2月1日の日記です。
最近は熱心に百人一首の解説を書いてます。
まあ、いつまで続くかわかりませんが、頑張って書いていこうとアマゾンで大量に関連書籍を購入してしまったので、しばらくは続けます。
百人一首といえば、先日、橋本治さんがなくなってしまいましたね。
大好きで一通り読んだなんて感じではないですが、結構好きだったので残念です。
出会いは、高校生の時に愛読していたヤング・サンデーの人生相談の連載かな(たしか直ぐ連載が終わった気がする)。
そういえばこの人が書いた百人一首の本が面白かったと思いだして、実家に送ろうとアマゾンで見たら、すでに売れ切れで、入荷時期が未定になっていました。
アマゾン見てると、最近もたくさん書いているみたいで、最近の本は読んでいなかったので読んでみようかな。
現代社会の評論に関しては面白くない文章もたくさんあって、私とは思想が合わない部分もたくさんあるのですが、古典の知識や言葉や文化の話をさせると、教養が深くて、感心させられることが多かったように思います。
最近、いまさらながらジェンダー論をちゃんと読んでみようと思っています。
百人一首の解説など読むと、男らしいとか女らしいとか、現代社会的には否定されるべき固定観念のオンパレードで、橋本さんも当然そういった解説をしていますし、そうはいってもリベラルよりな人だと思うので、現代社会のここら辺の流れについてはどう言ってるんだろうか。
まあ、リベラルなんて枠でくくったら怒られそうですけどね。
なんで今さらジェンダー論かというと、何一つ読んだことが無いというのと、先日ちょっと話題になった、VERYという雑誌の特集。
『「きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ」と将来息子がパートナーに言わないために今からできること』
この特集が話題になっているというニュースを読んだから。
まあ、究極的には、学校も家庭も工場ということでしょうかね。
ただ、感受性の豊かな子とか、自分の頭で考える子とかではなく、何々と言わない子を作るという所まで、工場化は進んでいるわけですね。
あと下記の記事。
欧米を揺るがす「インテレクチュアル・ダークウェブ」のヤバい存在感
この記事は面白い。
リベラル的な価値に反する主張をしたゆえに学界などから追い出された人たちが、ダークウェブと呼ばれる影の言論界を作りつつあるということです。
この記事には出てきませんが、ロンブローゾという19世紀の医学者がいます。
この人は、犯罪人類学の父なんて言われていますが、犯罪者を片っ端から解剖したり精神分析したりして、犯罪者には身体的・精神的な特徴があると言った人です。
身体的・精神的特徴があるとは、つまり、犯罪者になるかどうかは先天的に決まっていて、特定の特徴を持って生まれた人は、生来的に犯罪者になる宿命にあると主張した人です。
まあ、もちろんこんな主張は現代社会では許されるものではなく、封殺されています。
この人は、自身の主張を膨大な科学的エビデンスで固めましたが、様々な批判を浴び、エセ科学として抹殺されました。
もちろん、それは本当に怪しいもので、科学的結論とは言えないものだったのかもしれません。
ここで、この人の主張が正しいかどうかは問題にはしていません。
本当の問題は、この主張が抹殺された一番の理由は、そういうことは言ってはいけない、からという点です。
これは現代社会も同じで、一方でエビデンスに基づく議論が叫ばれつつも、他方では、そういうことは言ってはいけないという主張がたくさん存在します。
男女平等の問題も同じで、賃金格差などの様々な男女の差を、男女の生物学的な差に基づいて説明しようとする試みはタブーの一つです(そうだと主張しているわけではないですよ)。
男女格差は全て社会的な問題で、社会構造の結果生み出されたものであるとして扱わないと、学会とか言論界からは追い出されます。
そういった人たちが、ジェンダー論だけでなく様々なトピックについて、科学的なエビデンスを基にタブーなしで議論しているという場が、上述の記事で紹介されるインテレクチュアル・ダークウェブです。
私は、まさにこの方向を向いた人間で、アンチ・リベラルなのは間違いないですから、興味があります。
もちろん、「きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ」なんてバカなことを奥さんに言うバカな男はいないに越したことは無いですし、両性の平等を否定するつもりはみじんもありません。
解決すべき社会的な問題として男女不平等があるのは間違いないです。
しかし、リベラル的な価値観の強要も、「何々と言わないような人間を育てる」ということが教育の目標になるとこまできたかと思うと怖いです。
VERYという雑誌をよく知らないので、女性たちの間でどんな位置づけにあるのかよくわかりませんが、共働きを絶賛するわけではなく、専業主婦を選ぶという価値観も肯定しており、色んな選択があっていいという立場だそうです。
赤い旗とかなんとか開放新聞とかではなく、多様なライフスタイルを提案する一般雑誌が明るいトーンでこういう特集を組む所まで世の中がきたことに恐怖を感じるのは私だけ。