費用が壁らしいですね。
まあ、本質的な問題はえらい人達に任せるとして、私はデジタル化に賛成です。
新しいものが好きなので。
ただ、教科書の、紙という側面を聞くと思いだすのが、環境問題。
私の子供のころは、環境問題と言えば、森林伐採でした(あとオゾン層破壊)。
先進国が紙を使いまくっているから、アフリカとか南米とかの森林がどんどん減っていると。
このままのペースで行くと、何年後には地球が砂漠化しちゃうなんて議論もあった気がします。
どうすべきかなんてテーマで作文書かされて、悲しいかな、ノートを大事に使うみたいな、しょうもないこと書いてた記憶があります。
まさか、自分が大人になった頃にはペーパーレス時代がきて、その問題がなくなるなんて思いもしませんでした。
同じような感じで、デジタル教科書には、社会問題として、デジタル社会なんてものが載るんですかね。
スマホ依存症について、デジタル教科書で勉強して、デジタル教科書で議論するなんて時代が来るのでしょうか。
そう考えていくと、スマホ依存症なんて、そもそも何が問題なのかよくわからなくなります。
スマホなんて何らかの情報に接するためのただの媒体ですからね。
スマホの先にあるどんな情報に接しているかが問題であって、その中身は対して今も昔も変わらない気がします。
今の若者がスマホを見ている時間、自分たちが勉強とか読書とかしていたかと言われると、テレビ見たりテレビゲームしたりしてただけですけどね。
最近の若者は家に帰ってからもずっと友達とLINEしてるなんて、問題のようで、家に帰ってから寝るまでずっと引き出しに隠してたゲームボーイでSaga2やってた私よりは社交的な分ましのような気もします。
問題の本質は今も昔も何も変わらないということでしょうか。
最近の若者はダメだみたいなことが象形文字みたいなので書いてる古代ローマだかエジプトだかの石碑が展示してあるのは大英博物館でしたっけ。
ある意味デジタル化の本質だと思います。