩はいつまでも覚えておこう、しかし恨みはすぐに忘れてしまおうとか、倹約はいいことだけどやり過ぎればただのけちだし、謙遜は大事だけど度が過ぎれば慇懃だ、といったような、極端にならず丁度良く生きていこう的なノリで書かれています。
しかし、この本の個人的に面白いところは、著者自身が最終的に落ち着きところがわからなくなってしまうところでしょう(勝手な感想ですが)。
後半になると、ただ単に季節や自然をめでたり、農夫の喜びとか、自然に任せようみたいにほとんど仙人のうわごとみたいになってしまいます。
丁度良い人間になるというのはそれだけ難しいということでしょうか。
個人的に後半で好きなのは下記(後集79)です。
烈士譲千乗、貪夫争一文。
人品星渕也、而好名不殊好利。
天子営家国、乞人号饔飧。
位分霄壤也、而焦思何異焦声。
勝手に訳すと、
志士は国を譲ると言われてもこれを辞退するが、心の卑しい者は一文のお金をも争う。
両者の人格には大きな相違があるようにみえるが、考えてみれば、名誉が欲しいか利益が欲しいかの違いだけで欲の心に変わりはない。
国王は国の運営に心を悩ませるが、乞食は食物のために叫び続ける。
両者の身分には大きな相違があるように見えるが、国家に悩むか食べ物に悩むかの違いだけで苦悩の心に変わりはない。
ここまでくると処世訓でもなんでもなく、ただのノイローゼかニヒリズムでしかないでしょう。読んでるこっちの方が著者に声をかけてあげたくなります。
極端になりたくないといって、中道にしがみつこうとしても、考えすぎてしまうと、結局答えがなくなってしまうということでしょうか。
まあ、ニヒリズムに陥って、何もしないのが一番みたいになってしまうのもある意味一番良くないですから、考えすぎないのが一番かもしれません。
難しいですね。
ただ、こういった悩みは遥か昔からありますし、一方の立場から他方を非難する人も遥か昔からいます。