WELQ問題の関するその2です。
目次
はじめに
前の記事で説明したWELQ問題について、低質な情報の垂れ流しサイトどうすべきかという観点から考えてみたいと思います。
医療健康情報に関して、素人が書いた(リライトした)出所の怪しい情報を大量に流通させるサイトとしてのWELQをどう考えるかです。
前半全然関係なさそうな話をしますが、最終的に絡んでくるので我慢してください。
なお、経済学の視点を持ち出しますが、あんまり詳しくないので細かい点はご容赦ください。
ケインズとハイエク
WELQ問題を聞いて私が最初に考えたのはこの二人でした。
二人とも第二次世界大戦の頃に活躍した、20世紀を代表する経済学の巨人です。
この二人の対比については下記の本が詳しく非常に面白い本です。この本の記述を参考にしています(うろ覚えなので間違っていたらご容赦を)。
この二人、同時代に生まれ、最終的に経済学的には180度違う方向に進むのですが、実は似ているところがあります。
それは、誰もが認める天才であるだけでなく、若い時に従来の経済学を学んで、今一つ腑に落ちず、自分で新しい理論を作るしかないなと思った点です。
スタートは同じでした。
しかし、生きた環境が違い過ぎて、その影響が結果としてそれぞれの経済理論に大きな影響を与えたのではないかと言われています。
ケインズ
Wikipediaから引用
この人は、父親がケンブリッジ大学の教授で、イギリスの裕福な家庭に生まれ何不自由なく育ちました。
若いころから天才で鳴らし、ケンブリッジ大学卒業後、経済学者だけでなく、政府高官も務め、さらには投資で大儲けするなど、イギリスの富裕層出身のエリートとして、輝かしい人生を歩んだ人です。
そして、エリート代表の一人として、貴族・エリートが率いる大英帝国の栄光の維持に貢献した人でした。
一言で特徴を言うと、エリートの良識を信じた人です。
つまり、民主主義や資本主義に任せておけば社会はうまくいくなんて言う極端な自由主義思想はもっていません。エリートが適切にリーダーシップを発揮してこそ、社会はうまくいくという信念を持っています。
ケインズは、国家の経済を家計に例えてはいけないと言います。
我々は景気が悪くなると、支出を抑えます。給料やボーナスが減るから、支出を抑えてやりくりしようとするのは当然です。
しかし、これを国家単位で見ると話が変わってきます。
国民全部で合計すると、誰かの支出は必ず誰かの収入なわけです。
だから、支出を減らすと、誰かの収入が減るということであり、その人も支出を減らすでしょうから、まわりまわって、結局自分の収入がさらに減るという悪循環に陥るわけです。
その状況は放っておいても悪くなる一方でよくはなりません。
したがって、そこで国家が財政支出をすべきというのがケインズの考えです。
よく公共事業の道路工事で、「あんなの予算を使い切るために穴掘って埋めてるだけだ」なんて言われますが、ケインズに言わせれば、穴掘って埋めるだけでも何もしないよりはましです。
穴掘って埋めた人にお金が払われれば、その人が夜飲みに行ってお金を使い、それが居酒屋の従業員の給料になり、その人が新しい服を買いに行き・・・と、経済が回り始めるからです。
このように、ケインズは、「ほっといたらうまくいく」なんて自由主義派の小さな政府の思想を否定し、時と場合によってはエリート率いる政府が大胆に市場に介入すべきという理論を構築します。
この理論の背景には、自身がエリートであり、エリート率いる貴族社会の大英帝国が上手くいっていた時代に幸せいっぱいの人生を送っていたことが大きな影響を与えていると言われています。
ハイエク
Wikipediaから引用
しかし、ハイエクは違いました。
オーストリアのウィーンで生まれたハイエクは経済学者として順当に名を上げていくのですが、そこでナチスドイツが襲い掛かります。
ナチスに美しい故郷を滅茶苦茶にされるなか、イギリスに逃れて経済学を続けますが、ハイエクは徹底した自由主義者になっていきます。
特に、ナチスドイツが、ワイマール憲法という当時最先端の民主主義的な憲法下で、労働者階級を味方につけて民主主義的に生まれたのにもかかわらず、独裁国家に落ちていく過程に戦慄を覚えていました。
その結果、ハイエクは自由の一方通行性にこだわります。
つまり、自由主義社会で社会主義国家を目指す政治活動を行うことは自由ですが、それが成功して一旦社会主義国家になると、自由主義国家を目指す政治活動をする人は皆銃殺刑にされてしまうわけです。
これが自由の一方通行です。
日本の大正時代にできた治安維持法もそうです。
戦争や無理な軍拡に加え、世界恐慌や関東大震災で治安が悪くなった日本で、国民の期待に応えて制定された法律です。
しかし、徐々に権力を広げていった軍の道具になり下がり、反戦派が治安維持の名目で取り締まりの対象となり、最終的には、治安維持法への反対運動が治安維持法によって取り締まられてしまいます。
きっかけは善良な動機だったのですが、一度権力が誰かに与えられ、その権力が悪用されると、もう戻れなくなるわけです。
このように、ハイエクは、自由は一度失ったら取り戻せないという点を強調します。ケインズのように、経済に政府が大々的に参加してくるのに反対なわけです。
もちろん、一時的には効果があるかもしれませんが、一度政府に権力を渡すと二度と取り戻せないからです。そして、どんな些細な権力移行でさえ、つもりつもって、ナチスドイツのような独裁国家につながる可能性があるからです。
もちろん、だからと言って政府の役割とかを全否定するとかそういう極端なことを言うわけではないのですが、何かあった時は政府が出てきてあれこれすべきという安易な意見を激しく攻撃します。
こういった見解の背景にあるのは、母国がナチスドイツによって滅茶苦茶にされた経験がかなり影響していると言われます。
対立点
ケインズのポイントは、民衆の自由に任せていたら勝手にうまくいくというのは誤りで、うまくいかない場面が登場するから、その時にはしかるべきリーダーシップが必要になるという点です。
背景には幸せいっぱいの人生とそれを支えたエリートの良識への信頼があります。
他方、ハイエクのポイントは、一度特定の少数者に権力を渡したら、最悪独裁国家につながりかねないから、小さな政府でやっていくしかない、というものです。
背景には民主主義国家で国民の信託を受けたリーダーが強烈な独裁者となって、だれも止められない状況となり、自分の故郷がめちゃくちゃにされた過去があります。
ハイエクに言わせれば、一度自由を放棄すると、それは一方通行ですから、時間の経過ととともに徐々に自由が失われていき、最終的には、全体主義的な独裁国家になってしまいます。
もちろん、ケインズだって広い意味では自由主義者です。それどころか、社会主義を毛嫌いしていました。
エリート層としてのプライドが非常に強かった人ですから、革命後のロシアを訪問したときには、
あらゆる欠点にもかかわらず人類の良質な部分を代表し進歩の担い手でもあるブルジョアや知識人よりも、ガサツなプロレタリアを上に置くような教義に何で賛成できようか
出典:吉川洋著『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ: 有効需要とイノベーションの経済学』
とまで述べています。
ただ、ハイエクにしてみれば、ケインズの意見というのは、一瞬の油断で独裁国家が誕生していく姿を経験したことのない人間のおめでたい意見でしかありません。
エリートの良識なんてものを信用してしまえば、9割9分上手くいくとしても、もしどこかで権力者が独裁国家への舵を切り始めたら、誰も止められないし、その事態だけは他のすべてを犠牲にしても防がなくてはいけないのです。
ここまで来てやっとWELQの話ができます。
私は、経済に関してはケインズよりなのですが、やはり情報流通に関してはハイエク的な自由主義にならざるを得ない気がします。
Googleは悪いのか
WELQの問題を聞いて、Googleがそういう悪質なサイトは検索結果に表示しないように対応すべきだという意見があります。
この意見を天国のハイエクが聞いたら生き返ってぶん殴りに来ると思います。過去の歴史から何を学んでいるのかと。
我々はGoogleを通じて多くの情報を見ています。そこにはいろんな情報があります。
しかし、もしGoogleがこの問題を受けて、「今後は当社が良質と判定した情報のみ検索結果に載せることにします」なんてなったらどうでしょうか。
完全な情報操作であり、一番怖い事態です。
無差別的な情報にアクセスできると思っていたけど、実はGoogleが選んだ情報だけ見ていたなんて悪夢でしかありません。
ですから、GoogleはWELQについては一切対応していませんし、これからもしないでしょう。
他人の記事の丸パクリなんていうのは、検索結果に重複して表示しても意味はないので、そういった明確なポリシー違反の情報は排除しても、記事の内容について善悪等一定の価値観に基づく主観的な振り分けだけは絶対にしないでしょう。
それは彼らにとって絶対に超えてはいけない一線ですし、WELQが一位に表示されているということは、それが守られていることを意味しますから、少し安心です。
これは、FacebookやTwitterがテロリストのアカウントをなぜ許すのかともつながっています。
ネットベンチャーの経営者たちはかなり自由主義者ですから、自分たちがそういった権限を行使しないのが彼らのプライドなわけです。
情報のフィルタリングを誰かが行うとしても、それはGoogle等の情報プラットフォーム以外の第三者がやるべきです。プラグインなどで対応すればよいと思います。
簡単な問題ではないですが、たかが医療・健康情報サイトごときで、そんなこと求めては絶対にダメしょう。
もっとも、だからといって質の悪い情報を野放しにしてよいのでしょうか。
あるべき未来
これは結局あるべき社会像の選択かもしれません。
だからこそ長々とケインズとハイエクの話をしました。
私は、あるべき未来としてどういう社会が良いですかと聞かれれば、WELQのようなサイトは存在するけど匿名の医療情報なんて誰も読まない、という社会が希望です。
個人の情報リテラシーが高いことを前提とする社会と言っても良いかもしれません。
どっかの誰か、医師等、専門家を称する人たちが情報を検閲して、この情報は根拠がないから流通させるべきではないとか、この情報は医学的根拠に基づいているから流通しても構わないなどといって、情報の自由な流通を阻害する社会には賛同できません。
ハイエクではないのですが、悪質な情報は誰かが規制すべきという考えは危険です。その誰か、権威ある誰かに、情報を操作する権限を与えるのだけは反対です。
何も情報を操作しろとまでは言ってないという意見もあるかもしれません。
現に、WELQが炎上して、閉鎖になる前、DeNAは、今後は記事に医師等しかるべき機関の監修をつけると表明して事を収めようとしました。
しかし、そうすればことは解決なのでしょうか。
どんなキーワードで検索しても1位にWELQの記事が登場し、医療機関監修のお墨付きの「医学的に正しい情報」なるものが書いてあり、記事の最後には、医師お勧めの医学的根拠のあるサプリが紹介される。
それが望んでいる社会なのでしょうか。北朝鮮と何が違うのでしょうか。怪しい情報垂れ流しの方がよっぽどましです。
匿名の医療記事を信用した人たちは、もしWELQが医療機関監修の情報サイトをはじめたら、それに飛びつくと思います。そして、結局食い物にされるわけです。
中立の専門家なんてどこにもいません。必ず裏ではお金が動きます。99%は違うとしても、1%に残りの99%が淘汰されてしまうのが問題なのです。しかも、実際には、金に目のくらまない専門家なんて99%どころか1%もいません。
情報化社会において、情報リテラシーの低い人は必ず被害者になります。その人たちが変わらない限り被害者です。
結局、無秩序状態を受け入れるか、支配者に檻の中で飼われるかの2択しかないのです。
無秩序状態を受け入れた上で、一人一人がリテラシーを上げていくしかないと思います。
良識派
WELQを告発している側にも少し問題があります。
特に、実際にWELQからどの程度実害が出たのかが分からないにもかかわらず、規制を求めるという動きに内在する危険に気付いていない人たちは多いです。
WELQが悪質なサイトであると認定することの異論はないですが、こういうサイトを告発する側には、このサイトのいい加減な情報に踊らされて具体的な被害者が出たらどうするんだ!という怒りがあったりします。
ただ、それを言い換えれば、「どこかのおバカさんがこの情報信じちゃったらどうするんだ!(私はリテラシーが高いもしくは正しい知識持っているから信じないけど)」ということになります。
かわいそうな情報弱者のために悪質サイトを取り締まってあげるべきというわけです。
いつの時代もこういう良識派が社会を滅茶苦茶にします。
悪い人を殺して、悪質な情報を削除して、悪を排除しまくれば、その結果として、良い人と良い情報からなる理想の世界ができるのでしょうか。
悪い情報を排除しようという動きの根底には善悪の物差しがあります。確かに、一部の情報に関しては明確な物差しが設定できるかもしれません。
しかし、その物差しがどこまで通用するかは不明で、実際のところは、公表された統計データの引用ミス程度しか誤りを誤りと判断することは出来ないでしょう。
しかし、どんな小さなものでも、善悪の物差しが登場し、それを振りかざす権力が誕生するともう終わりです。
99%は善良な専門家だとしても、1%が暴走したときに誰も止められないことが問題なのです。
権力を行使する側とされる側の二極化は加速するのみで、一方通行なのです。
そして、善悪の物差しを持ち出す人間は、自分に対して「あなた間違っていますよ」と言ってくる人を絶対に許さないので、待っているのは、戦争か独裁の二択しかないわけです。
今回は、怪しい情報を垂れ流すなという炎上運動が功を奏してサイト閉鎖までもっていくことが出来ました。
しかし、もしDeNAが医療機関の監修付きサイトに変更し、その中に怪しいサプリを売るためだけの、お抱えの医師監修付きの「医学的に正しい」記事を潜り込ませ、それがSEO大作戦で1位になったら、もう後戻りはできません。誰も反論できません。
WELQだって、ものすごい数のイイね!やツイートがされているから検索上位に来るわけです。
本当かどうかなんて疑わずに、写真がきれいとか、おもしろいかとか、受け入れやすいかとか、好きか嫌いかとかで情報の質を判断する人たちが世の中にはたくさんいるわけです。
そして、その人たちのために、情報選別プロセスを設けようなんてしていると、純粋な善意から出たものであれ、究極的には一部の人に情報操作権限を渡すことにつながり、最終的に、自分が檻に入れられてしまうわけです。
問題は一方通行にあるわけです。
以上のように、安易な規制を求めるのは非常に危険なのです。
まとめ
結局、悪質な情報サイトの存在だけは認めなくてはいけません。
ネット上に「良質」な情報のみが流通する日は来ませんし、もし来たとすればその時私たちは地獄にいます。
私たちとしては、ネットを駆け巡る情報に関しては、檻に入れられて権力者に飼い殺されたくなければ、無法状態を許容して、一人一人がリテラシーの向上に努めてサバイバルするしかありません。
お上頼み根性丸出しで、誰か規制するべきだという意見は非常に危険なわけです。
もっとも、悪質な情報を垂れ流すサイトの存在はやむを得ないとしても、大企業が運営するリライトという名の著作権侵害しまくりのキュレーションサイトの存在はどう考えるべきでしょうか。
私は何もそこまで許容しているわけではありません。
続きは次回。