スターウォーズ『最後のジェダイ』を見た感想


話題の『最後のジェダイ』を見てきました。

この映画、批評家がみな絶賛しているのに、一般人のレビューでは低評価が目立つことで有名になっています。

海外の有名映画レビューサイトでは、批評家(数百人)の平均スコアと一般観客(数万人)の平均スコアが見れるらしいのですが、批評家の平均スコアが90点越えなのに対し、観客サイドは50点をかろうじて超えるくらいになっていて、話題になっているそうです。

ここまで、プロと素人で割れるのは珍しいようです。

もっとも、ここがアメリカらしくて面白いのですが、アメリカにはディズニーをやっつけろ的な団体もあったりするらしく、そういった団体が組織的に反対票を入れている可能性等も否定できないようですが、件のレビューサイト自身は、そういった不正の監視を怠っとことはなく、今のところ怪しい点はないとコメントしています。

というわけで、結局賛否両論なのかそうじゃないのかよくわかりませんが、見てきたので私なりのレビューをしてみたいと思います。

この映画は、スターウォーズの8作目(『ローグワン』というスピンオフ入れると9作目)で、元祖スターウォーズの旧三部作(エピソード4から6)、新三部作(エピソード1から3)に続いて、2015年から始まった最新三部作の第2作目で、第1作目『フォースの覚醒』に続く作品です。

この2015年から始まる最新3部作の特徴は何かというと、ジョージルーカスが監督ではない点です。

旧三部作と新三部作のリリースの後に、スターウォーズという映画というか、概念というか、もろもろ全てをディズニーが買収したので、最新3部作はディズニー作品です。

そして、当初はジョージルーカスも制作にかかわる予定だったらしいのですが、けんか別れでディズニー側から追い出されてしまい、この最新3部作は、ジョージルーカスではない監督で、しかも、『フォースの覚醒』と『最後のジェダイ』では監督が違ったりします

そんな最新三部作の2作目の『最後のジェダイ』ですが、確かに往年のファンには怒る人もいるんじゃないかという思うような内容です。

つまらないとかそういうのではなく、なんていうか、その、そこを今から説明します。

『スターウォーズ』なるものを確固たるものにしたのは当然旧三部作です。

しかし、そこに描かれているのは、帝国軍対レジスタンスという、善対悪の構図でした。

もちろん、何とも言えない近未来的でかっこいい世界観でそれが描かれており、たくさんのファンを生み出したのですが、やっているのはスターウォーズごっこであり、単純な近未来宇宙戦争スペクタクルでした。

世界観が非常に魅力的でアクション映画としては第一級で私も大好きですが、描かれているものに深みはありません。

時々、戦争のリアリティやファシズムの恐ろしさを描きながら冷戦を風刺した作品などと変なことをいう人がいますが、どこにそんなものが描かれているのかわかりません。

作品を通して、宇宙戦争ごっこが描かれているのであって、それなりの人間描写はありますが、悪者は悪者、正義の味方は正義の味方、やんちゃな脇役は(以下略)と、善対悪の構図の中で作られたわかりやすいキャラがライトセーバーでブンブン戦う映画でした。

その結果、旧三部作を通じて、100%スターウォーズでした。

不純物はかけらも混じっていません。

ファンからすれば、どこをどう切り取っても、スターウォーズでしかなく大満足でした。

しかし、そこから約16年後に出た新三部作(エピソード1から3)では、同じジョージルーカス監督なのに毛色が違います。

スターウォーズという宇宙活劇から、スターウォーズの世界で生きる人間の業のようなものに焦点が移っていきます。

かなり、登場人物の心理描写に重点が置かれています。

まさに、もののあわれが描かれています(そのせいか私はエピソード3が一番好きです)。

もののあわれの『もの』というのは世の中のことです。

社会、環境、親、友人、会社など、自分以外どころか自分のことさえ自分では変えられません。

いろいろ変えたいのに、様々なしがらみにがんじがらめにされながら人は生きています。

そういった、自分ではどうすることもできない世の中のことを『もの』と言い、そこから生じる悲哀、人間の業のようなものが『もののあわれ』です。

もののあわれと言えば平家物語ですが、平家の人間は、平家の看板背負って戦って滅びていきます。

事後的にあれこれ、ああすればよかったとかこうすればよかったとかいろいろ言うのは野暮な話で、実際には、平家の人間一人一人が全力で生きようとしているわけですが、平家に生まれた以上はどうしようもないところもあったりして、全体としてみると、どうすることもできない運命のようなものに押し流されて、滅びていくわけです。

そういった、毎分毎秒自分で意思決定しているとか言いながら、自分ではどうしようもない流れに翻弄されて生きているのが私たちで、だからこそ、滅びゆく平家に心奪われるわけです。

そういったものがものあわれ。

1999年からのスターウォーズの新三部作では、そういったもののあわれに近いことを描こうとしています。

旧3部作では、まず善対悪の宇宙戦争があって、登場人物は、笑いあり涙ありの勧善懲悪型のストーリーに当てはめられています。

『人間味』はあるかもしれませんが、登場人物はみな現実の人間ではなく、作られた人間です。

しかし、新三部作では、登場人物はみな、現実社会のなかで悩み、翻弄され、何とかしようともがきつつも、大きな流れに流されていきます。

そういった、何とかしようと苦悩しつつも、どうすることもできない人間の業のようなものが描かれます。

私の大好きなエピソード3なんて、もののあわれどころか、能の世界そのものです。

アナキン・スカイウォーカーは、怒りや悲しみ、苦悩や葛藤がが抑えきれないところまで高まってしまいます。

そして、ちょっとした衝動で爆発してしまい、後戻りできないところまで来てしまうのですが、わずかに残った理性が、自分がとんでもないことをしてしまったことをしっかりと認識しています。

どうにもできないところまで来て、絶望が回生の悲願へと転化し、ダークサイドに落ちてダースベイダーになるわけです。

能の世界で登場する鬼そのもので、人間離れした悪魔のようでそうではなく、どうにもできない運命の流れの中で心を焼き尽くされ哀しみに満ちた人間そのものです。

だいぶ脱線しましたが、旧三部作と新三部作の最大の違いはここでしょう。

スターウォーズという世界観を作りそれを貫徹した旧三部作に対して、その中で生きる人々の生き様とどうすることもできないもののあわれに焦点を当てた新三部作。

最新三部作を作成するにあたって、ディズニーとジョージルーカスがけんか別れした原因もここにあるようです。

ジョージルーカスは、ディズニーの、「懐古主義的な作品を作ろうとする姿勢」に最後まで納得がいかなくて、最終的に追い出されてしまいます。

ここで、「懐古主義的な作品」というジョージルーカスの言葉がわかりにくいわけですが、要するに、ディズニーとしては、スターウォーズの世界観を前面に押し出して、子供も楽しめるような善対悪のシンプルな近未来宇宙活劇にしたいのに対し、ジョージルーカスは、もっと人間の生きざまに焦点を当てた深みのある作品を作りたかったのだと思います。

ジョージルーカスは黒澤明の影響を受けていることで有名ですが、黒澤映画も、単なる活劇のようで、そこに登場する人物が生々しく描かれ、人間という哀れな生き物が行き当たりばったりで織りなす必然の物語となっているのが何より魅力です。

やっと本題。

最新作『最後のジェダイ』は、新三部作よりです。

ここに、往年のファンには納得がいかない部分の本質があるように思います。

ファンが見たいのは、新三部作のグダグダではなく、旧三部作のチャンバラ劇なわけです。

時々、新選組や忠臣蔵のスピンオフな作品が作られて大コケしますが、ファンが見たいのは、池田屋や吉良邸への討ち入りであって、大石内蔵助の生い立ちや葛藤なんて脇にちょっとあればよいわけです。

その点、前作『フォースの覚醒』は、旧三部作寄りでした。

というより、新たに始まる三部作のイントロという位置づけの中で、旧3部作のキャラクターたちが勢ぞろいしたスターウォーズ同窓会といった内容で、ライトセーバーでブンブン戦ったり、『待ってました!』とファンが思うような内容でした。

肝心のストーリーも、これからどうなるんだろうというわくわく感しかないのですが、それでファンにとっては十分と言え、2時間超の宣伝映画といった感じで、後続に期待を抱かせるような内容でした。

高評価が多いのは、見たかったものが描かれているのと、後続への期待をこれでもかって言うくらい煽っているからです。

しかし、待ちに待った末に登場した『最後のジェダイ』は、シンプルな宇宙戦争ごっこではなく、登場人物の業に焦点を当てる新三部作のようなノリになっています。

さらに。

この『最後のジェダイ』の監督なるライアン・ジョンソン氏は、登場人物の葛藤や孤独を描くために、これまでのスターウォーズ前提をはじめとした、主要人物の内面以外の要素をかなり軽視しています。

あれ、ジェダイってこんな力持ってたんだっけとキョトンとしてしまうどころか失笑が漏れるようなシーンも多々あり、往年のファンには許せないところだと思います。

登場人物の内面への深入りにチャレンジする反面、そのためにスターウォーズ的な部分や前作で期待させた伏線とかをあっさり切り捨てているわけです。

それを野心的や創造性などと褒め称えるか、なにこれまでの流れをぶち壊してくれてんだと激怒するかが、最大の分岐点でしょう。

そう考えると批評家とファンの間で評価が分かれるというのは納得。

あと、ディズニーのビジネス臭のようなものをプンプン感じるところもあって、今作の新登場人物の全員が本編と関係ないというか蛇足というか不要です。

アジア系女優の無理矢理の登場と無理やりの恋愛、DJとかいう変なならず者のサブクエスト、厳格な女司令官、かわいい新マスコット、いずれもスターウォーズに、無理やりディズニー的なキャラとエピソードが挿入されている感じで、次回作ではミッキーマウス当たり出てくるのかなという感じです。

ディズニーのビジネス的な要素が神聖なスターウォーズを汚しているという熱いファンの怒りは同情できます。

肝心の登場人物の葛藤の描写はどうかというと、悪くないのですが、あまりに唐突過ぎて深みがまったくないのが残念です。

自分の親を知らず、ずっと孤独だったレイ。

師に裏切られたカイロ・レン。

弟子の育成に失敗したルーク。

テーマ的には深堀り出来そうですが、実際には深みが無いのも当然で、前作でいきなり登場した人たち(ルークはちょっと違うけど)、しかも前作では人間的な葛藤はろくに描かれていないのに、そこを掘り起こそうとしても、深く掘れないのが当然で、全員が全員つまらないことで悩んでいる弱弱しい小物のように見えてしまいます。

ジョージルーカスは今作に好意的なコメントをしたらしく、確かに、安っぽい宇宙戦争ものにはならずに済んでいますが、如何せん、今作でいきなりカイロ・レン、レイ、ルークといった三者三様の苦悩や葛藤を描くのは無理があると思いました。

既存の流れの軽視、中途半端な内面描写、ディズニーによるどうせもよいサブストーリーのぶっ込み、いろいろと唐突過ぎて、全体的に薄っぺらくなっています。

特に、カイロ・レンとルークの葛藤は、もっと時間をかけて描いたほうがよかったと思います。

なんなら、レイが要らない。

よくよく考えてみると、彼女は絶望するような何かにまったく直面していなくて、そこが話のバランスをおかしくしています。

どうせならレイも脇役にしてしまえばよかったのに。

フィンなんて出す必要もない。

ということで、レビューは唐突に終わりますが、5段階で3です。

全然悪い映画じゃないです。

つまらないってことは絶対ないです。

また、ディズニー要素も、蛇足なだけで、作品全体を駄作に押し下げるようなレベルではないです。

ただ、描きたいことが全然描ききれていない。

そこは大きいです。

削れるシーンはいくらでもあったような気がします。

私は、能に登場する、絶望の果てに人間がなる鬼が好きなので、次作に期待ですね。

レイとカイロレンがくっ付きそうになりながら、どちらかが非業の死を遂げて、残った方がブチギレて修羅と化すような作品を期待します。

お願いだから、ハッピーエンド的に、宇宙は平和になりましたみたいなのはやめてほしい。

なお、感想というか下種の勘繰りですが、今作の製作者はドラゴンボールとあずみの影響を受けているような気がする。


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