12月2日の日記です。
今日は大して書くこともないのですが、書きたいことがあったので書きます。
WELQ問題について考えているのですが、この問題の本質を一番ついているのは、下記の意見でしょう。
WELQなんてものが登場する前の、今から約3年前の記事ですが。
「未来への挑戦だ」、「変革の断行だ」と叫び立てる者が跡を絶たない。それどころか、それを日常の挨拶のようにして遣う人間がその数を増しております。その背景には「人間礼賛」と「進歩軽信」という、理念における二つのモダン(近代)なモデル(模型)のモード(流行)があります。ちなみにモダンとモデルとモードとは、語源にあっては同根です。つまり近代とは「最近の時代」などというカレンダー上のことではなく、「模型が流行する時代」ということを指します。しかもそこに「デモクラティズム(民主主義)」が加わります。そのせいで「デマ(嘘話)に誑かされる単純な人々」としてマス(「大衆をたっぷり混じえたデマゴギー(民衆扇動)」つまり「大量現象に便乗する大量人」)がその模型や流行の担い手となります。要するに、「単純模型の大量流行」によって染め上げられるのが近代だということになるのです。
出典:西部邁言葉は過去からやってくるスポンサーリンク
これだけで十分お腹いっぱいになりますね。
結局のところ、WELQが検索上位を独占したのは、もちろんSEO対策や物量作戦もあったのでしょうが、そういった裏技を駆使したことが一番の理由ではなくて、皆の期待に応えたからなんでしょうね。
その4以降まとまるのかな。
明日と明後日はお休みです。
ゆっくり考えてみます。
単純模型の大量流行。