まあ、ひらがなやカタカナがなかったというだけですが。
先日の新元号「令和」の発表で万葉集が注目されてベストセラーになっているそうです。
そして、「令和」の起源は、万葉集に登場する
「于時初春令月氣淑風和」
という文であることは、もう散々ニュースなどで聞いたかと思います。
ただ、そもそもなんで万葉集って漢字で書かれてるの?と思った方はいませんか?
当時の人って中国語話してたの?と。
そこら辺を整理してみます。
まず、当時の日本人は、日本語と言えば日本語ですが、今でいう古文に相当する大和語を話していたとされます。
(まあ、昔の人が、古文の書き言葉通りに話していたか本当のところは言語学的にも謎らしいですが)
しかし、日本人は残念ながらまだ文字を持っていなかったので、書くときは中国語(漢文)で書いていたわけです。
まあ、文章の場合、中国語(漢文)にしても意味さえ伝わればよいので、特に問題はありません。
しかし、詩や短歌の場合、音が何より大事ですから、同じ音の漢字を借りて、当て字のように歌を記すようになり、それが万葉仮名と言われる、平仮名のような日本語独自の文字の発端です。
万葉集には、
都流藝多知 伊与餘刀具倍之
なんて登場しますが、完全に当て字で
剣太刀 いよよ研ぐべし
と読みます。
このように、昔の日本は、大和語なるオリジナル言語を話していながら、独自の文字を持たなかったがゆえに、書くときは中国語にしていました。
万葉集で万葉仮名が登場しますが、それはあくまで歌用の特殊事例で、通常の文書はその後もまだまだ中国語です。
実はこれは結構面倒で、その影響は現代にも引き継がれています。
例えば、中国語では、脚の付け根から足首までの部分を脚(キャク)と言い、足首から先を足(ソク)と言います。
これは英語のLegとFootに対応しています。
しかし、大和語では、二つを区分せず、「あし」と言っていました。
その結果、脚も足も訓読みは「あし」ですが、音読みは異なり、書くときは使い分けなければいけないという事態が現代まで続いています。
また、「キャク」や「ソク」といった音読みも、中国語の発音から離れて、大和語の発音に変わっていきます。
こういった発音の日本語化の典型的なものが、カウ、コウ、クァウを中国語では使い分けますが、日本語では全部「こう」にしてしまうので、
公正、構成、厚生、後世、抗生、攻勢、更生など
本来は発音が違う同音異義語が氾濫して、日本語学習者どころか日本人を悩ませる結果となっています。
あと、音読みと訓読みと言えば、音読みの熟語は中国語からの輸入がほとんどです。
最近では、カタカナ用語の氾濫が問題視されたり、カタカナ用語を連発するコンサルが嫌われたりしています。
しかし、音読みをする熟語もカタカナ語みたいなもので、中国からの輸入品です。
そうはいっても、漢字の熟語の場合、長い歴史の中で完全に日本語になっているという意見もあるかもしれません。
では、質問。
丁寧語にするとき、「お」をつけるか「ご」をつけるかの基準は何でしょうか。
ご家族、ご利益、ご出席、お味噌汁、お母さん、お薬など
音読みか訓読みかで分かるように、漢語には「ご」を付け和語には「お」が付けるのが基本です。
こんな感じで、実は私たちは漢語と和語を無意識に意識しています。
そして、漢語はカタカナ語のような意識で使用しています。
「馬から落馬する」
これがおかしいと気付くのは、落馬の「ば」が訓読みっぽいからだと思います。
これが、「頭痛が痛い」くらいになると、すぐにおかしいとは気づきません。
そして、「後から後悔する」くらいになると、もはや誰もそのおかしさに気づきません。
こんな感じで、万葉集は漢字で書かれていたと聞くと、遠い昔のように感じますが、その影響はかなり現代にも残っています。
言葉は面白いです。
この記事は、下の本を最近よんで「とても面白かった」ので書きました。
書評記事しようとも思いましたが、需要なさそうなのでトリビア的な記事にしました。
なお、上述したトリビアは全てこの本からのパクリで、こんな話がひたすら続くすごい本です。
紹介しきれないので書きませんでしたが、「は」と「が」の違いとか、日本語と外国語の根本的な視点の違いとか、日本語における完了形の取り扱いとか、日本語のちょっとした疑問にやたら博学な著者が丁寧に答えていく本です。
日本語が好きな人や英語の勉強から逃げたい人はぜひどうぞ。
ブームに乗って「万葉集」買っても最後まで読むのは・・・