言葉は記号。
ご存じの方も多いと思いますが、先日、ドコモショップで起きた事件の話です。
ドコモショップに機種変更しに行って、担当者が席を外したので手元の資料を読んでいたら、社員間の連絡メモが入っていて、見てみたらクソ野郎呼ばわりされていたという事件。
知人が携帯の機種変しに行ったら、書類に店長からのセールス指示書がまぎれていたと。
内容がひどすぎる。 pic.twitter.com/VrdeFvrMOq— 桝本輝樹 (@tide_watcher) 2020年1月8日
家族で自営業をやっているため、家族の携帯代金を父親名義で一括支払いにしていたところ、ドコモショップの店長が担当社員に、親に電話代払ってもらってる金に無頓着なクソ野郎だから、オプション付けまくれという指示を書いた紙です。
まあ、ありえない事件だし、当人が激怒するのは理解できるのですが、ちょっと笑ってしまうのは私だけ?(ご本人様すみません)。
特に、こういうの許せないと多くの第三者が激怒しているのはよく理解できなくで、なぜかと言えば、ドコモショップというか、携帯ショップなんて、全部こんなもんでしょ。
携帯ショップどころか、月額定期契約の現場なんて実態はみんなこんなもんと思うのは私だけ?
言葉というのは記号です。
ある実体があって、それを示すための呼称が言葉と言えます。
つまり、「親代表一括請求の人」を、事情も知らずに、金に無頓着な野郎と勝手に評価して、クソ野郎という記号で呼んだ。
これはダメです。
しかし、客の実体について、金に無頓着な野郎と勝手に評価してオプションをゴリ押ししようとする姿勢がダメなのか、それとも、クソ野郎という記号を使用したことがダメなのか。
では、このメモが、「親代表一括請求の人」をK客という記号で呼んでいたらどうでしょうか。
つまり、メモに、「親代表一括請求」のK客なので、オプションをフルパックで勧めてあげてください、と。
これも、K客のKがクソ野郎のKだから駄目になるというのであれば、
メモに、「親代表一括請求」のDCなので、オプションをフルパックで勧めてあげてください、と書く。
DCはダイヤモンド・クライアントの略。
この場合、呼称は美しいですが、結局、裏側に、「金に無頓着のダメ野郎の可能性が高いからオプション加入を徹底的に攻めろ」という営業姿勢がある気がします。
つまり、「クソ野郎」という記号を使ったことが悪さの本質で、別の呼称で呼んでいれば、まったく同じことを内心で思って実行していても問題ないというのであれば、表面的な批判だと思うわけですが、その反面、勝手に客を評価して、上手く相手を丸め込んで、オプションをできる限りつけて利益を得ようとする裏側にある魂胆そのものをを批判しようとすれば、客商売なんて、多かれ少なかれ似たようなことをやってるわけで、批判はできない気もします。
表面的な記号が問題なのか、その裏側にある実体が問題なのか。
まあ、昔は、インテリが書いてやくざが売るのが新聞と言われていましたが、最近は新聞が売れませんから、通信会社がその仕組みを引き受けて、インテリが作ってやくざが売るというモデルにしてるんですかね。
と思ったら、上の事例でドコモショップ側がつけようとした、「いちおしパック」なるもののドコモの説明が下記。
オプションを3つ全部付けると、単純合計880円のところ、380円割引になって、総額500円になるというのがいちおしパックですが、この絵こそダメだろう。
とてもインテリが書いたものとは思えない。
やくざしかいない業界なのかな。