漫画『君たちはどう生きるか』を読んだ感想と『兎の眼』


200万部超えたそうですね。

最近、全然ブログ更新してないので、ネタ作りのためと思って読んでみました。

(最近書き直しました)
『君たちはどう生きるか』の読書感想文の例文

まあ私は、こういう本だけは死んでも読むまいと誓って生きてきたので、読む前から感想は決まっているようなものですけどね。
さて、話題のこの本。

もともと、戦前に書かれたもののようですが、これが漫画版になって復活し、本来は子供向けであるものの、大人も感動しているとのこと。

ただ、読んだ人のレビューを読むと、案の定というか、漫画版は原本たる小説版と比べるとだいぶ物足りないといった意識高い意見も多いです。

ということで、小説版を読もうとしたのですが、なぜが小説版の方は電子版がありません。

漫画版は、電子版もちゃんと用意されています。

さすがに、紙の本を買ってまで読もうとは思わなかったので、電子書籍で漫画版を買って読んでみました。

読んだ感想。

まあ、良い本です。

ただ、子供向けかな。

書いてあることは良いことなのですが、ただやはり、中学生くらいの子供向けということで、大事なことはぼかしてあります。

したがって、読んで感動したという人はみな、今幸せな人なんだと思います。

悩んでいる大人にとっては、ただのきれいごとでしかなく、社会の現実を無視した「どう生きるか」論でしかないだろうな、と思います。

主人公は父親を失った中学生で、30代くらい(?)のおじさん(母の弟)がいろいろ相談に乗ってあげるという話です。

正確には、相談に乗るというか、ノートに思いをつづり、それを少年に渡して、主人公の少年を大人に導くといったところでしょうか。

主人公は中学生という微妙な年ごろ。

自分のことばかり考えている子供時代を卒業し、思春期といっていいのか、人から見られる自分を意識し始め、それを通じて、自分も社会の一部であるというような認識を持ち始めています。

そして、そういった思考の変化を、おじさんは非常に喜びつつも、一人一人が社会の一部であり、見えない糸でつながっているとか、社会に貢献できる立派な人間にならなくてはいけないといった話をします。

しかし、だからと言って、世間から立派だと思われることを目標として生きるのは間違いで、あくまで、自分自身で、自分の経験や感性と正直に向き合って生きていかなくてはいけないことを説きます。

自分というのは社会の一部でしかなく、社会に生かされている存在だから、社会に貢献できる存在にならなくてはいけない。

しかし、世間から立派な人間だと思われよう思われようとふるまっている人間は、真に立派な人間とは言えず、ありのままの自分を大事にして、信念を貫くのが立派な人間であると説きます。

確かに、その通りだと思いますし、いいこと言うなと思います。

ただ、問題は、自分と対峙する社会という存在が非常に抽象化されている点。

社会には、自分と違う人間がいるという当たり前で具体的な事実が出てこない。

自分らしく生きようとしたり、ありのままの自分を大事にしようとしても、まったく逆の価値観を持った人間が目の前に現れたときにどうすべきか、というのは、特に語られない。

そういう状況で、他人は他人、自分は自分と割り切るのは、社会とのかかわりを放棄するのに等しい。

ここ最近、撮りだめてあったNHKのドキュメンタリーを見ていました。

アフガニスタンの女性の話。

強制的に会ったこともない男性と結婚させられ、しかも、毎日暴力を受ける。

これが、特殊な話ではない、超男尊女卑の社会。

女性が逃げ出すと、家庭から逃げた罪ということで、投獄される。

かなり滅茶苦茶ですが、あちらの社会では当たり前の現実。

そして、刑期を終えて出所しても、待っているのは、また暴力におびえる日々か、両方の家族から恥として扱われ、下手したら親戚に殺される。

難を逃れるには、海外のNGOなどが運営するシェルターに逃げるしかない。

これを見て許せないと思ったとします(私も同じ感情を持ちますよ)。

しかし、国連等が動いて、お前らそういうのやめろと干渉すると、その国に存在する歴史や伝統を否定することになり、結局はテロリストが生まれる。

これは、善悪の問題なのか、文化の発展度合いなのかはわかりません。

しかし、もし、あなたたちは間違っていると主張するならまだしも、やめさせようとするなら、抵抗する人たちと殺し合いをするしかない。

悪い奴らを殺して殺して殺し尽くすと、良い社会が生まれるのかどうかはわかりません。

ただ、黙って見ていても何も変わりませんし、話をしても、なんでこの人は分かってくれないのかというのは、相手も同じことを考えているわけで、何も変わりません。

正義の暴力か、暴力に正義はないのかは分かりませんが、いずれにせよ、自分の感じたことが正しいとして、そう思うだけでなく、自分とは違う信念を持った人を、相手の意思に反して自分の思う方向を向かせようと強要するのであれば、相手が銃を持ったら、こっちも銃を持つしかない。

要するに、結局、社会というのは力に支配されていて、自分の信念を貫きつつ社会を変えようとするなら、自分と異なる信念を持つ人間を力でねじ伏せる以外に方法がない。

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それを避けるのであれば、自分は自分他人は他人と、見て見ぬふりをするか、変わらない間違った社会を嘆きつつ評論家として一生を終えるしかない。

社会に貢献しつつも、ありのままの自分を貫く。

それが理想なのは重々承知ですが、同じようにありのままの自分を尊重した結果、自分とまったく異なる結論に行き着いた人間が立ちはだかるから悩みは尽きません。

特に、自分の信念が善悪の価値観と結びついたときに多様性を認めざるを得ない集団社会の中でどう行動するべきなのか。

これは難問中の難問です。

そういう意味では、「どう生きるか」を語っていますが、「力」を無視してその生き方が現実的に不可能なことについては、しらばっくれている本です。

まあでも、中学生くらいの道徳の本としては、いい本です。

漫画版も、いい感じに軽くて、非常によくまとまっています。

ただ、大人が感動するような本ではない気もします。

ということで、久しぶに児童文学を読んだので、自分が子供のころ読んで感動した本をついでにもう一回読み直そうと買って読みました。

で、不覚にも、妻と夕飯食べに移動する電車の中で泣いてしまった。

読んだ本は、名著、灰谷健次郎の『兎の眼』。

私のブログを読むような人は全員読んでいると思いますが、一応あらすじ。

これは、小谷先生という小学校の新人の女性教師の話。

序盤までは、この先生、気が狂っちゃうんじゃないかと心配するような展開が続きますが、徐々に、全力で生徒たちに向き合う教師に成長していきます。

小学校のすぐ近くにはごみ処理場があって、監督者的な人たちは通勤しているのですが、貧しい現場の作業員の家族は、処理場内のプレハブ小屋で生活しています。

その中に、鉄三という、一言も口をきかず、読み書きも一切しない子がいます。

この子は両親がいなくて、バクじいさんという祖父が一人で育てている。

ハエをたくさん飼っていて、仲の良い処理場の子供同士はそれを知っているのですが、問題になるとかわいそうなので、みんなで内緒にしています。

クラスでカエルを飼育していたのですが、そのカエルが生きたエサしか食べなくなったので、生徒二人がごみ処理場にハエを捕まえに行きます。

そして、そのうちの一人が、ハエのたくさん入った瓶をみつけてしまい、それを持ってきてカエルのエサとしてあげてしまいます。

物語のオープニングは、小学校一年生の教室。

多くの生徒が泣いたり、震えたりしている中、真ん中で鉄三が怒りに震えて仁王立ちしており、その前には、真っ二つに引き裂かれたカエルの死体、そして、よく見ると、鉄三の片足の下でもう一匹のカエルが踏みつぶされている。

そして、瓶を盗んだ少年の手に鉄三が噛みつき、骨が見えるまで、その子の手を食いちぎるところから話が始まります。

小谷先生はその状況の中で失神寸前。

騒ぎを聞きつけて飛んできた教頭先生は、鉄三を職員室に連れていき、ボコボコにぶん殴るのですが、鉄三は理由を一言も話さず。

そういった生徒と向き合っていく小谷先生の話です。

また、そういった生徒をめぐる教育方針について、職員室で、教員同士が殴り合いになったりする、古き良き時代の話です。

ただ、この本のテーマは分かりやすく、小谷先生の学生時代に先生が言った一言。

人間の美しさは抵抗するところにある、という点。

本当にそうですね。闘うところに人間の美しさがあります。

この小説の中では、みんな全力で闘っています。

社会の中で立ちはだかる自分と異なる他者。

そこに全力でぶつかっていきます。

残念ながら、社会を支配しているのは、権力や暴力といった力。

力が無ければ何もできない。

もちろん、暴力を賛美しているわけではありません。

いじめで不登校になった子供に、通学していじめっ子と闘ってこいなんて微塵も思いません。

学校なんて嫌なら行かなければいい。

そういうことを言っているわけではないです。

闘う必要のない場面で闘う必要はないです。

ただ、ここぞっていうときには、相手が強くても闘わなくてはいけないし、その姿勢こそが、人間の美しさでもある。

それを改めて考えさせられました。

「君たちは」の方では、主人公の親友に暴力をふるう悪い上級生が出てきますが、主人公は親友と一緒に行動し、殴られれるときは一緒だという誓いを立てますが、その悪い奴らをぶっ飛ばさない限り、そいつの暴力は止まないという当たり前の現実は語られません。

肝心のおじさんも、君たちを尊重するよみたいなことを言うだけです。

「兎の眼」では、鉄三の唯一の友達(ハエ以外で)である犬が、登録を受けていないということで保健所の野良犬収集車に捕まえられたときに、鉄三を思うごみ処理場の子供たちが、6年生を中心にハンマーなどで武装して、保健所の車に襲い掛かり犬を取り返します。

「君たちはどう生きるか」の中で、おじさんの勧める生き方は、美しいと思いますが、どうも表面的過ぎるような気がします。

「兎の眼」の中での登場人物の生き方はみな、とても褒められたもんじゃありませんが、美しく感じます。

どちらの生き方が美しいのか。

それにしても、珍しく読書しながら泣いてしまいました。