今後出版する書籍の電子化を義務化してほしい


私は本をたくさん買います。もちろん、買った本を全部読むほど暇ではありませんが、それなりに読みもします。

読書が好きな人はたくさんいると思いますが、今後出版する本については、すべて電子書籍版の出版を義務化してくれないかと思っているのは私だけでしょうか。

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

先日糖質制限の本を大量に買い込んだのですが、最近出た本のわりには電子書籍に対応していないものがたくさんあって、紙の本も大量に増えました。

しかし、マーカー引いて、メモ書いて、ポストイット貼りながら読むのが本当に面倒くさい。

古文の教科書とか古典芸能の解説書とかなら、電子書籍に対応しないなんて言うのもわかりますが(わからないけど)、一応最新のテーマの話をしているのだし、そもそも原稿なんて今はすべて電子データで、追加的な手間なんてたいしてないんだから、電子版も出してくれと心底思います。

もちろん、読んだ本と読んでない本を比較した場合、読んでない方には私のまだ読んでない(知らない)情報が書いてあるわけですから、すでに読んだ本よりそちらの方が私にとって価値が高いなんて当たり前のことは、私だってよくわかっていますし、読んでない本について、電子データとしてアマゾンのサーバー上にあるか、本屋の棚にあるかはどうでもよいかもしれません。

しかし、一度読んだだけではすべて理解できるほど頭がよくはないけど、全部を何度も読まないといけないほど頭の悪いわけではない人間としては、読み返すべき個所を確認にしながら読む最初の読書と、その後の重要なところだけ何度も読み返す作業は非常に重要なわけです。

そこを考えると、紙の本と電子書籍では、情報収集プロセスの効率性が違いすぎて、私のような貧乏暇なしの人間には結構大きな影響があるのです。

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もっとも、それだけだと、書籍全面電子化要望の理由としては若干自分勝手なものになってしまうので、少し社会的な理由も付け加えてみます。

江戸時代の末期に、坂本龍馬という名前の人がいて、その人は、電子書籍が出たら真っ先に買うような人で、舶来性のKindleかなんかを片手に、もう紙の本を読む奴なんて馬鹿だみたいなことを大声で話してしまう人でしたが、結局、本は紙に限るなんていう人たちに嫌われて、暗殺されてしまいます。

それは、日本にとってちょっとした損失でした。

イギリスの大英博物館に行くと、何千年か前の古代エジプトだか、古代ローマだかしりませんが、古い石碑があって、その中に「最近の若者はなってない」と嘆く一説があるそうですが、いつの時代も新しい人は古い人にた叩かれ、攻撃されます。

古い人がそうなるのは仕方ない側面がありますが、「確かに最近の若者はなってないやつが多い」なんて言い出す若者が増えてくると、世の中は血なまぐさくなります。なによりも面倒くさくなります。

その予備軍として、本は紙に限ると主張しながら紙の本の「龍馬がゆく」を片手に、俺も坂本龍馬みたいなりたいなんて言う若者が、発生しつつあるかもしれません。おそらくその人たちはすぐに暗殺する側になって同じ悲劇を起こすでしょう。

そうならないためにも、今後出版する全書籍につき、電子化を義務付けてほしいのです。

ら抜き言葉を使うやつが許せないという人と、そういうことを言うやつが許せないという人がいがみ合うという日本の舞台作品に燦然と輝く名作です。

スタジオのお客様で友人として舞台版のDVD貸してほしい人は遠慮なく。