良くあるテーマです。
オリンピックはまだやってますが、私はすっかり柔道ロスです。
高校の授業でしか柔道はやったことないのですが、何故か好きで、テレビでやっているとよく見ます。
今回も、毎日1時半くらいに寝つつも、4時に目覚ましをセットして準決勝から先もしっかり見るという生活をしていました。
ただ、一番の感想は、これがグローバル化か、という感じですね。
日本と海外特に欧米では、ルールというものの考え方が根本から違うところがあります。
私のサラリーマン時代の専門分野の一つが会計ですが、会計も根本から違います。
日本の会計基準では、一番重要な原則は真実性の原則と言って、企業は決算書を作るにあたって、企業活動の実態の真実が反映されるようにしなくてはいけないとなっています。
もちろん、何が真実かは、人により(会社)により解釈は分かれるから、真実と言っても相対的な真実であって、結論としては、ルールが複数用意されていて、会社は自らの企業活動の真実を適切に反映するように、最適なルールを選択適用するというルールになる。
しかし、これが外国人には基本的に受け入れられず、結果として会社ごとに適用するルールが異なる場合があるというのがどうしても理解されない。
真実の名の下に自分に都合の良いルールを適用するに決まってるじゃないか、日本の会計基準は粉飾決算の温床である、日本企業の決算書はとても信用できないとなる。
日本人の心が義理人情であれば、アメリカ人の心はFairness(公平性)。
誰であれ同じルールを適用することこそが重要であり、人にはいろんな事情があるなんて言い出したらきりがないから絶対に言わせない。
その一方で、ルールを守っている限り非難されませんが、日本では、ルール的(法律的)にはOKだが、モラル的には問題があるみたいな話が常に出てくる。
いつだったか忘れましたが、結構前のオリンピックで、日本人選手が、消極的過ぎるという名目でやたら指導をもらって負けまくった時があったかと思います。
あの時、多くの日本人は、一本を取るにはそれなりに間が必要なんだ、やたらめったら攻めまくって、かかりもしない技を出すなんて柔道の精神に反する、などとみんな怒ってました。
しかし、今回のオリンピックでは、指導一つでフランスの絶対王者なる人が逃げまくって、金メダルを取っていきました。
それに対して、なんで指導出さないのか、勝っていても攻め続けるのが柔道の心であると怒っています。
しかし、その昔のオリンピックで、技を一定時間出さなかったら指導を出すべきというルールを作って徹底した人たちは今頃、だから言ったじゃないかと思っているかもしれませんね。
技を出さない即指導にしない限り、逃げるのはある程度認めざるを得ない、1分間タイミングをうかがうのと1分間逃げることを客観的に区別することは出来ず、ジャッジの主観的判断にゆだねることになると。
もちろん、そこには大きな差がある、逃げるのと技を狙ってじっと隙をうかがうのとは全然違うという主張も聞こえそうですが、おそらく、いや、絶対にその主張は外国人は受け付けないでしょう。
心で主張が理解できないというのではなく、客観的に判断できない基準をルールとすることに同意することはないでしょう。
そんなことを言ったら一本も技ありも指導も何もかも主観的じゃないか、というのはいかにも日本人が言いそうですが、そんなことは相手も百も承知です。
ジャッジの判断が主観的か客観的かの問題なのでなく、判断対象が選手の客観的側面か主観的側面かの問題です。
これぞグローバル化ですね。