後日談


メインブログに書ききれなかった分です。

昨日、メインブログの方を更新しまして、カロリーとは何ぞやという記事を書きました。

個人的には、満足感の高い記事なのですが、往々にしてそういう記事は評価が低いもので、実際その通りになりそうな予感のする記事でもあります。

まあ、そういった自己評価はさておき、あれでも相当文字数を削りました。

メインブログにしろ、こちらの日記にしろ、私は記事を書くのに結構時間がかかるのですが、多くの時間は、書き終わってから、無駄な部分を削り落とす作業に費やす時間です。

最初に熱い思いをワーッと書くのですが、途中から、あれも書きたいこれも書きたいとなって、論点の多すぎるまとまりのない文章になってしまうので、そこから本論ではない文章を削るわけです。

現にこの記事でも、メインブログに書ききれなかった分として書きたいことは頭の中にあるのですが、すでに、なぜ余計なことを書いてしまうのかといった本編に関係のない話をしてしまいます。

なので、メインブログであれば、今から本編を書いて、その後今まで書いたことを泣く泣く削るという感じになるのですが、こちらは日記の方なので、今回は残しておきます。

さて、本編です。

何を書ききれなかったかというと、登場する科学者たちの後日談です。

まずラボアジエ。

この人の科学業界でのニックネームは「近代化学の父」ですが、悲劇の科学者としても有名です。

物が燃えると灰しか残らないという事実から、きっとフロギストンという物質が飛んで行っているのだろうなんてことを主張する、半分実験半分想像のなんちゃって科学を否定して、徹底的に実験で理論を詰めていく、まさに近代化学の基礎を築いた人です。

ラボアジエは、自分の研究資金を稼ぐために税の徴収官という仕事をしていました。

そんな中、フランス革命が起きてしまいます。

ラボアジエは、死後に名声が高まったという人ではなく、当時の時点で、科学者としてヨーロッパでは知らぬ人はいないほどの業績を上げていましたが、税の徴収官だったために、フランス革命において、人民の敵として捕まえられてしまいます。

そして、人民に対する陰謀とかいうよく分からない罪で投獄されます。

仲間の科学者たちが、その人類に対する貢献を主張して弁護活動に奔走するのですが、最終的に、革命裁判所の裁判官の「共和国に科学者は不要である」との名言と共に、死刑判決が下され、ギロチン刑に処されます。

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かの有名なラグランジェは、「頭を切り落とすのは一瞬だが、同じ頭脳を持つものが再び現れるには100年かかるだろう」と述べてその才能を惜しみました。

次がボルツマン。

この人も悲劇の科学者です。

ボルツマンは、熱とは、物質を構成する原子もしくは分子の運動であるという、今となっては常識のようなことを発見というか実証した人です。

水を沸騰させると、水分子が暴れ出し、水面から水蒸気として飛び出していくなんて言うのは、我々からすると当然のようにも思えます。

しかし、ボルツマンが生きていた時代はそうではありませんでした。

原子や分子を知っている我々からすると、逆に理解不能なのですが、当時は物質というのはエネルギーの塊であると考えられていて、原子とか分子からなるという考えは異端でした。

何故かというと、原子や分子を直接観測する方法がなかったからです。

科学が急激に発達していく真っ最中の、実証主義(ある意味ラボアジエが切り開く)が先鋭化した風潮の中、ボルツマンは、観察したことのないものを存在すると主張する、科学者の風上にも置けない人物として扱われます。

ことあるごとに、君はその原子とやらを見たことあるのかと、マッハやオストヴァルトといった超一流の学者達に批判され続け、そういった議論への疲れもあり、うつ病を患うようになります。

そして、家族とイタリア旅行に出かけて楽しんでいたのですが、些細なことから家族とも喧嘩してしまい、奥さんと娘が外出した時に、ホテルの部屋で自殺してしまいます。

厳格な証明はさておき、科学会が原子の存在を確信するにいたまではあと数年でした。

このように、二人共、歴史に名を残す大天才ですが、悲劇的な死を迎えます。

しかし、ラボアジエというのは、その功績が生前から認められていた分幸せかもしれません。

ボルツマンのように、生前は功績を認められないどころか、否定され続けて科学者人生を終わる人も多くありません。

大抵の場合、証拠、根拠が不十分だと叩かれます。

ガリレオのように、地球が回っているなんてふざけんなと、教会からお怒りを買うのはわかります。相手は科学者ではないですから、ある意味、理解できます。

しかし、後から見れば非常に科学的な意見が、主流派の科学者達から、お前のやってることは科学とは言えないなんて、批判されるわけです。

それを我々は、科学の黎明期には様々なドラマがあったなんて、他人事のように楽しんでますけどね。

STAP細胞あったりして。