PCR検査の話


自分であれこれシミュレーションしてみました。

私はPCR検査というのは、名前は知っていましたが、自分でやったこともなければ中身も詳しくありません。

しかし、最近あまりに話題なので、あれこれ調べていたら、よくわかったことは、情報が錯綜しすぎということ。

毎日、至る所に、専門家と呼ばれる人たちがたくさん出てきて、あれこれ言いすぎてさっぱりわかりません。

ということで、話題のPCR検査について、自分で考えてみたので、何を考えたのか以下に書いてみます。

まず、PCR検査というのは、基本的に遺伝子を増幅する技術。

つまり、ある病気にかかっている可能性があるときに、鼻に綿棒でも突っ込んで粘膜(?)をとって、それを顕微鏡でみると、アメーバみたいなものがウヨウヨ動いているような病気であれば、PCR検査なんて必要ありません。

しかし、ウイルスのようなものがわずかにいるという場合で、顕微鏡で見たってわからないという場合、ウイルスなどを増やしてから、いるかいないかを調べるのが有効です。

もっとも、前の記事にも書きましたが、ウイルスというのは生物ではないので、培養液に浸して適当な温度で保存したりしても、増えたりしません。

人間などの宿主のDNAに潜り込んで自己を複製していくわけで、生きてる細胞に感染させない限り、ウイルス自体を増やすことはできません。

そこで、そのウイルスが持っている遺伝子(RNA)に注目し、検体の中に含まれているRNAをPCR法で増やして、その後に、検出したいウイルスのRNAが含まれているかどうかをチェックするという方法です。

なんだか難しいようですが、小さすぎて検出するのが難しいから、増やしてから検出するという方法を採用するにあたり、PCR法というのは、その増やすプロセスを言います。

ここからが大事で、

1.検体の中に、ウイルスの遺伝子が有れば増えますが、なければ増えません。

2.あっても極微量しかない場合など、増やすのに失敗する可能性があります。

この二つから言えることは、以下の二つで、

1.原理上、ウイルスがいないのに(陰性なのに)、陽性になる可能性はない。

2.原理上、ウイルスがいるのに(陽性なのに)、陰性になってしまう可能性はある。

しかし、以上は原理上の話。

検査のたびに、新品のPCR機器を使ったり、検査一回ごとに検査室を消毒したり、検査官がシャワーを浴びたりすればいいのでしょうけど、そんなわけにはいきませんから、実際には、原理上起こり得ない、陰性のはずが陽性と出てしまうなんてこともあります。

ここら辺は、理由よりも結果という現実が大事で、陰性にしろ陽性にしろ、間違いである可能性はあります。

とはいえ、原理上は、陰性であれば陰性と出る可能性が高いですから、以下のような特徴があります。

1.陰性の人を誤って陽性と判断する可能性は低い。

2.陽性の人を誤って陰性と判断する可能性は普通にあり、その精度は、どれだけ研究が進んで手順が最適化されているか次第。つまり、コロナなんかだと、低い可能性があるし、検査機関でばらつきが出る可能性は高い(要するにまだ分からない)。

これを専門用語で言うと下記のようになります。

PCR検査は、一般的に、特異度は高いが、感度は高いとは言い切れない。

ここで、

感度:陽性の人をちゃんと陽性と判断する割合

特異度:陰性の人をちゃんと陰性を判断する割合

のことです。

さて、前提が長くなりましたが、ここからが私が手を動かしたものです。

まず、以下の表を作ってみました。

検査数が100で、感染割合が80%の場合の表です。

ちなみに、感染しているかどうかの判定方法自体の精度の話ですから、真実の感染割合というのは神様しかしらず、あくまで分析用の仮定の数字です。

ここでは、感度80%、特異度90%と、かなり精度が高いと想定しています。

なぜかというと、本当のポイントはそこではなく、一番右に載せた、的中率という数字が大事だからです。

つまり、検査が完ぺきではなく、本当は陰性なのに陽性と判断したり、本当は陽性なのに陰性と判断してしまう可能性がある中で、結果として陽性と判断された場合に、本当に陽性である可能性がどれだけあるかという指標です。

上の例では64÷(64+2)=97%となりました。

そして、これが、母集団の感染割合に応じて変わっていくわけです。

その推移をシミュレーションしてみたのが下記。

一番右側を見ていくとわかるように、陽性の的中率は、母集団の感染割合が減るにつれて、劇的に減っていきます。

つまり、検査対象を、軽症の人に広げれば広げるほど、陽性と判断されたのに実は陽性ではないという人が増えることになります。

特に、一番下の表からわかるように、母集団に含まれる感染者数が5%だとすると、80%の確率で陽性判定できるはずなのに、陽性的中率は30%になってしまいます。

つまり、陽性と判断された人の70%は実は陰性ということになります。

こういうシミュレーションというのは、頭のいい人の場合、割合だけ、すなわちパーセンテージだけで考えられるのですが、数字を具体的にしないとわからないので、アホっぽいですが、視点を変えてみます。

東京の人口は1,400万人ですから、180度方針転換して、明日全員の検査をやるとします(キャパはさておき)。

そして、都民全体の感染率が1%(感染者数14万人!)と0.1%(1万4千人)の場合の二つを計算すると結果は以下になります。

もはやここまで母集団の感染割合が低いと、陽性的中率はそれぞれ7%と1%と、とても検査と言えるような代物ではなくなります。

感染者が中国の2倍、イタリアの14倍の14万人と仮定して全員検査を実行しても、陽性と判定された人の93%は実は陰性とという結論になります。

さらに、擬陽性の絶対数は大して変わらず、感染割合が1%だろうが0.1%だろうが、約140万人が実は陰性なのに陽性と判断されることになります。

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その一方で都民全員の検査をしても、それぞれ28000人と2800人が、陽性にも関わらず陰性と判断されことになります。

もっとも、シミュレーションとして、都民全員の検査は極端だと思われるかもしれません。

そこで、これも取ってつけたような数字ですが、風邪気味で不安なので検査してほしいという人が10万人いて、そこに全員検査をする場合を想定します(ちなみにイタリアの検査数は今日現在約8万人)。

そして、軽症とは言え、何らかの症状があるがある以上、ある程度の感染割合が想定されるわけですが・・・

今日の東京都の特設ページを見たところ、3月13日現在、東京都での検査数累計は1440人で、陽性と判断されたのは累積で75人です。

つまり、これだけ検査渋りをして、よほどの重症じゃないと検査しないのに、陽性判定率は5%です。

なので、軽症の検査希望者10万人の内、感染者の割合の最高値は5%ととして、そこから1%、0.1%と変えてみました。

結果は下記。

まあ、IQ低くて申し訳ないですが、全部割合の話ですから、検査数を変えても割合的な数字は何も変わりません。

つまり、感染割合が、現状の重症者限定の検査結果である5%だとしても、陽性的中率は30%です。

この時点で、すでに検査と言えるような代物かどうかは微妙になります。

そして、感染率がどうあれ、10万人中約1万人が、陰性にもかかわらず陽性と判定されるということになります。

また、検査しないと、本当は陽性なのにそれを知らずにウイルスをまき散らす人が出てしまうという話がありますが、検査数を増やして10万人にすると、感染率が5%の場合には、約1000人が陰性という結果を言い渡されることになります。

以上でシミュレーションは終わりです。

私が言いたいのは検査を増やしても意味がないという話ではありません。

シミュレーションの数字を変えれば、別の視点も出てくるでしょうから、そこのバトルに参戦する気はありません。

ただ、連日報道してるくせに、これくらいのシミュレーションは私にエクセルいじらせないで、報道しろよとは思いました。

私が言いたいことはこれから書くことです。

それは、ちょっと前の記事に書きましたが、我々はアフリカで猛威を振るっているバッタと大して変わりません。

デマだろうが何だろうが、スーパーやドラッグストアの、マスク、トイレットペーパー、消毒液などを食い荒らしています。

そして、このバッタの群れが医療資源を食い尽くして医療崩壊を引き起こすことだけは避けなくてはいけません。

テレビで時々、あれこれ医療機関をまわって検査してほしいと訴えているのに、検査してもらえないという人が登場しますが、上述のような検査精度の中、そういった人たちは、陰性ですと検査結果をもらったときに、良かったと安心して家でおとなしくしているのだろうか。

私はそうは思いません。

検査も完璧じゃないという情報を盾に、もう一回やってほしいとか言い出すんじゃないだろうか。

トレイレットペーパーの騒動を受けて、信じられないとか、情けないなどとコメントしている人たちも多いですが、今も昔も人間なんてそんなもの。

こんな危機的状況において、人間や社会がこうっだったらいいなとか、こうあるべきと言った話をしても仕方がなく、実際にこうであるという前提になって国をマネージしていく必要があります。

専門家という人たちは、自分の周りに頭のいい人しかいないから、そこが分からないんですよね。

AI研究で有名な新井先生の下記のツイート。

このツイートは約400回リツイートされ、さらに約600個の「いいね」が付きました。

有名な東大の数学教授が、新センター試験の問題がおかしいことを指摘したと、大騒ぎになりました。

しかし、その後の新井先生のツイートが下記。

みんな「いいね」して、やっぱり新センター試験はダメダメなんだと大騒ぎしているものの、だれもその問題を解きもしないし、新井先生の指摘の内容なんて理解もしてない現状にキレちゃったわけです。

わからないなら「いいね」なんてするなと。

このツイートは、「いいね」は30個しかつきませんでした。

同じことが先日のクルーズ船に乗り込んで告発した岩田教授の発表にも言え、あの先生も、自分の発言が社会にどういう影響を与えるかについては完全に見誤ったと思います。

政府や厚労省を叩くための道具にしたいだけで、政府を叩ければハッキリ言って中身なんてどうでもいいという人がいっぱいいるわけです。

それと同じで、検査をするかどうかの議論においても、医療資源に限りがある中で、陽性と判断されたけど特に症状が重くない人が本当に家でじっとしているのか、陰性と判断された人は一安心して納得するのか、理想とはかけ離れた現実にしっかりと対応してほしいと思います。

100%確実ではない検査の結果を受けて、我々が合理的な行動などとるはずがありません。

我々なんて、危機的状況になると、相変異して目の前の資源を手あたり次第食い尽くすという点で、バッタと同じという点をしっかり踏まえて対応してほしいです。

格差社会上等で徹底的に個人主義的に行くアメリカと、中国や日本のように情報を統制しながらある意味全体主義的に振る舞う国。

そのどちらも良いとは全く思いません。

しかし、今回のコロナ騒動が突き付けたものは、個人的には、ヨーロッパの敗北だと思います。

バッタと大差ない「個人」を賛美しながら、社会を丁度良い感じに統制していくのは無理なんだろうなと感じました。