色んな問題が詰まっていて面白いです。
目次
はじめに
MMTというのは現代貨幣理論(Modern Money Theory)というもので、経済学の新しい理論です。
「赤字国債は気にするな」という理論です。
とはいえ、数年前に登場したものの本国アメリカでは主要経済学者からボコボコにされ、トンデモ理論とされてしまいました。
名のある学者や金融当局担当者で賛成する者は一人もいないと言われています。
しかし、アメリカでも根強く主張する人たちがいて、しかも経済学者たちの批判に対するMMT派の反論は、日本です。
「お前らはそういうけど、日本をみて見ろ。多額の政府政務を抱えながら円安もインフレも起きてないじゃないか」というものです。
それを受けてか、日本でだけ非常に活発に議論されています。
そんなMMTなのですが、その中身に目を向けると、簿記の仕訳で経済を考えるというアプローチが中心にあります。
その結果、難しい数式を駆使する経済学者からすると、まったくの異端で意味不明というか、評価不能のトンデモ理論となります。
最終的には、(高尚で科学的な)経済学を理解できない愚か者が飛びついているだけなんてレッテルを貼られています。
もしくは、多額の財政出動をもとめる全体主義勢力にとって都合がいいだけなど。
しかし、私のような、まさに、難しい経済学には疎いけど簿記は得意という人間にとっては、非常に面白いものです。
なので、実際に仕訳を切りながらMMTを解説しつつ、その中身を評価したいと思います。
MMTの主張
最初にMMTの主張をまとめておくと「赤字国債は気にするな」というものです。
そして、消費税増税を推進したりする緊縮財政派に真っ向から反論する主張です。
しかし、正確に言うと、MMTというのは「赤字国債は気にするな、ただ、インフレに注意しろ」という主張です。
そして、緊縮財政派は「これ以上赤字国債を積み上げると、インフレになるからヤバい」という主張です。
これが分かりにくいというか、下手したら同じこと言ってるような気がして分かりにくいので、じっくり見ていきたいと思います。
MMTの面白さ1:貨幣価値の源泉は税
MMTというのは導入が面白いです。
現代貨幣理論と言うだけあって、「お金とはそもそも何か」という所から始めます。
簿記を学んだことがある人なら誰でも、手形や小切手を裏書きしてお金のように使えることを知っています。
それもそのはずで、誰かからお金をもらえる権利と言うのは、お金と同じだからです。
なのですが、経済では手形や小切手がお金の代わりではなく、その逆で、実は紙幣というものこそ、手形や小切手のようなものと扱います。
何言ってんだと思うかもしれませんが、紙幣と言うのは、債権証券(日銀から見れば債務証券)として扱われています。
まさに手形や小切手の仲間です。
とはいえ、紙幣を日銀にもっていっても何してもらえるわけではありません。
なのに、1万円札という紙切れを100枚集めるとなぜ、自動車のような高機能なモノが買えるのか。
債権証券と言っても、手形や小切手とことなり、なんの財産的な裏付けはありません。
そこで、その説明としては、この紙切れには1万円相当の価値があるとみんなで信じているから1万円の価値があるわけで、紙幣の価値と言うのは自己循環的なんて言われていました。
しかし、あくまで債権証券としてあつかうために、手形や小切手と同様、国家(中央銀行)の信用力が下がると、みんながその紙切れの価値を疑い始めインフレになるなんて言われていました。
しかし、MMTはそうじゃないんじゃないのと反論します。
国家経済を家族に例えます。
父親がいて子供たちがいます。
その父親が子供たちに、家を建てろとか米を作れとか命令します。
そして、仕事の対価として自分の名刺をあげようと言います。
まあ、子供たちとしてもそんな名刺は何の役に立たないわけで、もらってもうれしくありません。
しかし、父親が子供たちに、「この家で生活したければ毎年度末に名刺10枚を税金として納めろ」といったらどうなるでしょうか。
ここで、この名刺に価値が生れてくるわけです。
つまり、MMTでは、お金に価値を与えているのは、国家の徴税権力(+税金は指定されたお金でしか支払えないという仕組み)であると考えます。
なるほどなと思う反面、それがどうしたという感じですが、この考えが後々効いてきます。
MMTの面白さ2:キーボードマネー
もう1つ、MMTが面白いのはキーボードマネーという考え方。
今でも金融政策の話をするときに、日銀がお金を刷ってばら撒いてなんか意味があるのか?なんて議論があります。
しかし、MMTはこういった、「中央銀行がお金を印刷する」という、紙幣中心観にも疑問を唱えます。
そこで登場するのが、キーボードマネーという考え方。
現在の経済活動の実態をみると、国債発行だとか金融緩和なんていっても、システム上で数字動かしているだけなんだから、紙幣を中心に据えるイメージは違うんじゃないかと。
世の中に出回っているマネーの量に注目したとき、紙幣と硬貨の量は、とうぜん印刷・鋳造された分だけです。
しかし、預金の量は一体なにか。
誰かが現金を銀行に持っていてそれが預金になるのは間違いではありませんが、実際の世の中の預金残高の殆どを動かしているのは、現金取引ではなく、キーボードを叩く手だという主張です。
仕訳で考えると下記になります。
つまり、現金残高なんて関係なく、銀行が金を貸して、システム上の預金残高を増やしたときに預金は生まれるというものです。
キーボードを叩けばマネーが生れます。
そして、キーボードマネーの面白いところは、キーボードを叩いて数字を入力するシステムに2種類あることを教えてくれます。
まず、銀行のシステムには、一般人がアクセス可能な市中銀行の預金システムがあり、振込なんかは、ある口座の数字を増やして別の口座で同じ数字を減らすだけです。
しかし、実は、日銀口座システムという、政府や金融機関しかアクセスできないシステムがあり、そこの数字を増やすと、経済統計上のマネーの量は増えるわけですが、市中の経済とは一切関係ないという大事なことを教えてくれます。
抽象論はさておき、簿記の原則に従い、一つ一つ手を動かしてみていきます。
国債は国の借金?
さて、MMT。
特徴は簿記で国家財政を考えていく点です。
そして、MMTの一番重要な結論は「赤字国債は気にするな」というものです。
そうはいっても、日本では、国の借金が1100兆円でGDPの2倍以上、国民一人当たり約800万円の借金があるなんて言われています。
ウォームアップがてら、仕訳で考えてみましょう。
現状の国債の発行状況は下記のようになります。
こうやるとわかるように、国の借金といいつつ、本当は政府の借金です。
そして、国債の保有者はほぼ100%日本国民です。
したがって、厳密には100%ではないとはいえ、国全体で考えると債権債務は相殺されます。
そう考えると、政府発行の国債残高を「国の借金」と呼ぶ表現はでたらめですし、債権者は国民なのに、国債発行額を人口で割って「国民一人当たりの借金」と表現するのは意味不明です。
そうはいっても、政府の借金が増えるのは良くないのではないかという疑問をMMTがばっさばっさ切っていくわけです。
続いて、借金は返さないといけないという命題を考えてみます。
国債は借金なのか
MMT派の最大の主張は「赤字国債は悪ではない」というものです。
しかし、緊縮財政派は国債残高が積みあがっていくことを懸念し、GDPの2倍を超えたとか、借金はいずれ返さないといけない、という点を強調します。
そして、ここ20年以上、「10年後に日本は破綻する」といった感じの本を書いてはベストセラーにしています。
しかし、MMT側から反論すると、そういうこと言ってる人たちは、日銀のBSを理解していないのではないか、となります。
どういうことか。
法律論はさておき、政府が国債を発行し、日銀が円を印刷してそれを引き受けた場合を考えると、両者のBSは下記のようになります。
ここでの最大のポイントは日銀BSの貸方です。
日銀がお金を刷れば借方に現金が登場しますが、その貸方は「発行通貨」という負債になります。
これは、簿記を知ってる人にはわかるけど、知らない人にはわからない、会計上の負債というものです。
引当金とかがそうですが、要するに、会計上は負債ですし、紙幣というものは一応は「債権証券(日銀からすると債務証券)」ということになるわけですが、それを日銀に持って行ったところで、何かもらえるわけでもないですし、日銀が何かしなくてはいけないわけではありません。
つまり、借入金のような「債務」とは明確に性質の異なるものです。
そこから、「国債=借金と捉えて、いずれは返さないといけないとか、借金まみれになると紙幣の信用がなくなり、ハイパーインフレになる」という主張にMMT側は反論するわけです。
国債を最終的に日銀が引き受けると考えれば、行きつく先は「発行通貨」という会計上の負債であり、いわゆる債務ではありません。
したがって、紙幣が債権証券と言っても、手形や小切手のような信用不安が起きることはない。
上述したようにお金に価値を与えているのは、国家の徴税権力なのだから、国家存在し、そこで生産がおこなわれ、価値ある製品を円で買えるという実体経済が動いている限り、貨幣の価値は棄損しないと主張します。
つまり、円で買えるモノに価値がある限り、円の価値は下がらないわけです。
もちろん、国債を発行すればするほど市中にお金が出回りますからインフレにはなります。
しかし、MMTから考えると、「赤字国債→信用なくなる→突然ハイパーインフレ→だから赤字国債は危険」ではなく、「赤字国債そのものは悪くなくて必要な財政支出はするべき、しかし、お金の流通が増えるとインフレになるかもしれないから、お金の流通量には十分に注意を払うべき」となります。
続いて、MMTの視点で政府の財政支出を見てみます。
まずは国債発行
財政支出と言っても元手が無ければできないので、まずは、国債発行プロセスを追っていきましょう。
最初に初期状態を仮定します。
政府、日銀、市中銀行、民間の4部門登場します。
一応貸借を合わせておきたいので、民間はあらかじめ資本金として100の預金を持っているとこらからはじめます。
そして、それを預かった市中銀行はそのまま日銀に預けていると仮定し、貸借合わせるため、初期状態の日銀の借方は諸資産としておきました。
ここから、政府が国債を発行し銀行が引き受けると何が起きるかを見ていきます。
初期状態から国債発行仕訳を青字で書いて、最後は合算相殺した最終結果を載せました。
ここは正直大したポイントはないのですが、確認すべきことが2つあります。
一つ目は、国が国債を発行しても民間の預金つまり市中のお金の量は増えも減りもしないという点。民間が引き受けているのに民間の預金は減りません。
二つ目は、1つ目と関連しますが、あれこれ勘定が動きましたが、「日銀口座」という一般人はアクセスできないシステム上で数字が動いただけという点。
まさにキーボードマネーという感じで、今は国債も電子化されていますから、担当者がパチパチとキーボードを打って、システム上の数字を動かしただけです。
そして、これがキーボードマネーという概念を使うMMTの面白いところですが、キーボードマネーには2種類あって、市中の預金システムと日銀当座システムは完全に隔離されたシステムという点です。
日銀当座の数字がいくら動いても、一般企業はそこにアクセスできませんから、それだけでは市中の経済は大した影響をうけません。
次に行きます。
もちろん、国債でお金を集めてそれを使わないなんてありえませんから、次に政府が集めた(?)お金を使って財政支出する場面を考えます。
続いて財政支出
国債発行後の初期状態から政府が財政支出するプロセスを分解してみていきます。
道路を作れとか、政府は企業にあれこれ依頼するわけですが、対価は政府小切手と言う形で支払い、それをもらった企業はそれを銀行に持ち込み、最終的に銀行は日銀に取り立て持ち込むというプロセスをたどります。
ここでの最大のポイントは、政府が財政支出をすると、結果として民間の預金が増えるということです。
国債発行では日銀当座システムの残高が動いただけでしたが、財政支出をしたら、民間の預金が増えました。
財政支出というのは、政府が民間にお金を払うことですから、そんなの当り前だろと思うかもしれませんが、「政府の赤字は民間の黒字」という当たり前の事実が確認できました。
なぜこれが重要かと言うと、赤字国債を悪と考え、緊縮財政を引いて政府の赤字を減らせというのは、民間の黒字を減らせと言っていることと同じだということです。
景気回復なんてするはずないです。
さらに、緊縮財政派がつき続けてきた大嘘が明らかになります。
民間貯蓄枯渇説の嘘
緊縮財政派は、赤字国債に関して以下のようなことを行ってきました。
「国債を引き受けるのは民間で、国債を発行し続けると、いつか民間の貯蓄が枯渇して引き受け手がいなくなる。」
これが大嘘であることが、上の仕訳からわかります。
国債で集めたお金は財政支出を通じて民間に行くので、民間の預金が減るどころか、逆に増えるわけです。
したがって、いずれ民間の貯蓄が枯渇するというのは大嘘です。
とはいえこの結論、すなわち、財政支出をすると民間の貯蓄が減るのではなく行って来いでトントンになるどころか、預金が増えるという結論、実際に仕訳切るとなるほどなと納得できるのですが、会計に弱い経済学者には直感的に理解できないかもしれないですね。
なんでそんなトリックが可能かと言うと、政府は民間から借りたお金で民間に支払うということが、キーボードをパチパチやることで簡単にできるからです。
そんなバカなという所から、赤字国債→信用不安→ハイパーインフレという話が登場するわけですが、インフレの話は後に詳述します。
続いて税金の徴収
税金の徴収というのは、財政支出の逆で、政府が民間から資金を吸い上げることですから、財政支出と真逆のことが起きます。
つまり、民間の預金が減ります。
一応、仕訳を載せておきますが、結論が分かっていれば追う必要は無いと思います。
財政支出をすると民間の預金が増え、税金を徴収すると民間の預金が減る。
まあ、当たり前と言えば当たり前の結論を確認しました。
MMTの考えになれたと思うので、次は、この視点でアベノミクスを考えてみます。
アベノミクス検証
まずは、黒田バズーカ、日銀による国債の買取政策、いわゆる金融緩和を見てみます。
日銀が銀行から国債を買い取ると何が起こるのか。
日銀による買取を仕訳にして、それらを相殺合算するとどうなったか。
結果としては、日銀当座システムの数字が動いただけで終わりました。
つまり、金融緩和と言いつつ、民間の預金は増えません。
民間の預金が増えるには、下記のように貸し付けが発生する必要があります。
つまり、どれだけ日銀が資金を投入しようとしても、日銀当座という市中から隔離されたシステム上の数字が動くだけであり、実際に市中の預金残高が増えるためには、民間の貸し出しが動く必要があります。
これが、いわゆるアベノミクスを支えたリフレ政策に対するMMT側からの批判の根拠となります。
リフレ派のインフレターゲティング政策の中身は以下です。
インフレターゲットと言って、「必ず2%のインフレを実現する」と宣言し、同時に「実現するまで量的緩和を続ける」と宣言する。
そうすると、民間は、いずれ2%のインフレが起きると期待し、それならお金をお金のまま寝かせておくよりはと消費や投資が活性化する。
上手くいきそうなのですが、実際はうまくいかなかった。
MMT派に言わせれば理由は明白で、量的緩和と言っても、日銀当座が積みあがるだけで、民間の預金は具体的な貸し付けが起きない限り増えないからです。
しかし、デフレ下で誰も借りないから金利が0%になってる状況で、誰も追加借り入れなんてしない、借入増加→マネー増加のドライバーがどこにもない。
だから、あれだけ量的緩和しても2%のインフレなんて実現しなかったと。
しかし、それを受けてリフレ派は「アベノミクスの金融緩和は各種景気改善の結果出したし、失業率も減った。ただ、第2の矢とされていた財政支出が緊縮派のせいで行われなかったどころか、消費税増税という愚策が行われたのが失敗の原因」と言います。
MMT派は「そうじゃない。そもそも金融緩和を第1の矢として大々的に取り上げていたことが間違い。財政支出が一番大事なのであって、有効な金融緩和が増税でダメになったみたいな言い訳止めろ」
という喧嘩が続きます。
まあ、このリフレ派とMMT派の喧嘩は面白いので、後で詳述します。
ただ、両者の喧嘩はさておき、アベノミクスでデフレ脱却しなかった理由の説明としてはMMT派の説明は分かりやすく、金融緩和と言っても一般企業や家計には関係ない日銀当座を積み増しただけであり、さらには、消費税増税で民間の預金を減らしてデフレ解消なんてするわけねーだろ、というものです。
MMT各論:インフレの話
MMTは見てきたように赤字国債を悪とはせず、それどころか、デフレ脱却には大規模な財政出動が不可欠と捉えます。
財政支出こそが民間の預金を増やすからです。
しかし、無制限に赤字国債を発行しろとは言っておらず、インフレには注意する必要があると言っています。
MMT派からすると、インフレというのは需要と供給、モノの量とお金の量で決まるから、インフレになりそうだったら、財政支出削減、増税、金利引き上げなどにより、流通マネー量を減らす必要があると言います。
ただ、主流派経済学ののように、赤字国債の積み上がりによって、円への信用が下がって突然ハイパーインフレになるという理論を否定します。
これが最大のポイントです。
最初に見たように、借金は返さなくてはいけない、借金が積みあがると信用が棄損する、その結果発行通貨の価値が下がり、インフレになるという考えに反論します。
国家全体で見たら、BSの貸方に残るのは「発行通貨」という会計上の負債で、誰かに返済しなくてはいけないものではないから、そこから信用不安は発生しない。
そして、政府が赤字になれば、同じ額だけ民間は黒字になるわけで、国が外国に占領されて明日から通貨が人民元になるとかでなく、国家全体として円を通貨として実体経済が機能している限り、円への信用不安なんて起きない。
赤字国債の残高やGDPの何倍という指標に意味はなく、お金の流通量に注目して、インフレになりそうなら適切に引き締めることが大事という考えです。
そして、過去の歴史上のインフレというのも、発展途上国で起きているものを除き、需要と供給のバランスや貨幣をばら撒きすぎたことが原因であることが分かっていると。
日本では戦前にも戦後にも急激なインフレが起きていますが、太平洋戦争直後のインフレはわかりやすくて、モノがないから起きました。
戦争の影響で供給能力が大打撃を受けていて、米などの生活品が足りない状況では、お金なんていう紙切れを何枚持っていても意味がないからこそ、インフレになりました。
戦前のインフレは、軍備増強で財政支出をしまくって、お金を特定産業を通じて市中にばら撒きまくったから起きたものです。
このように、インフレは需給で決まるのであって、「赤字国債の残高」や「それがGDPの何倍」といった数字は全く関係ない、という考えです。
しつこいですが、根底のあるポイントは、紙幣と言うのは日銀からみれば債務証券ですが、具体的には何の債務もないという点です。
あくまで、モノとカネのバランスが決める問題であり、円で購入可能なもの、すなわち、日本の供給能力が問題ない限り、突然円の価値が大暴落することはないということです。
MMT各論:インフレ補論
先に説明した仕訳で、財政支出をすると、その支出分だけ預金が増えることが分かりました。
これは、キーボードマネーで借りたお金をグルグル回しているだけですから、なんかおかしい、そんなこと繰り返していたら、お金の価値がなくなるかのような気がします。
しかし、それがおかしいかどうかの究極的な境目は、財政支出によって生み出された付加価値が支出に相当するかどうかです。
つまり、財政支出と称して、ただ誰かにあげるだけであれば、モノは増えずに無意味に預金残高が増えるだけですから、インフレ圧力になるでしょうが、裏側に実体的な付加価値があるのであればインフレ圧力にはならないと思います。
したがって、インフレはマネーの量だけが問題と言うわけではなく、正にモノとカネのバランスで決まるんだと思います。
他方で、非効率的な財政支出はインフレ圧力になるのでしょうね。
MMT各論:金利の話
MMTへの批判の1つとして、金利のことを考慮していないというものがあります。
つまり、国債をたくさん発行した場合、もし金利が上がると国債価格が下落するので、保有している銀行や日銀のバランスシートが大きく悪化するというもの。
特に発行価額が積みあがっている現状ではそのダメージは計り知れないと。
これは、間違っていて、国債というのは会計上は「満期保有目的の債権」として処理する場合がほとんどで、時価評価しません。
満期まで保有して償還金を受け取るつもりなのに、いちいち時価評価して評価損益を計上しても意味ないからです。
したがって、金利の上昇により既発行分の国債の時価が下落しても、会計上その損益が認識されることはありませんし、そもそも満期日に日銀がお金を刷って渡せばなんの損も発生しません。
そして、金利が上がった後に国債を発行する場合には当然それに見合った利息を払う必要がありますが、金利が上がれば万々歳で、景気も良くなっているはずですから、税収も増えているはずです。
つまり、金利上昇後も、現状行われているような、国債の償還金を借り換え国債の発行で補填するというプロセスの延長で捉え、金利上昇中も利付国債の利息分も賄うために雪だるま式に国債を発行し続けるなんて言うのは非現実的です。
そうMMT派は考えていると思います(たぶん)。
MMT各論:為替の話
為替の話は複雑ですからあまり語りたくないのですが、インフレと同じ理屈を援用して、赤字国債を増やすと円が信用を失い大暴落(円安)になるというのは、そんな簡単な話ではないと思います。
なぜかというと、日本は輸出企業だらけであり、円安になると、企業の業績は上がります。
そうすると、株高になる可能性があり、円の需要が増えるはずです。
つまり、為替の話はそんなに単純ではないです。
ただ、シンプルに考えると、円安になれば、日本の国内で生産されている製品を外国人が買いやすくなるわけで、国内企業にとっては国際競争力を取り戻しますし、結局、競争力のある商品を生産している限りにおいて、大暴落なんてしません。
価値のある商品・サービスが生産され、それが円で買える限り円の価値は暴落しないはずです。
こう考えると、インフレと同じ話で、円の価値を支える信用というのは、実体経済の確かさへの信用であり、政府の借金がどうのこうのではないんでしょうね。
MMTへの批判:インフレ制御
MMTへの批判の第一は、MMTのやり方ではインフレ制御が困難というものです。
MMTでは、インフレ制御は、増税、財政支出削減、金利引き上げなどで行うと言ってるが、増税や財政支出の削減が機動的にできるはずがないと。
ただ、この批判は少しおかしいです。
確かに、増税や財政支出の削減は機動的に出来る物ではありません(311の時は復興増税すぐやりましたが)。
しかし、しかし、です。
そもそも、反MMTの人たちは、赤字国債を積み上げていくと、どこかのタイミングで突然ハイパーインフレになると言っています。
そして、ハイパーインフレが起きたときに、増税や財政支出削減で対応できるはずがないという批判なのです。
しかし、MMTのコアは、赤字国債の積み上げからの信用不安による突然のハイパーインフレなんておきない、というものです。
そもそも、MMTではインフレ制御に特別な手法を提唱しているわけではありません。
通常の経済学の範囲内というか、これまで通りのやり方でやればいいというものですし、30年間苦しんでいるデフレ脱却に比べべて、先進国なんだからインフレの制御なんていくらでもやりようがあるだろうと。
したがって、MMT=ハイパーインフレと暗黙裡に仮定して、「MMTのやり方ではインフレは制御できない」という批判自体がそもそもおかしいわけです。
「MMT=ハイパーインフレ」という理論がおかしいのであって、MMTは「インフレには十分注意しろ」という理論ではありますが、「インフレ制御」に関して特別な方法論を主張しているわけではありません。
インフレ制御に関する「MMTのやり方」なんてものは存在しません。
もっとも、財政支出の削減が機動的にできないというのはその通りで別途検討する必要があります。
MMTへの批判:モラルハザード
MMT批判の本丸はこれでしょうね。
そして、当たっていると思います。
それは、「インフレにさえ気を付けていれば赤字国債を発行して財政支出することは問題ない」という考えの危険さです。
これが政治の世界で主流になったら、有象無象の国会議員が霞が関を行脚し、無意味で非効率的な、いわゆる無駄な財政支出が大量に行われることは誰でも予想できます。
財務省が全力でMMTを叩き潰そうとしているのも理解できます。
そして、道路族とか文教族とか、全て公的資金を背景にした権力ですから、昭和のように族議員が跋扈する社会に逆戻りです。
仮にデフレ脱却して、インフレになり、財政支出を見直さなくてはいけない局面になった時、政治が既得権益争いのるつぼと化して、政局は大混乱、結局無駄な支出は減らないまま増税だけ決議されるなんてことは容易に想像できます。
つまり、間違った緊縮財政理論に基づいて、景気回復の途中で消費税増税を推進したり、コロナ禍で必要な財政支出に反対している人たちへ攻撃として、MMTは有用なものですが、しかしその反面、どういった財政支出をすべきかという点に関しては、なんの指針もくれない理論です。
「赤字国債は気にするな」だけが独り歩きをしてとんでもない放漫財政に陥る可能性は大いにあります。
そして、上述したように無駄な財政支出はそれ自体がインフレ圧力になると思います。
支出というのは誰かの収入だからなんでもいいではありません。
デフレ脱却局面や、コロナ禍の危機的状況の救済措置であれば、停滞した経済を回すための支出ですから、支出がすぐに消費になって誰かの収益になるといった循環を生めばそれでいいかもしれません。
しかし、一般論として、財政支出に関しては、非効率的な支出というのは、インフレ圧力となるだけでなく、民間の効率的な投資を奪いかねないもので、実体経済のあるべき成長を破壊するものです。
したがって、デフレ脱却やコロナ危機下には有用な考えだとしても、MMTが危険物なのは間違いありません。
MMTへの批判:金利無視
MMTというのは、理論とは別次元にある「現実の政治」と結びついて、無駄な財政支出が増大して止められないという悪循環を引き起こす危険物です。
そして、MMTにはそれをさらに加速する危険要素があり、それは、MMTには金利が一切登場しないという点です。
確かに、上述したように、金利が上昇して国債の時価が下落しても、国債は時価評価しないことがほとんどなので、民間や日銀のBSは棄損しませんし、仮に売却により実現損が出ても、額面で償還される限りにおいて、どこかで実現益たる償還益が出るはずなので、問題ありません。
また、金利が上がったころには、税収も増えるはずなので、金利負担も問題ありません。
しかし、MMTの場合、財政支出の投資効率を考慮しないという問題点があります。
金利が上がって、金利5%の国債を発行した場合、上述したようにそのころにはインフレになって景気も回復してるはずですから金利負担の心配をする必要は無いですし、いざとなったら、日銀がお金を刷って償還すればいいだけです。
しかし、民間であれば、金利5%で資金調達したなら、5%以上の収益を上げる投資をしなくては採算がとれません。
この点、財政支出と言うのは、必ずしも民間分野に参入するわけではなく、雇用対策、子育て支援、防災、などのインフラ整備に使われるものですから、投資効率というのは簡単に出せるものではありません。
しかし、だからと言って、投資効率を考えなくていいというのは非常に危険で、「これは必要な支出なんだ」という声の大きい国会議員の主張を止める理論的な土台が消えることを意味します。
先述した、金利が上昇する頃には税収が増えているはずと言っても、無駄な財政支出が増大していればたいして税収は増えていないかもしれません。
このように、MMTは金利を無視しているという点は、無駄な財政支出拡大を加速させるという点で、非常に危険な部分です。
繰り返しになりますが、インフラ整備は効率性だけで判断できるものではないですが、本質的に非効率な投資というものは、国の成長を阻害するものです。
MMTへの批判:簿記の視点から
上述の無駄な財政支出の問題の繰り返しになりますが、MMTの問題点を簿記の視点から見てみます。
上の仕訳で見たように、政府が財政支出をすると、複式簿記の原理として機械的に同額の民間預金が増えます。
しかし、財政支出により創られた「付加価値」がその支出額に見合わないものであれば、モノとカネのバランスが崩れることになりますからインフレ圧力になります。
この点、MMTの視点では、インフレは制御すべきものであり、インフレを歓迎するものではありません。
しかし、このような非効率的な支出は、インフレを引き起こすからダメな支出なのでしょうか。
また、インフレを引き起こしたら、金利引き上げとかで調整できるのであれば、そういった支出を放置してもいいのでしょうか。
MMTの問題点は、インフレですべてを煙に巻き、財政支出について何らの指針を与えるものではない点です。
インフレを起こさなければ財政支出していい、インフレが起きれば制御する。
しかし、インフレを加速するような財政支出というのは、インフレを起こすから悪とか、結果として起きるインフレを制御すればいいというものではなく、その支出自体が、非効率的な支出であり、国の成長を阻害するものなのです。
もちろん、防災や国防など、投資効率や国の経済的な成長とは直接結びつかない必要な支出もあります。
しかし、MMTは、何が必要な支出かについて何の指針も与えないどころか、インフレにならなければ何でも言い的な感じで効率性自体の議論を煙に巻き、無駄な支出を拡大する契機として、国の成長に大ダメージを与える可能性があるわけです。
以上みたような、MMTの問題点を総括するために、リフレ派と喧嘩させてみましょう。
リフレ派 VS MMT派
(リフレ派も大規模な財政出動を求めるのでMMT派と何が違うのかと疑問に思う人がいる)
リフレ派:時々、リフレとMMTは何が違うんですかと聞いてくる人がいて本当に迷惑。あんな仕訳だけで経済を考える方法は意味不明。何を言ってるのかよくわからないし、そもそも数式などがないから批判も評価もしようがない。
MMT派:何言ってんだ。難しい数式駆使してもっともらしいことを言いながら、アベノミクスでデフレ脱却できなかったじゃないか。
リフレ派:違う。あれは、金融緩和という第1の矢で軌道に乗ったのに、第2の矢を打たないどころか消費税増税という愚策を実施したからじゃないか。
MMT派:そこが間違ってるというんだ。仕訳で考えてみればわかるように、金融緩和して日銀当座の数字を積み増したって、民間の預金残高は増えないわけで、一番重要なのは財政出動だったんだよ。
リフレ派:それは違う。金融緩和で株価上昇や失業率改善など、景気回復の兆候は見られたし、金融政策に意味がないというのは事実に反する。経済政策というのは、第一に金融政策で、第二が財政支出で、両方が重要なんだ。
MMT派:ほれ見ろ。難しい数式振り回して「経済学は科学だ」などと言っておきながら、結局は「第一が金融政策で、第二が財政支出」という自分達のテーゼにこだわって自爆したんじゃないか。デフレ脱却の局面では「第一が財政支出」なんだよ。
リフレ派:ふざけんな。「財政支出が重要です」なんてのは理論でも何でもない。究極的には経済成長というのは、新しい技術が開発されたり、新しいサービスが生れたりして、今までできなかったことができるようになることで達成される。お金をばら撒いたり、政府が金を使ったりすることで生まれることではない。大事なことは、市場が健全に機能し、適切な投資や消費が行われること。だから、市場のメカニズムに注目し、価格・金利・貨幣流通量といった各種指標に注目して、上手くいってない部分に金融政策でテコ入れして正常な動きに戻し、民間で上手くいかないところに、必要に応じて政府が介入することが必要。それが経済政策であり、「赤字国債を発行して必要な財政支出を行うことは重要」なんていうのは、経済政策を支える何の理論にもならない。無駄な財政支出が増えるだけ。
MMT派:ふざけんな。確かに、金利や価格といった市場メカニズムが有効なことはわかる。しかし、本当に民営化推進や市場メカニズムへの信頼ですべてうまくいくのか。それを第一と言い切ることは本当に正しいのか。今の日本をみてみろ。結局お前らの政策がいわゆる「小さな政府」を推進することになって、必要な時に必要な動きができない政府が出来上がったんじゃないか。無駄な財政支出をしろなんて一言も言ってないし、赤字国債を発行しまくれとも言っていない。財政支出の重要性を真正面から認めて、必要な財政支出をためらうなと言ってるだけだ。コロナ禍で休業補償を出し渋るとか、防災対策が十分になされていないなんて論外だ。
リフレ派:現状の日本で財政出動が必要なのは同意するが、市場メカニズムを軽視して政府の財政支出を大上段から肯定することがどれだけ危険なことかわかってるのか。現実の政治と一体の話だぞ。財政支出の拡大は非効率な支出の増加につながり、無駄な政府介入の増加による市場メカニズムの軽視は実体経済の破壊、すなわち実体的な成長をゆがめることになる。それどころか、必ず権力の増大に結びつきいずれ独裁に向かう。歴史をよく見ろ、また同じ過ちを繰り返すのか。
MMT派:そんなことはこっちだってわかってる。ただ、市場メカニズムの過大評価による効率性信仰が必要な財政支出まで減らすことにつながったのではないか。必要な財政支出をしないのは違うだろと言ってるだけで、政治の暴走は民主主義で止めるしかないし、そこを否定したら、民主主義自体の否定でしかないじゃないか。
こんな感じかな。
究極的には「大きな政府」VS「小さな政府」という神学論争に行き着く気がします。
MMT総括
さて、MMTについていろいろ語ってきたので総括してみます。
MMTの是非を巡る焦点は一つです。
「赤字国債の増大はどこかの特異点で突然のハイパーインフレを招くのか」
MMTの核はこのテーゼを否定することにあり、私はこの点に関してMMTの主張は正しいと思います。
現に、数多くの大物経済学者が、ここ20年以上、「10年後に日本は破綻する」と主張し続けてきたのにもかかわらず、デフォルトどころかインフレにすらなってません。
MMT提唱者の一人、ステファニー・ケルトン女史が来日したときに、メディアがこぞって「ハイパーインフレになったらどうするんですか」と質問し、「30年間なにやってもインフレにできなかった国の人たちが何の心配をしてるのか」と皮肉ったらしいですが、その通りでしょう。
したがって、デフレ脱却の途中で消費税増税を推進したり、コロナ禍でも緊縮財政を主張して財政支出に反対する連中の間違いを正す道具としてはわかりやすくて有用だと思います。
ぶっちゃけ、緊縮派の学者たちはいまさら引くに引けなくなってるだけの気もしますし(「国の借金ガ-、国民一人当たり借金ガ-」とテレビでさんざん言いまくった池上さんはどうするのかな)。
ただ、「赤字国債は気にせず、過剰なインフレにならない限り必要な財政支出をしよう」というのは、経済政策を支える理論的土台にはなるような代物ではありません。
どんな財政支出をすればいいのかについては何の指針も与えてくれませんし、その結果として、増やすのは簡単だが減らすのは大変という、無駄な財政支出をひたすら増大させ、族議員が跋扈して私腹を肥やし、そのツケは増税によって庶民が払うという悪夢のような社会を招く必要があります。
したがって、MMTは魔法の理論ではありません。
むしろ、取扱注意の超危険物です。
なので、国会議員がMMTを援用したときに、緊縮財政派の攻撃として持ち出したなら問題ないですが、もし、「私はMMT理論に基づいた経済政策を推進します」という国会議員が登場したら要注意でしょう。
権力者が「必要な分野に必要なだけ資金を投入する」というのは、「自分が使いたい分野に使いたいだけ使う」というのと同じです。
要するに、MMTというのは、新しい視点を提供してくれただけであり、経済政策を支えるような理論的土台になるようなものではないのだと思います。
余談:ケルトン女史の来日
実は、個人的にMMTに興味を持ったのはここ(私は経済はあんまり興味がない)。
MMT提唱者の一人、ニューヨーク市立大学教授のステファニー・ケルトン女史が日本のMMT派に招かれて来日し、講演などをしました。
しかし、その後起きたことが面白い。
ケルトン女史、帰国後、自分を招いた日本のMMT派に対して絶縁を宣言したのです。
なぜか。
実は、ケルトン女史というのは、アメリカ民主党のサンダース議員と言う大統領候補にもなる超リベラルな大物政治家の政策顧問。
つまり、本国アメリカのMMT派と言うのは、教育、格差是正、社会保障拡大、失業対策などに、大規模な財政出動を求める、計画経済思考と言ってもいいような左派中の左派の人達なんです(ある意味、どこに財政支出すべきかという「神の声」がはっきり聞こえている人達ともいえるからMMTが政策基盤になり得る)。
そして、普段から「英字版朝日新聞」などを読みながら日本の動向に興味をもっていたところ、日本人から招かれたので喜んで来日して講演会やインタビューに応じたのです。
しかし、自分達を招いたのが、日本の中でも右派中の右派に該当する保守派の勢力であることは知らなかった。
帰国後に、自分を招いた人たちはところでどんな人達なんだろうと調べてみたら、「外国人参政権は論外」「夫婦別姓は論外」とか活発に議論している人達(この視点への言及はしません)。
それで慌てて絶縁宣言したわけです。
アメリカのリベラル勢力の政策顧問としては、日本の強硬保守派に招かれて公演行脚してきたなんていうのはとんだスキャンダルになりかねません。
つまり、MMTの理解といった経済学的主張とは全く関係ないところで絶縁宣言したのです。
まあ要するに、アメリカの経済学者なんて、政治家みたいなものなんでしょうね。
そういう点では、経済学=科学なんてのは全くあてになりません。
それにしても面白いのは、MMTが超左派と超右派を結びつけるという点。
なぜかというと、両方「大きな政府」を指向するから。
余談:二つの大きな政府
超左派、すなわち社会主義にも通じるような全体主義的な左派が目指すのは、リベラルな社会であり、その実現のためには、格差是正や教育無償化など政府が積極的に動くべきとなります。
一方で超右派、すなわちナショナリスト的な右派が目指すのは富国強兵のような「強い国」であり、防災・防衛・強靭な国土整備などに向けて政府が積極的に動くべきとなります。
このように左派右派両方とも、エクストリームな方たちは、それぞれの標榜する「善」の実現に積極的に介入する大きな政府を指向する点で結びつくわけです。
そして、両者とも、左派右派双方の中に存在する自由主義的な人たちにその矛盾を突きつけます。
自由主義的なリベラルというのは、リベラルな社会を目指しつつも、伝統的に国家権力を敵視します。
憲法は政府の手足を縛るためにあるとか、国家権力に対する不断の監視が必要とか、言いたいことはわかりますが、必然的に小さな政府を指向します。
したがって、MMTを推進するような全体主義的なリベラルからすると、口ではリベラルを指向しつつも、対市民の啓蒙活動ばっかりで国家によるその実現には及び腰で、すなわち、反リベラルな現実を傍観する偽物になります。
「リベラルな社会の実現」を積極的に目指すのか、「反権力ごっこ」をやりたいだけなのか、どっちなんだと迫られているわけです。
一方で、自由主義的な保守というのも、自助を基本としますから、民営化推進や市場の調整メカニズムへの信頼が主軸で、政府が市場経済や民間分野に介入してくることを嫌います。
まさに小さな政府指向です。
しかし、右派の内部で見ると、自由主義的な保守派というのは、ナショナリスト的な保守派からすれば、本当に民間任せで国力が上がると思ってるのか?、バカなんじゃないかとなります。
民間なんて目先の利益を追求するだけなんだから、インフラ整備をはじめとした国力増強に向けた方向付けを国が主導するのなんて当たり前だろと。
「強い日本の実現」を積極的に目指すのか、「資本主義ごっこ」をやりたいだけなのか、どっちなんだと迫られているわけです。
このように、左派にしろ右派にしろ、今までは小さな政府を指向する自由主義者が主流だったわけですが、その結果が、現状の「危機に無力な政府」であり、それぞれ両方の勢力内で過激派から攻められて居場所を失っている現状があります。
SNS上には、「超リベラル」と「ネトウヨ」による過激な言説が最近やたら目立つのもこのような「小さな政府」がもたらした現状によるものかもしれません。
右派左派問わず、主流派だった無節操な自由主義志向がもたらした「無力な小さな政府」の反動により、「大きな政府」志向が高まっているわけです。
余談:国をまとめるもの
しかし、大きな政府を指向するとそこには問題があります。
それは、政府の役割が増えるわけですから、財政支出をはじめ、政府がどこに権力を発動するかを巡って民主的な意思決定が求められる場面が増えるという点です。
そして、それはMMTを推す勢力が、極左と極右であることからわかるように、国の方向を巡る「大きな」思想対立になります。
つまり必然的に国の分裂を招きます。
大きな方向性を巡る議論になりますから、足元の現実を離れて、普遍的な人類像をベースに、「社会はこうあるべき」的な空中戦になりがちです。
よく勉強した人ほど、欧米流の普遍的な人類観に基づく「社会科学」や「哲学」をベースにした「純粋理論」で武装して大暴れしそうです。
しかし、そんな抽象的で超高度な空中戦なんていくら議論しても決着するはずはなく、社会の空中分解を招きます。
そう考えると、やっぱり私は保守だな。
これまでの歴史や伝統、それが美しいものであると絶対的な評価をするつもりは毛頭ないですが、今の日本人が共有するものを離れて、頭の中だけで理論武装して、その理論の正しさを議論するようになったら、本当に社会が分裂するだけだと思います。
やはり、歴史や伝統を尊重して、今ある安定を尊重して、「日本人」としてまとまりながら、その中で、「多様な議論」をしていきたいですね。
おわりに
久しぶりに長い記事書いて疲れました。
まあ、最後なんでわけわからないことを書きますが、MMTがもたらすもの、それは、ヴェブレンとガルブレイスの復権じゃないかな。
経済学はそれ自体が思想でありながら、社会思想的なものを排除しすぎな気がする。
だからいつも間違うんだと思います。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
経済は得意じゃないのでお手柔らかにお願いします。