百人一首解説その10:寂蓮法師(87番)と大納言経信(71番)


百人一首解説のその10です。

今回は秋の名歌2首です。

共に、秋の寂しさを詠んだというより、秋の情景を詠んだ歌ですが、さすが百人一首というオールタイムベスト100に選ばれただけのことはある歌です。

趣味で短歌をやる人なんかにとってはお手本のような歌なんじゃないかと思います。

秋の情景を詠むなんていうのは簡単そうで、「稲穂の上に赤とんぼがいて、ああ秋が来た」的な31字の文を作ればいいだけのような気もしますが、そんな簡単な話ではないよと分からせてくれる歌です。

まずは、87番の寂蓮法師の歌。

「村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ」

これは、1字決まり「むすめふさほせ」の「む」の歌ですから、百人一首の中でも一番最初に覚える歌と言っても過言ではありません。

なんとなくで訳せそうですが、少し補足します。

「村雨」というのはにわか雨のことで、急にザーッと降ってくる雨のことです。

「ひぬ」というのは、「干る」の「ひ」に、否定の「ぬ」ですから、「干上がっていない」すなわち「乾いていない」という意味です。

「まき」というのは「真木」と書き、杉や檜といった立派な木のことを言います。

注が必要なのはこれだけなので、簡単ですね。

訳すと以下になります。

にわか雨の露もまだ乾かない真木の葉から、霧が立ち上っている秋の夕暮れであることよ。

意味的にはそのままです。

この歌の何が見事かと言うと、それはカメラワークです。

つまり、この歌のPR動画を取るとすると、最初の「村雨の」あたりは、秋のにわか雨が止んだ直後の、まだ木から露がしたたっているような、しんみりした山道を歩いているようなイメージ。

そして、「露もまだひぬ 真木の葉に」では、カメラがズームアップして、木の葉の上の露が写ります。

その後は、カメラが引きながら、横にズレると、周りの山々から霧が立ち上がっている風景になります。

雨が降った直後に山道を歩いていて、まだ露が葉の上に残ってるなあなんて思っていたのに、ふと目を上げると、辺りには霧が立ち登り始めているという、秋の雨上がりの情景を見て、秋の夕暮れだなあ、とあはれを感じたわけです。

自分が実際に雨上がりの山道を散歩していることを想像すればその視線の展開は想像できると思います。

「むらさめーまきの葉」といったマ行つながりが落ち着いている一方で、「霧・立ち・のぼる」と語感良く進み、最後は秋の夕暮れと体言止めで締めるため、全体としてリズムのいい歌で、なんとなくでも、いい歌だなあと思ってしまうかもしれませんが、丁寧に詠み手が想定した情景を思い描くと、すごいいい歌に思えてくるといういい例です。

「村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ」

訳は、

にわか雨がやみ、まだ真木の葉には露が残っているというのに、辺りでは雨後の霧が立ち込め始めた。なんとあはれな秋の夕暮れかな。

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となります。

次は、71番、大納言経信の歌。

「夕されば 門田の稲葉 おとづれて あしのまろやに 秋風ぞ吹く」

この歌も訳は簡単です。

「夕されば」は、「夕方になる」という意味の「夕さる」という動詞の已然形+「ば」なので、「夕方になると」と訳します。

門田というのは家の門前にある田のことです。

「おとづれ」というのは、「訪る」ですが、もともとは「音連れ」で、音を立てる、声をかけるというのが原義であり、そこから転じて、手紙を出す、さらに、訪問するという意味になったようです。

「音連れ」と「訪れ」の掛詞で、訪れてきたのは秋風ですが、最後に秋風と直接出てくるのであまり訳さない方が良いかも。

したがって、ここでは、稲葉がさやさやと音を鳴らすことを言います。

「あし」は植物の名前で、「まろや」というの粗末な小屋のことですから、「あしのまろや」というのは「蘆葺あしぶきの小屋」のこと。

これも簡単ですね。

訳は、

夕方になると、風が吹いて門前の稲葉からそよそよと音がし、私が住んでいる簡素な蘆葺きの小屋にも秋風が吹いていますよ。

これもそのままですが、少し補足が必要です。

それは、この歌が、普段は都会に住んでいる貴族が、田舎の山荘で詠んだ歌ということです。

滅多に農村の風景なんて見ない貴族が、風が吹いて、目の前の田んぼからさわさわ音がしている情景を愛でています。

和歌の世界では、秋と言えば寂しいのが常ですが、そうではなくて、どちらかと言うとさわやかな感じの歌で、田舎もいいもんだなあ、という歌です。

作者は貴族ですから、本当はそれなりに立派な山荘に住んでいるわけですが、田舎暮らしの人になりきって、「あしのまろや」なんて言って、風雅を楽しんでいます。

そして、一番見事なところは、上の句から下の句への展開です。

上の句は、山荘からの風景で、夕方になり、目の前の門田に風が吹いて稲葉がさやさや音を立てている情景を見て、さわやかでいいもんだなあと感慨にふけっているわけですが、下の句では、視点が変わり、その風が自分のところにきて、少し肌寒いというか、ああ、秋なんだなあと、肌で実感している様子を表現しているわけです。

そこの、描写というか、展開が見事な歌です。

単に景色を愛でているだけというわけではないです。

「夕されば 門田の稲葉 おとづれて あしのまろやに 秋風ぞ吹く」

訳は、

夕方になると、風が吹いて門前の稲葉からそよそよと音がし、私が住んでいる簡素な蘆葺きの小屋にも秋風が吹いていますよ。

うまく訳せないので、直訳そのままにしています。

今回は、秋の情景を詠んだ2首ですが、単に目の前の景色を詠んだだけではなく、描写、視点の移り変わりが見事な名歌でした。

たまには簡潔に。