トランプ温故知新


昨日ある本を読んでいました。

すると妻が、なに読んでるの今?と聞いたので、思うところがあって福沢諭吉を読んでいると答えたら、本当に変な人だね、今の時代に思うところがあって福沢諭吉読む人なんていないよと言われました。

私は、そんなことない今こそ福沢諭吉だと言ったのですが、全く相手にされませんでした。

十数年以上前、独り暮らしを始めて数年目まで、住民票を移してなくて、選挙の時は実家に帰っていました。

何かの選挙で例のごとく実家に帰ったところ、卒業した小学校の設立何十周年だか忘れましたが、記念行事実行委員会みたいなのから手紙が届いていまして、中を見ると、小学校に記念品を贈呈するとして、卒業生に寄付を募るものでした。

ただ、その記念品がびっくりするもので、校庭の一画にでっかい石碑を立てて、温故知新と刻む予定とのこと。

当時は、なんてな愚かな、そんな無駄な金を使うくらいなら、最新のパソコンでも買ってやれよ、と一卒業生として怒り心頭でした。

ただ、今となって考えると、この記念碑を考えた人は、きっと、今の自分と同じ思いなんだろうなと涙が出ます。

本を読むとつくづく思うのですが、問題の本質というのは今も昔もたいして変わらなくて、100年以上前の時点で、鋭い分析を提供してくれている人がいるものです。

読んだ本は、民情一新。50ページくらいの短編ですが、福沢諭吉の代表作の一つだと思います。

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情報伝達の劇的な進歩が起こる中、世論というものがどういう方向に動くのか、また、社会(民衆と政府の関係)がどうなっていくのかなど、要するに、民主主義の本質を鋭く分析したものです。

今アメリカで目下進行中のトランプ旋風について考えているうちに読んでみようと思ったのですが、少しだけ頭がすっきりしました。

まさにいま日本で起きていますが、言葉狩り的なものが多く、政治家や有名人だけでなく、私のような馬の骨ブロガーでさえ、言いたいこと言うのは怖くて、当たり障りのないことばかり書きます。

おかげでテレビや新聞雑誌も、上っ面だけの当たり障りのない意見ばかりで全然面白くないです。しかも、メディアだけでなく、ただの1個人も、1億総監視社会のなかで、発言に気を付けてびくびくしているような気がします。

そうすると、どんどん社会全体のストレスが溜まっていき、どこかのタイミングで言いたい放題の過激派が出てくると、一気に大衆がそっちに流れるのでしょう。

出版言論の自由を抑圧する専制政治に対しては、絶対君主という悪い奴がいますから、暴動が起きるのでしょうが、民主主義社会のなかで国民自らが作り出した言論の不自由ですから、革命するにも矛先がなく、よくぞ言いにくいことを恐れずに言ってくれました的な、自由人を奉るお祭り騒ぎになるんでしょうね。

怖いのは、きれいごとの人VS本音の人みたいなムードが、主張内容自体という本質的な部分を見えなくさせているというところでしょうか。

しかし、言いたいこと言わせろ!自体が主張になってはいけません。気持ちは非常によくわかるけど。