資本主義に海賊はつきものという話です。
目次
はじめに
最近、下記の本を読みました。
中々好評価を得ている本らしく、実際に視点は面白いのですが、各章ごとに周縁部を行ったり来たりするだけで、今一つ核心に入らないまま終わるという変な本です。
そうはいっても視点自体はとても面白く、何かを得たのか、何も学んでないのかわからない、不思議な読後感を得た本でした。
しかし、先日のメルカリでの現金出品騒ぎを考えるときに、この本が提供してくれた視点は非常に面白いなと感じまして、やはり物事は具体的に考えてみるのが重要だなと思った次第なので、メルカリと海賊について考えてみます。
海賊の時代
海賊というのは、皆さんご存知、パイレーツオブカリビアンに登場するような海賊です。あの時代の海賊です。
現在、ソマリアで身代金ビジネスをやっている連中はただの銀行強盗みたいなものなのでちょっと違います。
パイレーツオブカリビアンのような16~18世紀の大航海時代には海賊が大流行しました。
どういう時代だったかというと、アメリカ大陸発見とか、バスコダガマによる喜望峰ルートの発見などを受けて、航海技術の進歩もあり、ヨーロッパ諸国が海路開拓による領土拡大戦争をしていた時代です。
植民地なんて言うのは見つけたもの勝ちですから、奴隷貿易、香辛料貿易などで、独占利益を獲得すべく、各国が我先にと海の上で覇権争いをしていた時代です。
ポルトガルは、喜望峰を通る東インド航路を専有化し、香辛料のヨーロッパへの輸入を独占しますが、少し遅れてオランダなどが東インド会社を作り、市場を奪いにいったりします。
当時、ヨーロッパでは一応国家らしきものが成立し、国境などは合意されていましたが、焦点が陸から海に移り、公海なんて概念はなく、海は領土たりえるのかなんてものが真顔で議論されていた時代です。
実際に、イギリスとスペインは海洋も陸地と同じく統治権の主張が出来ると主張し、それにポルトガルとオランダが反対していたりしました。
そんな感じで、国家なるものがなんとなく出来あがり、陸地上で国境的なものも合意され、領土戦争がひと段落した後に、ヨーロッパ列強が続々と海路で領土を拡大するのですが、海洋上のルールの取り決めは未だなく、どの国も力でやりたい放題やっていた時代です。
独占権争い
例えば、1603年に香辛料を積んだポルトガル船籍のサンタ・カタリナ号がマラッカ海峡でオランダ船ヘームスケルク号に拿捕されて、荷物たる香辛料を奪われます。
ここで、オランダのヘームスケルク号は東インド会社の輸送船で、オランダ政府は東インド会社に香辛料貿易の独占権を与えていましたから、正式な権利を持って、「香辛料海路」で不当に香辛料貿易をしていたポルトガルの海賊船を拿捕したことになります。
しかし、喜望峰ルートを発見したのはポルトガル人バスコ・ダ・ガマで、ポルトガルは東インド会社が設立される前から、東インド航路の専有権を主張していましたから、自国のサンタ・カタリナ号が、オランダ船籍の海賊船に襲われたと猛抗議し、結局水掛け論に終わります。
他にも、新規航路は発見者の専有であると主張していたスペインにとっては、その航路を通るイギリス船やフランス船は海賊でしたから、当然の権利として拿捕して積み荷を奪っていましたが、イギリス船などからすると、この海は自分たちのテリトリーだと言って襲ってくるスペイン船こそが海賊でした。
各国が領土拡大を試みているものの、国際法がまだなく海洋上はグレーゾーンでしたから、海賊かどうかの定義は極めて主観的で、自国とその同盟国以外の船は海賊でした。
お互いにお互いを海賊として、強い船が弱い船を襲っていただけでした。
このように、海賊か否かは主観的なのですが、どこの国にも所属せず好き勝手やっていた連中もいて、それが本来の海賊です。
つまり、ヨーロッパ列強が領土を拡大し、貿易を独占することで、そこから生じる富も独占しようとそれぞれの正義を掲げてやりたい放題で行動しているのですが、グレーゾーンなのをいいことに、どの国にも所属せず、勝手に貿易をしたり、他の商船を襲ったりするのが海賊です。
海賊の本質
列強諸国の覇権争いが続いていて、お互いがお互いの船を海賊呼ばわりして平然と襲撃略奪するどころか、コルセアと言って、特定の海賊に他国の船を襲う許可状を与えて襲撃させたり(私掠船)、はちゃめちゃなカオス状態で、そもそも国際法的な統一ルールはありません。
そんな支配が及ぶか及ばないかの先端地域に積極的にでていって、ルールに縛られず、自分達の利益を稼いていたのが海賊です。
後から色眼鏡で見てしまうと、強欲な国家権力が支配を広げて利益を独占しようとするのに対抗した英雄に見えたり、権力の支配下に置かれるのを嫌がり自由を求めた英雄に見えたりするかもしれませんが、史実的にはちょっと歪んだ見方といえるようです。
実態は、単にグレーゾーンの新天地に積極的に出ていって、商売をしていただけなわけです(他船の襲撃もしていましたが、それは各国もしていた)。
もちろん、独占権を主張する国家からするとならず者集団なのですが、当の海賊たちは、国家を転覆する気もなければ、自分達で新たな国家をつくる気もありません。
単に、新天地で自由に商売するだけです。法律違反かどうかではなく、ルールの範囲外にいる連中です。
そして、どっかの国に勝手に拿捕され、裁判にもかけられずに死刑にされる間際に権力への嫌悪感を叫ぶくらいなわけです。
「なんでお前らの作ったお前らに有利なだけのルールに従わなければならないのか」と。
海賊の真実
実際の海賊は、映画などに出てくるように権力に逆らうカリスマヒーローが船長となって、それを慕う部下が集まって、反社会勢力ごっこをしているわけではなかったようです。
新天地で商売をしているわけですから、いくつかの拠点や補給目的の寄港地がちゃんとあり、そこで負傷者を下すとともに欠員の確保をしたり、他の海賊船と連携したりして一大貿易ネットワークを築いていました。
しかも参加者には事欠きませんでした。
ヨーロッパ列強諸国の貿易船には特徴があります。
まず、先祖代々貴族みたいな大金持ちが船主で、知り合いの軍人上がりなどの頼れる人物を船長に任命します。そして、船長の下には、士官と船員の2種類がいて、明確なヒエラルキーがありました。
とにかく船主の積み荷を無事に届けるのが船長の仕事で、そのために効率的な運営に専念しており、怠けているものがいないか徹底的に監視し、乗組員の間には絶対的な階級があり、体罰も法律上認められていました。
また、乗組員は固定給で、絶対的な上下関係の下で、ひたすらこき使われるだけでした。
しかし、そんな乗組員たちが抜けだして参加した先の海賊にはヒエラルキーはありませんでした。
リーダーは船員全員の平等選挙で選ばれ、なんと選挙による解任も認められていました。
また、船長だろうが平乗組員だろうが、食べるものも寝る場所も同じです。さらに、リーダーには、襲撃や他の船との連携を指揮する船長と、戦利品の分配や内輪もめの解決などを指揮する兵長の2種類がいて、権力分立もすでに行われていました。
そして、なにより、戦利品の分配に明確なルールがあり、船長、兵長、大工、医者は2倍でそれ以外は平等でした。
また、負傷者への充実した保険制度もあったり、解放した奴隷は差別なく受け入れていました。
信賞必罰の厳格なルールもありました。
これらは皆カリブの海賊に共通する掟だったそうです。
なんとなく、言いたいことがわかってきた人もいるかもしれません。
従来の見方だと、略奪や密貿易を生業とすることや厳しい掟などから、国家から排除されたならず者たちが組織化して生きていくためには、こうするしかなかったという流れになりそうです。
しかし、逆も考えられるわけです。
当時は、国家の利益独占システムとそれを支える強固な階級社会が出来上がっていて、民衆はその歯車としてこき使われる存在に固定化されていた。そして、そのシステムが従来のやり方そのままに拡大しようとしている時に、まだ支配の及ばないグレーゾーンの新天地で、権力から離れてより平等で民主的な仕組みで自由に商売しようとしていた連中が海賊であると。
こう考えると、閉塞感のつよい既存社会から抜け出した連中がグレーゾーンで自主的に作り上げていった、自由で民主的な組織が海賊なわけです。
メルカリという新天地
海路による領土拡大はとっくの昔に終わっていますが、現在はIT革命により生じた電脳空間での利権を巡り大戦争が起きています。
大航海時代よろしく、国家やグローバル企業がその利益を独占すべく、領土を拡大しています。
とは言いつつ、目に見えないので、今一つ電脳空間の覇権争いみたいな話はピンときませんでした。
しかし、メルカリは電脳空間にまさに新しい空間を作りました。
ユーザー同士が直接につながって取引をする空間を作ったわけです。メルカリが提供する空間では、個人と個人が直接つながれます。
しかも友達同時ではなく、他人同士の個人がビジネス目的で直接繋がるわけで、既存の、銀行を間に挟んだ金融取引や、商店を間に挟んだ取引を根本から変えます。本当に中間業者のいない自由な市場です。
そこで、事実上の金融業が自然に発生したわけです。
もちろん、現金の出品は、代金回収リスクをカード会社に転嫁させている貸金業ですからちょとズルいように気もしますが、そもそもクレジットカード会社というのは赤の他人同士の取引を円滑にするために、カード保有者に与信を与えることが仕事ですから、カード会社の規約上クレジット枠の現金化が禁止されている以上規約違反はやむを得ませんが、与信を与えている以上、文句を言うのも本来的にはおかしな話です。
ショッピング枠とキャッシング枠なんて区別もよくわかりません。ショッピング枠でブランド物を買って、質屋で換金している人なんていくらでもいます。
メルカリは直ぐに現金出品を禁止しましたが、一体現金出品の何がいけないのでしょうか。
マネロン対策とか言ってますが、現金を保持していることが明確に証拠に残るこんなオープンな方法でマネロンやる人はいないでしょう。
金の貸し借りは必ず銀行を通しなさいということでしょうか。
無制限の高利貸しは人を不幸にするからでしょうか。困窮した人は超高利でも現金に飛びついてしまいかわいそうだから国家が介入して、認可した真っ当な金融機関しかお金の貸し借りはしてはいけないのでしょうか。
クレジットカード会社によるリボ払いの押し付けやステルス的な勧誘。街を歩けば、カードローンや銀行グループの消費者金融による宣伝の嵐。預金金利ほぼゼロなのに、振込手数料やATM手数料を当たり前のように取っていき、窓口では平然と人を待たせて、自分たちは不相応な高い給料をもらう。
しかもカードローン残高は所得規制を無視しまくっているらしいですね。
一体どこの金融機関に、メルカリでの取引や闇金を批判したり規制を求める資格があるでしょうか。
知らずにリボ払いになっていたせいで多額の金利を払う羽目になった人や、宣伝の通りに迅速にローンを借りて多額の金利のせいで一気に生活が苦しくなった人はたくさんいます。
確かに、借りた方が悪いし、自動リボ払いに気付かなかった情弱が悪いのかもしれません。
しかし、そういった人たちを笑うのは勝手ですが、弱者を笑って自分が強者になるなら話は分かりますが、単にボランティアで既存の金融機関の既得権の保護をしているだけになってはいないでしょうか。
もし騙される方が悪いというなら、メルカリでの現金出品を規制するのもおかしいな話です。
自由主義社会なんだから、自由が原則ですし、それを規制するなら、認可されている側の行動もしっかり監視しないと、新技術の開発等があっても、既得権益がますます太るだけになってしまいます。
資本主義と海賊
資本主義というのは、自由主義とよく一緒にされますし、経済における自由主義の発現が資本主義であるとの説明もあったりします。
しかし、自由な売買や取引だけでは資本主義は説明できません。
市場で行われていることが、売買や取引で自分の生活の糧を得るとか、生活上の満足を得るだけならそれでも良いです。
しかし、実際には利潤を得ることそれ自体が目的化して取引がされることこそ資本主義の特徴です。
したがって、既存大資本、つまり国家や大企業は常に既得権益の増加を求めて、領土を拡大し、権力や事実上の支配力にものをいわせてその新領土でこれまで通りのルールの適用を強要して、新天地から生じる利益をすべて搾取しようとします。
しかし、フロンティアでは常にグレーゾーンが発生しており、その新天地では、必ず自由に行動する海賊達がいます。
それはまさに止まることのない資本主義というダイナミズムの必然であり一部なわけです。
それを、階級闘争とか、2極化社会への反発とか、個人対社会や個人対大企業といった見方で捉えるのがおかしくて、資本主義の下では自由な新天地が出来ると必ずそこにさらなる利潤を求める既存勢力がそのまま進出してそこも支配しようとする反面、新天地で自由にふるまう新勢力も生じ、対立が起きるわけで、それは資本主義の必然的な一部なわけです。
自由な発想でビジネスをしようとすることが、利益の独占を企む既存勢力との衝突を生むだけで、既存勢力を倒そうと武装行動しているわけではありません(もちろん反発がないわけではありませんが)。
しかし、その新勢力は、「海賊」すなわちルールに従わない無法者として、国家などの既存権力から徹底的に糾弾されます。
IT空間における初期のハッカーたち、バイオパイレーツ(先進国の倫理規定を逃れてクローン研究を自由に行うグループ)、特許競争におけるパテントトロール(ピコ太郎の商標のように、権利を前倒しで取りまくって、後から権利侵害として訴訟して賠償金を得ることを目的としている会社)、全て同じです(資本主義の必然という意味で)。
単に、既存のルールの及ばないところや隙間で、自分たちのルールで行動しているだけです。
なぜ新天地でも、既存独占資本の強大化を促す一方の既存ルールに従わなくてはいけないのかと、自分たちの考えるより良いルールで行動しているわけです。
そして、大航海時代の海賊のように、ヨーロッパ列強がお互いをお互いに海賊呼ばわりしている中で海賊と呼ばれたけども、危険を顧みずに新天地に集って、今の企業の先駆けともいえるような、民主的で平等な仕組みを実現しながら列強諸国を脅かすほどの巨大ネットワークを築いていた人たちもいるわけです。
もちろん、上述のハッカー集団、バイオパイレーツ、パテントトロールは放置しておくととんでもない害悪になりかねませんが、かといって、既存大企業グループに全てをゆだね、マイクロソフトような大企業がソフトウェアを独占し、大手製薬会社が遺伝子技術を独占し、大企業が手当たり次第に特許を取得して新規参入のハードル上げて排他性を維持する、といったことが私たちの利益になるわけではありません。
このメルカリ現金出品騒動。
確かに不謹慎ではあり、放置するわけにはいかないでしょうが、出現した海賊たちを非難する結果として、無意識のうちに既存金融機関の既得権益を守る手下になってしまわないように注意が必要です。
資本主義で社会が豊かで便利になっているのは間違いありませんが、企業の宣伝のように、既存資本が我々のために行動してくれているからそうなったというより、フロンティアで戦う海賊たちこそが資本主義による社会の発展を支えているのかもしれないからです。
海賊というレッテル張りには要注意です。
終わりに
こうやって書いてみるとやはり面白い本ですね。この本読むまではこんな発想全くなかったのは間違いありません。
興味ある人は是非。
海賊と資本主義 国家の周縁から絶えず世界を刷新してきたものたち
なお、記事を読むと大いに伝わってくると思いますが、私は銀行が大嫌いです。
メルカリの現金出品より、銀行やカード会社などがやっていることの方がよほど悪いと思うの私だけでしょうか。
ATM手数料っていうのがいまだに理解できません。なぜ、預金者がお金を払わなくてはいけないんでしょうかね。
それにリボ払い関連の勧誘の悪どさに比較したら、現金5万円を6万円で売る方がよほど良心的です。一回きりの話であって、継続的に搾取する仕組みに組み入れようとする試みではないですからね。
三菱東京UFJがもうすぐ仮想通貨を発行するそうです。
この国ではとにかく新技術に警戒感が強いですから、今のうちに自分達の発行する「信頼できる」仮想通貨を普及させて、ビットコインなどの仮装通貨が目指す分散ネットワーク、つまり、センターシステムを通さなくても良い(特定組織を信用しなくても済みリスクもコストも低い)金融仕組みづくりを潰す気満々ですね。
メルカリのような無法地帯にならないように私たちがしっかり管理します(手数料は当然もらいますがね)と。
はてさて既存の金融ネットワークの網目をかいくぐるビットコインは海賊なんでしょうか。