WELQ問題に関するその3です。
はじめに
今回はキュレーションサイトというものの未来を考えてみたいと思います。
キュレーションサイトは、無数のブロガーやアフィリエイター、さらには専門機関が提供する情報をリライトして、さも自分のオリジナル情報であるかのように装っています。
しかし、ネット上に散乱する無数の情報を集約整理しているという側面もあり、それはそれで価値のあるものです。
そういった二面性をもつキュレーションサイトの未来について、「著作権」をカギにして考えていきたいと思います。
なお、私は知的財産権について勉強したことも実務で携わったこともなく、自分なりに必死で考えましたが、先人の知恵なしでゼロから考えたので、ピラミッドの壁とかに書いてあるような内容でしたらすみません。
前提
今回の記事において、リライト記事は質の高いものに限定します。
リライトする過程で結論が変わってしまって間違い情報になってしまったとか、出典元を示しつつも内容を変えちゃったなんて言うような、稚拙なリライト記事は問題にしません。
それらは発生し続けるとはいえ、専門家の関与や記事レビュー体制の整備等で対策出来るからです。
議論したいのは、リライトされたという点以外に何の問題もない記事(つまり有用な情報の記事)からなるキュレーションサイトについてです。
また、記事とは事実に関する記事であり、小説等の創作物や創作性の高い論考等は対象としません。
著作権は財産権
まず、著作権は知的財産権、つまり財産権です。
財産権というのは、いろんな定義があるでしょうが、要するに他のモノやカネと交換できる、もしくは、それ自体から収益(カネ)が生まれるという意味で、経済的価値があるものです。
もちろん、誰だって自分で書いた文章を、リライトされているとはいえ、パクられれば気分は悪いですし、それがマナー違反・モラル違反であることは間違いないでしょう。
人権弁護士なら、自分が書いた文章は自分の人格発現であり、それを許可なくリライトするのは、人格権の侵害であり損害賠償の対象であるとして、慰謝料請求をしたりするかもしれません。
しかし、資本主義の世界では、モラル違反はやったもん勝ちです。もちろんそれを当然のものとして許容するわけではありませんが、今回のWELQ騒動のように炎上させて閉鎖に追い込んだとしても、別の企業が必ずしてきます。
モラル違反というのは法で事前に縛れない以上、誰かが必ずしますし、モラル違反を人格権侵害として慰謝料請求するなんて超有名人以外はしないでしょうから、事後的な取り締まりも困難です。
したがって、ここでは、人格権としての著作権は考えず、財産権としての著作権のみ考えます。
ボランティアブロガー
著作権を考えた時に、まずボランティアブロガーについて考えます。
ボランティブロガーとは、「自分は社会に有用な情報を提供したいだけで、それを収益につなげようとは考えていない」というブロガーです。
こういう人達の目的は収益ではなく情報の提供ですから、その情報をキュレーションサイトがまとめ直してSEO対策をして、広く社会に流通させることに感謝はすれど不満はないはずです。
その情報が広まればよいわけですから、「自分の記事を勝手にパクりやがってモラル違反だ!」という不満を除けば、何も問題はありません。
収益化するつもりはなかったわけですから、財産権としての著作権の侵害は考えられません。
やはり、キュレーションサイトを問題にするのは、記事から何らかの収益を得ようとしているブロガーだと思います。
物販アフィリエイト
ブロガーの多くは広告収入を得ています。
もっとも、広告収入には2種類あります。
一つは、物販アフィリエイトで、記事に商品リンクを貼り、読者がそのリンクをクリックして、かつ、その商品を実際に購入したときに売り上げの数%がブロガーに入ります。
物販アフィリの特徴は、一言で言えば、広告のクリックだけでは一切収益にはならず、実際にリンク先で商品が購入されて初めて収益化できることです。
物販アフィリをやっている人は、ブロガーというよりは、アフィリエイターと呼んでブロガーとは分けた方が妥当で、何が違うかと言えば、書きたいことを書いているのではなく、商品の宣伝を書きます。
実際には、商品の宣伝だけ書いても誰も買わないので(そんな甘い世界ではない)、複数商品の特徴を比較整理して、掃除機とか、クレジットカードとか、特定の商品で迷っている人に役に立つ情報を提供することを目的とする記事を書きます。
「ウォーターサーバー」とか「格安SIM」とかで検索するとよくわかりますが、本当に役に立つ情報を提供しないと収益化できない非常に厳しい世界です。
そして、記事の内容は機能の紹介や比較等、完全なる事実の集約整理ですから、本質的にやっていることは、キュレーションサイトと同様です。
アフィリエイターたちも、全商品を買って持っているわけはなく、カタログやネット情報等を自分なりリライトしてまとめ上げ、そのまとめ記事の完成度合こそが彼らの腕であって、すさまじい競争を繰り広げている人達ですから、キュレーションサイトが登場したところで、特に何とも思わないでしょう。
キュレーションサイトに勝つとか負けるとかではなく、同じ土俵の勝負です。掃除機の性能を説明する記事に著作権も何もないでしょう。
もちろん、私のような一般ブロガーで物販アフィリを少しやっている人間も多いですが、「ココア味のプロテインではファインラボがお勧めです」とか、「爽やかな味が好みであればBe Legendのプロテインがお勧めです」なんて記事に、著作権も何もなく、リライトされても文句はありませんし、リライトされてかどうかもわかりません。
クリック広告
問題は、ボランティアブロガーやアフィリエイターといった少数のブロガーではなく、大多数を占めるクリック広告を貼っている一般ブロガーです。
私もこのブログにもメインブログにも貼っていますが、読者が広告をクリックするごとに収益が発生する仕組みになっています。
ちなみに、どんな広告が表示されるかは、記事の内容に応じた広告か、閲覧者のブラウザの履歴に基づく広告のどちらかが表示されることになります。
このブログであれば、ダイエット系の広告が表示されることが多いですが、直前に靴を探していた人には靴の広告が表示されているかもしれません。
さて、一気に本題に切り込むと、このクリック広告の収入というのは、著作権の収益化ではないのです。なぜかと言えば、私のブログを訪れて、広告をクリックする方というのは、私の記事に興味がない人だからです。
特定の疑問を調べたくて私の記事を訪れた人は私の記事を読み切るにしろ、途中でつまんないとやめるにしろ、「戻る」で検索結果に戻るのです。
そうではなくて、どちらかというと、暇つぶしに検索していたりする人が、記事にたどり着いたものの、表示されている広告の方に興味をもって、広告のリンク先に行ってしまったときに、広告主から私にクリック単価と言われる数円から数十円の収益が払われるわけです。
したがって、クリック広告から得られる収入というのは、記事の直接的な収益化ではありません。
記事を読み、記事の価値を認めた人が払うものではなく、記事を読まなかった人をきっかけとして得られるものなのです。
もちろん、役に立つ良い記事を書いて、優良サイトとして扱われるようになったから、検索結果の上位に表示されるようになり、人がたくさん集まって、確率的に広告に流れる人も増えて、クリック収益も増えたわけですから、全く無関係とは言い切れません。
しかし、記事の価値を認めた人たちからは1円ももらっていないのです。
この記事役に立ったから、表示されている広告に興味ないけど、お礼にクリックしてあげようなんて言う人は、普通存在しませんし、ルール違反です(私のサイトでは絶対やらないでくださいね)。
著作権の実質的放棄
クリック広告から生じる収益というのは、自分の記事に興味がない人がどれくらい自分の記事を読みに来るかといった、偶然にゆだねるご褒美みたいなもので、記事の価値とはほとんど関係がありません
したがって、自分の記事がリライトされ、その結果、キュレーションサイトがPV(ページビュー)を稼いで、広告収入を得たとしても、記事の持つ価値から生じる収益を奪われたわけではありませんから、オリジナル記事のブロガーの財産権としての著作権の侵害はありません(ゼロとは言えないかもしれませんが)。
記事の読みたい人から収益を得る方法としては、本を出版するなり有料メルマガなり、いくらでも方法はあるわけです。
しかし、あえて記事の内容自体は無料で公開して、たまたま訪れた人からの偶然的収入を得る方法を選んだわけです。
したがって、著作権侵害だとキュレーションサイトを訴えるのは本質的に筋が悪いです。
ブログに書いて公開した時点で、財産権としての著作権からの直接的な収益化を自ら放棄しているのです。
結局、クリック広告収入というのは、記事の内容とは無関係なわけです。
いい記事を書くことと広告収入を得ることに本質的な相関はなく、広告収入を得たいのであれば、興味はあるけどそこまで熱心でもない人が、フラフラっと寄ってくれるサイトを作る方が効率的なのです。
大事なことは正確な情報の提供ではなく、おしゃれで話題性があることなわけです。
キュレーションサイトに対する批判が分からないわけではありません。また、医療という繊細な領域で大企業がいい加減な記事の大量生産をすることの倫理的問題点を許容しているわけではありません。
しかし、クリック広告収入の世界では、記事を読みに来たけど、広告の方に興味があるからそっちに流れるという人をいかに多く誘導するかの競争をしているわけですから、言葉は悪いですがクソ記事量産サイトが強い世界なわけです。
そして、なによりブロガー自身が、自分の記事の価値を認めてくれる人からしかるべき対価を取るという方法(著作権という財産権の直接的な収益化)を捨てて、そういったどれだけ人を集めるかが勝負の世界に身を投じたわけです。
したがって、ブロガーが、リライト記事で構成されて巨大キュレーションサイトに対して、著作権侵害だと言ったところで、せいぜいモラル違反、マナー違反、人格権の侵害というのが関の山で、財産権としての著作権の侵害を主張するのは厳しいわけです。
Amazonの野望
では、一般ブロガーはどうすればよかったのでしょうか。
自身の記事の内容自体の価値の実現、つまり、読んでくれた人から正当な対価を得ることは可能なのでしょうか。
本を出版する以外にないような気がしますが、実はあるのです。
それが、Amazonの提供するKindleの世界です。
Kindleの世界というのは、単に書籍を電子化して売っているだけの世界ではありません。
Kindle Unlimitedというサービスがあり、そこでユーザーは固定の月会費を払えば対象作品が読み放題となります。
もっとも、月会費がどこに行くかと言えば、著作権者(面倒なので出版社と区別しません)に、読まれたページ数に応じて分配されるわけです。
1冊買って読むか読まないかではなく、読まれたページごとに対価が発生する仕組みをAmazonは既に作り上げています。
IT企業がやっているのは結局情報の奪い合い、もっと言うと情報の流通するプラットフォームの主導権争いです。
そして、Amazonは、Googleの提供する無料記事+広告収入モデルの情報プラットフォームが持つ、大衆を相手にする限り良質なコンテンツがおもしろおかしい低質なコンテンツに駆逐されるという致命的な欠陥に気付いているわけです。
いずれ良質なコンテンツ提供者は正当な対価を求めて、公平なプラットフォームに移行してくるだろうと読んでいるのだと思います。
ページごとに対価が支払われることほど公平な仕組みはありません。
したがって、多くの優良コンテンツ提供者は今後Googleの提供する無料空間から、AmazonのKindleプラットフォームに移行することが予想されます。
私も実は、メインブログの内容を修正して、体系的にまとめ直そうと思ったのですが、キュレーションサイトに、リライトされ、しかも他サイトの情報で私のブログに足りないところを補足しつつ体系的に筋トレダイエット情報を整理されたら勝ち目はないので、まとめ直した内容はKindleで出そうと思っています。
信頼のおける情報はGoogleではなく、Kindle空間でレビューを参考にしながら探す、そういう時代がすぐ来るのではないかと思います。
キュレーションブック
じゃあ、それで問題は解決かと言えば、そうではありません。
何故かというと、Kindleの世界にキュレーションサイトが進出してくるのも時間の問題だからです。
Kindleの世界でキュレーションサイトというのは百科事典のようなものです。キュレーションブックと呼びます。
キュレーション会社がKindle Unlimitedの会員になって、他の本を読みまくった挙句に、得意のリライトで、例えば筋トレ関係のキュレーションブックを出すのは簡単でしょう。
そうすると、ユーザーは、浜松町の零細ジムのトレーナーが書いた筋トレ解説書と、大会社がその内容も含んだ上で他の情報も補完しつつしかもどこかの大学教授の監修した本とどちらを読むでしょうか。
結論は言うまでもなく明らかでしょう。
結局、ここでもキュレーション会社が勝つのです。
しかもポイントは、その未来を想定した場合、キュレーションブックの方がユーザーにとって有用であることです。質の高いキュレーションブックが1冊ある方が、無数の個別的な書籍が乱立しているよりはるかに便利なわけです。
しかも、ユーザーは毎月固定料金しか払いませんし、その収益は執筆者にページ単位で公平に分配されるわけです。
この時点では、広告収入と違い質の勝負になっていますから、キュレーション会社もWELQのようなクソ記事量産ではなく、基本はリライトだとしても、専門家の監修等を加えて、しっかりと作り込んでくるでしょう。
しかし、Kindleプラットフォーム上ではページごとに対価をもらえる、つまり、記事の内容自体の収益化、すなわち著作権の直接的な収益化が実現しるわけですから、そんなキュレーションブックなるものは、間違いなく著作権侵害なのではないでしょうか。
果たして本当にそうでしょうか。
全部リライト
やっと本題に来ました。
この記事の本題は、実はそもそも、キュレーションサイト問題において、著作権なんて問題じゃないのではないかという疑問です。
例えば、お医者さんがブログをやっていて、医学的根拠に基づく医療情報を提供していました。それをキュレーションサイトがリライトして、収益化しました。
それは、本当に著作権侵害なのでしょうか。
私が言いたいのは、結局のところ事実情報に関して言う限り、医師の口から出る医療情報も医学書のリライトであり、弁護士の口から出る法律の知識も法律書と判例集のリライトであり、税理士の口から出る税法情報も税務専門書や通達のリライトなのではないかということです。
ブログに書こうが何だろうが、それが客観的で一般的な情報であればあるほど、個人的な財産権としての著作権としての保護の必要性は小さく、たまたま書いただけでその内容に著作権を主張するのなんておかしいのではないでしょうか(完全コピペを除き)。
結局、専門的知識なんて言うものは、自分が専門家になる過程で読んだ本のリライトなんじゃないでしょうか。
もちろん、個々のクライアントへの具体的対応こそが専門家の本領ですが、それはキュレーションサイトに集約されるような一般的知識ではありません。
自分固有の経験情報であれば、それには著作権はあるかもしれませんが、それは「正しい知識」とは到底言えない代物でしょう。勝手な感想を単に専門家がそれらしく述べたというだけです。
洗練されたキュレーションサイトはそんな情報相手にしないでしょう。
また、分かりやすく説明したり、簡潔にまとめたりするのも能力の内というのであれば、自分だって何かのリライトをしていることを認めていることになりますから、自分よりうまくまとめたキュレーションサイトに負けるのは自業自得ということになります。
結局、客観的で一般的な知識というものは、誰かの財産ではなく、社会全体の共有財産なわけで、それを個人が収益化するということ自体に本質的に難があるわけです。
百科事典の出版社のように、どれだけ大規模な情報を見やすく整理整頓できるかこそが付加価値なのであって、キュレーションサイトには間違いなく価値があるのです。
ただ、説明が上手い人、まとめるのが上手い人、いろいろいますが、結局競争になると大会社が勝つのでしょうね。
まあ、大会社が勝つかどうかはさておき、質の高いキュレーションサイトないしキュレーションブックが存在する社会の方が、社会全体の便益は高いのだと思います。
WELQや他の類似キュレーションサイトも、SEO対策というだけでなく、実際に価値が高かったからこそ、検索結果が上位に来たとも言えるのだと思います。
終わりに
長くなったのでこれでいったん切ります。
ただ、ここまでの結論だと、キュレーションサイトが勝つのが必然のような感じですが、それだと、いずれ誰もコンテンツを提供しなくなり、キュレーションが成立しなくなるとも考えられそうです。
果たしてそうなのでしょうか。
また、そうならないとしても、待ち受ける未来において、営利団体たる特定のキュレーション会社が知を独占してしまうことになりそうです。
だからこそ、Wikipediaが必死に寄付してくれと叫びまくっているわけですが、続きは次回。