殺カロリー制限、殺糖質制限


真のダイエット道は長く険しい道のりです。

糖質制限もすっかり市民権をえましたが、相も変わらずダイエット方法をめぐる議論は盛んです。

お隣の韓国なんかでは、高脂質ダイエットも流行り出したみたいですね。

カロリー制限にしろ、糖質制限にしろ、高脂質ダイエットにしろ、いずれも歴史は結構古くて、世界的には何年かおきにブームになるんでしょうかね。

まあ、いずれにせよ、「これこそが真実だ」とか「ついに正解にたどり着けた神様ありがとう」という人は幸せです。

存分に幸せを満喫すればよいかと思います。

ただ、多くの人は、情報の海の中で、一体どれが正しいのだろうかと悩むわけです。

特に、これだけ情報がある中で、私のブログ、しかもこちらの日記ブログにたどり着いた方なんかは、相当ダイエット病をこじらせた方かと思います。

そういった来るとこまで来てしまった人は、今後どうすればよいのでしょうか。

まず、原点に戻ることが重要です。

原点と言えばゼロ、ゼロと言えば禅です。

まず、一体どれが正しいダイエット方法なのか、という疑問自体が良くないです。

その疑問は、どっかの誰かが真実のダイエット方法を知っている前提で、何とかしてそれにあやかろうというズルい魂胆です。

きっとどこかに真実を知っている人がいて私の求めてくれるものを教えてくれるはず、という灰色の夢を見ているにすぎません。

真実を見つけたいのであれば、人に依存してはいけません。

真理を外部に求めようとすると、他人に縛られることになります。

他人に縛られている限り、真理は得られません。

臨済は言いました。

道流、仏をもって究竟(くきょう)とすることなかれ。
我れ見るに、なお厠孔(しく)の如し。
菩薩羅漢は尽く是れ伽鎖(かさ)、人を縛するていの物なり。
(中略)
仏の得べき無し。
乃至三乗五性、円頓(えんどん)の教迹(きょうしゃく)も、
皆是れ一期の薬病(やくへい)あい治す。
並びに実法無し。
設い有るも、皆な是れ相似、表顕(ひょうけん)の路布(ろふ)、
文字の差排(さはい)にして、しばらくかくの如く説くのみ。

(勝手訳)
諸君、仏を絶対視してはいけない。私に言わせれば便所のようなものだ。菩薩も羅漢も人を縛る手かせ足かせでしかない。(中略)仏など得られないのだ。三乗や五性の教え、円頓の教えにしても、さしあたりの対処療法でしかなく、真実の法などない。例えあったとしても、それらしく見えるだけで、公告の文言のようなもの、もっともらしい言葉をそれらしく説いただけのものである。

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臨済は別のところで、多くの修行者が自分のところに来るけど、みんな古人の教えに乗っかり、他人に依存してくるだけで、独立独歩で来る奴なんか一人もいないと説教します。

少しは、自分の頭で考えたらどうだというわけです。

汝に向って道(い)わん、
無仏無法、無修無証と。
祇だ与麼(よも)に傍家になにものをか求めんとほっす。
瞎漢(かつかん)、頭上に頭をおく。
是れ汝なにをか欠少(かんしょう)する。

(勝手訳)
改めて言う。仏もなければ法もなく、修業も悟りもない。それなのに、脇道の方に行って一体何を得ようとしているのか。愚か者ども、頭の上にもう一つ頭を載せたいらしいが、一体お前には何が不足しているのだ。

真実を探し求めてうろうろしたところで、どこにも真実などないということです。にもかかわらず、ネットサーフィンでトイレの落書きのようなブログを読む毎日でいったい何をしようとしているのかと。

では悟りはどうやって開くのか。

ここで登場するのが、有名な「殺仏殺祖」です。

道流、汝如法に見解せんと欲得すれば、
但だ人惑を受くることなかれ。
裏(うち)に向かい外に向って、
逢著(ほうじゃく)すれば便ち殺せ。
仏に逢うては仏を殺し、
祖に逢うては祖を殺し、
羅漢に逢うては羅漢を殺し、
父母に逢うては父母を殺し、
親眷(しんけん)に逢うては親眷を殺して、
始めて解脱を得、物と拘わらず、透脱自在なり。

(勝手訳)
諸君、真理を知りたいのであれば、人に惑わされてはいけない。内でも外でも、誰かに会ったらすぐ殺せ。仏に会えば仏を殺し、師祖に会えば師祖を殺し、聖人に会えば聖人を殺し、父母に会えば父母を殺し、親族に会えば親族を殺して、初めて解脱を得て、しがらみから逃れて、自由になれるのだ。

ダイエットで言うと、糖質制限に会えば糖質制限を殺し、カロリー制限に会えばカロリー制限を殺し、というように、自分を惑わす方法論を徹底的に否定していくということでしょうか。

その結果、何にも縛られず、自在に考えて、自分なりの正解を見出すことが出来るわけです。

つまり、まず、どれが本当なのだろうかという、他に依存する思考方法自体を捨てなくてはいけないわけです。

これこそが真理に到達する唯一の道です。

なんでこんなことをいきなり書き出したかというと、先ほど、スタジオの3件くらい隣にある家系ラーメン屋で、全部入り大盛りを食べてしまったから。

うーむ食べてしまったと思いながら下記の一節を思い出しました。

飢え来れば飯を喫し、ねむり来たれば眼を合す。愚人は我れを笑うも、知は乃ちこれを知る。

(勝手訳)
お腹が空いたらご飯を食べ、眠くなれば目をつぶる。愚か者は私を笑うが、知者ならば分かってくれよう。