『わたしは真悟』を読んで


まさかフランス人にマンガを教えてもらう日が来るとは。

先月末に、フランスで第45回アングレーム国際漫画祭という世界的な漫画フェスティバルが開かれ、そこで、楳図かずおさんの『わたしは真悟』というマンガが、遺産賞という非常に栄誉ある賞を受賞したとのこと。

遺産賞というのは後世に永久に残すべきと評価された作品に贈られる賞で、日本人の受賞者はこれで3人目とのこと(一人目が水木しげるさんで二人目が上村一夫さん)。

私は楳図かずおさんの『漂流教室』が大好きで、連載時の扉絵まで収録した完全版もそろえていますが、実はそれ以外の漫画は良く知らない。

もちろん、『わたしは真悟』については聞いたこともない。

早速グーグルで調べてみると、いくつかレビュー記事があり、みな絶賛しているのですが、その内容の解釈については皆さん苦戦しているらしく、なんだかさっぱりわからず(凄味が伝わってこない)。

さらに、遺産賞という賞を授与したアングレーム国際漫画祭の公式サイトによると「大人の残酷な世界に抵抗する人道主義的な物語」らしいのですが、そんな内容のレビューはどこにも見当たらず。

そんな感じなので、どうせ、欧米人がいつものように、さもそれが当然であるかのように、自分達の物差しで、日本の漫画を勝手に評価してるだけなんじゃないかと思ったので、早速全巻セットを買って読んでみました。

さて、読んだ感想。

「大人の残酷な世界に抵抗する人道主義的な物語」というのは、非常に興味深い感想ですね。

こんな感想は日本人からは出てこないでしょうね。

この漫画をよんで、感想が人道主義に至る日本人っているのかな(いたらごめんなさい)。

しかし、そのおかげで、人道主義という考え方、その欧米的なものの見方に、言葉としてはもう聞き慣れましたから、なんとなくわかったふりして生きていますが、ずっと感じていた違和感というか、いったいどういう主義なのかという疑問の答えが少し見つかった気がします。

なお、『わたしは真悟』の検索経由でこの記事にたどり着いた人、私の漫画評や映画評は全くとんちんかんで有名ですから、ご注意を。

まずこの漫画、楳図かずお節が全開で、間違いなく面白いです。

突拍子もないストーリーですが、それが非常に力強い画力で描かれていて、読み手を圧倒します。

読み始めたらやめられないです。

なんだかよくわからないがすごい作品、間違いなく傑作、楳図かずおは天才とか、言ってしまう気持ちはよくわかるし、それ以上の感想は難しい作品です。

率直な感想は、何が何だかわからず無茶苦茶だがすごい漫画な気がする、という感じだと思います。

主人公は悟(さとる)とまりんという二人の小学生。

その二人は子供ながら本気で愛し合うようになります。

二人のデートはもっぱら悟の父親が働く工場で、そこに導入された産業用ロボットに、言葉を教えたり、自分たちの顔を認識させたりして、遊んでいました。

しかし、両親(大人たち)の都合で、必死に抵抗するものの、二人は引き裂かれることに。

そんな中、その産業用ロボットは、意識を持つようになります。

イギリスに行ってしまうまりんに対し、日本に残される悟。

悟はまりんを忘れる決意をするのですが、最後に、二人で遊んだ産業用ロボットに、「サトルハイマモマリンヲアイシテイマス」と打ち込む。

そして、意識を持ったロボットが、そのメッセージをまりんに伝えに行き、まりんからの返事を悟に伝えるために戻ってくるという話です(返事にちょっと一工夫あるのですがそこは読んでみてのお楽しみ)。

こう書くと淡いラブストーリーのようですが、その過程は無茶苦茶。

一つだけ例を挙げると、イギリスに渡ったまりんはエルサレムで変な男と結婚させられそうになるのですが、そのころには、そのロボットは世界中の機械を操れるようになっていて、人工衛星をエルサレムに落として(エルサレムは消滅)、その結婚を阻止したりする。

この話の解釈で、「大人への抵抗」は分からないでもないのですが、「人道主義」はいったいどこに出てくるのか。

私も突拍子もないのですが、キリスト教圏の人々というのは、潜在的に罪の意識みたいなものを感じて生きてるのかな。

この話、1982年に連載開始にもかかわらず、産業用ロボットが意識を獲得し、その後少しずつ学習していき、最終的には世界中の機械を動かせるようになるという点で、AIの進化という未来予測を含んでいるとも考えられます。

AI技術が進展していくことに関し、職が奪われるという現実的な心配もあれば、ターミネーター的な、自我をもったコンピューターに人類や世界が支配されるという妄想というか、想像があります。

これは、日本人であれ、欧米人であれ、そういったSF作品に、リアリティを感じる点では共通点はあると思いますが、人類が滅ぶという結末に対して、人類が罪を犯しているからという考えを、濃淡の差は個人差はあれど、欧米人は持っているのかな。

日本人には縁がないですが、キリスト教的を前提とする文化圏で育つと、ソドムとゴモラとか、バベルの塔のような、罪を犯し続ける人類とその報い、という思想がいつの間にが植え付けらるんじゃないだろうか。

原罪意識的な発想が根付いているのだと思います(想像だけど)。

私の好きな漫画に『寄生獣』という作品があります。

その中で、人間を襲い食べる寄生獣たちのリーダーとなる広川という男が、人間を襲う寄生獣たちを滅ぼそうと戦う人間達に対して、環境を破壊し生態系を壊し地球を破滅へと向かわせる人類こそが、地球に巣くう寄生獣じゃないかと演説するシーンがあります。

それを見て、はっとさせられる気持ちはありますし、環境問題等を考えないわけではありませんが、そこに「罪」の意識を持たないというのは、私が意識が低い人間だからでしょうか。

他の動物を食べないと生きていけない自分達を考えるときに、人間の業のような、重い何かを感じることはありますが、ただ、それを罪と考えることはないです。

環境問題と言えば、捕鯨問題がありますが、一部の過激な反捕鯨団体がなぜあそこまで執念を燃やすのか、私には理解できません。

おそらく、彼らは捕鯨に人類の罪を見出し、罪を犯し改めない一部の人間に対し、聖戦をしているのでしょう。

多くの日本人にとって、そこまでの大きな大義の認識は想像すらつかない気がします。

もちろん、捕鯨に対し賛成反対の意見はあるかもしれませんが、「罪」というような感情を持つのは、やはり、前提となる基本的な価値観が養成される段階で、人類の罪みたいな概念を叩きこまれた人達ならではなんじゃないかなと思います。

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この作品では、漂流教室もそうですが、主人公が子供で、子供であるがゆえに、常識とかしがらみにとらわれずに、自分の向いた方向に全力で進もうとします。

その様子が、楳図かずお先生ならではの非常に力強い画で表現されるので、すさまじい生命力が描かれます。

そして、様々な登場人物がいますが、その人が子供的であればあるほど、直情的ですさまじいエネルギーを見せてくれるわけですが、この作品のなかでは、産業用ロボットが一番の子供です。

悟とまりんがインプットしたわずかの情報しか持たない中で意識を持ち、そして、世の中のことが何にもわからないままに、悟の思いをまりんに伝えようと全力で邁進します(何のためらいもなく障害たる人間や物をぶっ壊しながら)。

しかし、その中で、世界中の機械を支配できるようになっても、したいことは、まりんに会って悟の思いを伝えることそれのみで、獲得した力を利用して、世界を征服しようとかそんなことは思いつきもしません。

生命とは何かというのは非常に難しい問いですが、生き物を生き物たらしめているエネルギーに注目して、エネルギーを獲得しながら、自分を維持する仕組みと定義してしまうと、いわゆる生き物だけでなく、地球なども生きていることになります。

(難しすぎて読み切ってない)

それと同じで、この産業ロボットも、悟のメッセージを伝えるために行動している内に、いろいろな知識を獲得していき、いろいろ複雑なことを考えられるようになっていきますが、それだけでなく、自分が継続していくためのエネルギーもしっかりと獲得しようと努力していき、ロボットなんですが、生き物と何が違うのかわからなくなっていきます。

AIというのは人工知能のことですが、人間から与えられた様々な知識をベースにしつつも、それらを動員して、未知の問題についても考えられるようになるプログラムのことだと思います。

そして、AIは人間を超えるかなんて議論がありますが、考えてみれば、そのAIは電気で動いていて、自分自身でそのエネルギーを入手するようになって、自分を維持できるようになれば、思考が人間を超えなくても、すでにそれは生命と言えるのかもしれません。

このロボットは、まさに、究極の子供なわけです。

様々なしがらみに縛られて生きる大人たちとの対比で描かれる生命力に満ちた子供たち。

そして、その中でも最も純粋な子供が、登場する産業用ロボットで、ロボットなんですが、すさまじい生命力を見せてくれます。

一つのことしか考えられないロボットが見せる圧倒的な生命力とそれが引き起こす奇跡。

そこが、この作品の魅力だと思います。

そして、人間だれしも、様々なしがらみに縛られながらも、自分なりに、生きる意味だったり人生の目的だったりを見出し、それがむなしいもの、とるに足らないものと分かりつつも、それに向かって全力で生きていて、だからこそ、この漫画に登場する悟やまりんやロボットに心奪われるわけです。

しかし、しかしです。

賞をあげた人たちは違うものを見ているような気がします。

大人に対抗して純粋に生きる子供たちがいて、そこに真実の愛が生まれるけど、大人の事情で引き裂かれる。

そして、その引き裂かれた愛をつなげようとして、社会のルールやら常識やらを完全に無視して邁進するロボット。

罪を犯し続ける汚れた大人たちの社会があって、でもその中で、汚れた大人達の論理を一顧だにせず、また、自分が壊れることもいとわず、愛という崇高なものを届けるために、自己犠牲的に邁進するロボットの姿。

おそらくそこに人道主義を見出したのでしょう。

宗教的な聖人の姿を見ているのかもしれません。

真実の愛を貫こうとするまりんを救うためにロボットがエルサレムを破壊するところなんて、さぞ象徴的に映るんでしょうね。

しかし、この漫画が描いているのは、人間が事後的に生み出した言葉や文化や文明や、それが罪だとか汚れてるとかではなく、その前からある、生き物を生き物たらしめているエネルギーなのだと私は思います。

そしてそれをロボットが最も純粋な形で見せるところにこの作品の魅力があると思います。

この物語は「人道主義」とかいう、特定の価値観や宗教観を前提に一部の人間が後から作り出したものなんて描いてないと思うわけです。

エネルギーの向かう方向に、正邪や善悪の判定をしないと気が済まないのでしょうか。

圧倒的な生命力の爆発に感動するのに、その生命力に、人道的云々の、人間が作り出したもの差しによる善悪の方向性を見出した瞬間に、描かれている生命力が作り物の陳腐なもののような気がしてしまいます。

生命力そのものに感動するのではなく、その力が向かう方向を「正しい」「美しい」と判定したうえで感動する。

自分達の物差しで作品を読んで、自分達の世界観にその作品を落とし込み、自分達にしか見えない人道主義なるものを作中に見出して、偉大な作品だと賞を与える。

極めてヨーロッパ的ですね。

怖い怖い。

まあ、妻がこれ読んだら、お前の方がよっぽど怖いとか言ってきそうですが。

絵とストーリーに圧倒されて、読み始めると止まらなくなるのは間違いないので、読んだことない人は是非どうぞ。