IoTが変える世界


最近IoTという単語をよく聞きますね。

まあ、先頭集団を走っている人にとっては、コンセプト的には何年も前からあるもので、目新しいものではないのかもしれませんが、私も、最近分かってきた人間です。

IoTとはInternet of Thingsの略で、モノのインターネットという意味らしいのですが、これで意味が分かるわけはないです。

そもそも、”モノのインターネット”という言葉遣い自体が少し新鮮すぎます。

ただ、中身は理解しがたいものではなく、要するにインターネットとつながるセンサーがあちこちに埋め込まれた世界と言えます。

もっと言うと、ドラえもん等に登場する、モノが話してくれる世界に近いかもしれません。

例えば、米びつにセンサーが入っており、米買ったほうが良いよ、今のペースで行くとあと3日でなくなるよと教えてくれる世界です。さらに、ネットとつながっているわけですから、米びつが自動でアマゾンに事前登録しておいた米を注文し、アマゾンのドローンが家の前まで運んでくるといった感じでしょうか。

他には、自動車保険を契約しようとすると、営業マンから書類ではなく小さいセンサーを車に付けるよう渡されて、それに運転状況等が勝手に記録されて、運転記録に基づいて保険料が決定されるなんていう話もあるかもしれません。

このように、あらゆるモノがインターネットにつながり、かつ、その状況が共有されることで非常に便利な社会になるという話です。

まあ、こういったIoTについて具体的なイメージを持つには以下の本がお勧めです。

この本は、主題としては、ポスト資本主義論というか、未来の社会、特に経済がどうなるかという話をしている本で、様々な論点目白押しで、まとまりがあるんだか無いんだかよくわからない本ですが、時代というか、社会というか、文明というか、世界が大きく変わっていく要因の大きな一つとしてIoTが出てきます。

著者の特徴として、脱線話をちょっとした紹介で終わらせられない人で、詳細な具体例がわんさか登場するので、読んでいてくどいところが多いのですが、IoTが社会に起こす影響に関しても、まとまりを気にしない、具体例のオンパレードなので、素人的にはイメージをしやすいです。

そういう意味でこの本は、IoT入門書として勧められる本です。

もっとも、この本は、かなり賛否両論ありそうな本で、悪く言えば理想主義者のユートピア論的なたわごとに過ぎないのかもしれませんが、個人的には考えさせられるところも多かったので備忘録程度に内容を紹介します(正確性は不担保)。

まず、タイトルにある限界費用というのは初期費用を無視した追加の費用です。

限界費用ゼロの典型は、再生可能エネルギーです。

ソーラーパネルや風力発電は、設備の製造や設置といった初期費用かかるものの、いったん設置してしまえば、後は全部タダです。

世界の電力需要が全て再生可能エネルギーになるのがいつになるかはさておき、一度なってしまえば地球と太陽がある限り、エネルギー問題はなくなるし、我々が買う製品の価格に必ず含まれている燃料費的なコストはなくなります。

もちろん、初期費用の回収をどうするかという話は著書の中でちょろっと出てくるし、そここそがこの本の最大の問題点(考えが甘い点)なのかもしれませんが割愛します。

次に3Dプリンターの話が出てきます。

3Dプリンターはかなり進化していて、製作者たちの究極の目標は、自分を作れる3Dプリンターを開発することらしく、今のところ、自分の6割くらいは作れる段階になっているそうです。

そして、現在いろいろなモノが3Dプリンターで作られつつあり、3Dプリンターで家を作るのはかなり進んだ段階まで来ていて、数年後には普通にできるようになっているだろうとのこと。他には細胞をプリントして人工臓器を作るなんて言うのも実用段階まで来ているそうです。

3Dプリンターの最大の特徴は、モノを粉みたいな原材料から作るので、原材料の加工的なプロセスが不要で、人件費もいらなければ、成型する時に生じる作業くず的なものも出ないので原材料コストが圧倒的に安くなることです。

紙くずのようなものから作る方法も登場してきていて、原材料コストは大幅に下がり、しかも、再生可能エネルギーを使えば、動力は無料ということになります。

そして、設計書のようなものは、なんとなく想像できますが、ネットで有志達が試行錯誤した上で、公表してくれますから、そこにもコストはありません。

つまり、大規模発電所があって、その周りに大規模工業地帯があって、大量生産した上で、大規模集配センターに運び込み、各地に輸送していく、中央集権型の経済モデルではなくて、各地域に再生可能エネルギーがあって、その周りに工場とも言えないような、その地方の需要に応じた規模の3Dプリンター設備があって、そこで、ほぼコストゼロでその地域に必要なだけの製品を作り、さらには、再生可能エネルギーで動く自動運転車が近隣の必要な人のところに運んでいくという世界を想定しています。

つまり、必要なものが、ほぼコストゼロで手に入ってしまうという世界です。だれでも競争に参入できるので、コストがゼロに近づくと行き着く先は利益もゼロになり、価格自体がゼロ同然になってしまいます。

そうすると必然的に資本主義が成立しなくなっていきます。

そこで資本主義が衰退してどうなるかというと、著者が登場させるのはコモンズという社会です。

日本人的には、いわゆる入会(いりあい)というものです。

まだ石油や石炭が燃料ではなく、薪が燃料だった頃なんかはどの村落でも入会という権利というかルールみたいなものがあって、要するに、村の人は誰でもあの山から薪を拾ってもよいのだけど、誰かが独り占めしたり、また、山を枯らしてしまうほど取ったりするのはやめようというルールがあって、遊牧民の牧草地とかもそうかもしれませんが、そうやってみんなで重要財産を共有し、持続可能性を意識しながら運営してきた社会です。

日常生活品が無料で手に入る社会が来ると、つまりそれは、誰もが消費者でもあると同時に、インターネットや3Dプリンターを使って供給者にもなれるのだから、みんなで協働しながら生活していく社会になるという話です。

実際、モノまでは行っていませんが、多くの情報はインターネットで無料でアクセスできる時代に来ており、出版業界や教育業界は致命的な打撃を受けています。

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多くの人が無料で情報を提供しあって助け合う状況が出来ています。ネットで商品レビューを書くのは、自分だって他人のレビューに助けられるからです。その影響で広告が少し無力化してきています。

著者はもちろん資本主義が世界から消えるとは言ってませんが、そういう相互協働社会(コモンズ)が重要な役割を果たすような社会になると言っています。

一人一人が情報発信どころかやろうと思えば何でもできる社会で、そういう個人同士が助け合って、何とかなってしまう社会です。

それに輪をかけるのが、最近流行りのシェア(共有)です。

カーシェアリングなんていって、自動車を共有するのがはやっていますが、世の中の自動車は平均して全時間の9割は止まっているらしいので、自分の使わない時間に誰かが使うようにして、IoT社会で情報を共有して、パズルを組み合わせるように無駄をなくせば、どんどん車の需要は減ります。

近隣でシェアしなくても、夜中のうちに自動運転で自宅前まで車が勝手に来てくれれば、かなり広い範囲で自動車の共有が出来そうです。

さらに、自動運転車の最大の特徴は、乗り捨て可能という点ですから、駅まで車で行って乗り捨てすると、その車は勝手にどこか必要としている人のところまで行く反面、自分は電車で移動して、さらに降りた駅ではその地域で余った車が自分を待っているという世界も実現可能です。

この世界では、車を買う人は激減する可能性があります。

他には、エアービーアンドビーのような民泊ネットワークで、ホテルの需要も大幅に減るそうですし、衣装のレンタルサービスの影響で、結婚式に行く衣装や成長の速い幼児の服等を買わない人も劇的に増えています。

このようなインターネットによるシェアリング革命で、モノの劇的な効率的利用により、社会に必要なモノ自体大幅に減りそうです。

これは、資本主義の衰退を加速する反面、コモンズの発展も加速します。

ただここらへんから話がややこしくなります。

まず、エネルギーに戻りますが、現代社会は石油が非常に重要な社会ですが、石油はオイルメジャーなんて言う数社に事実上独占されており、その利権争いともいえる戦争に巻き込まれたり、その企業達が価格を維持するために減産したりした結果の値上げに苦しめられたり、我々はその支配下にあると言っても過言ではありません。

薪はコモンズで共同管理されてうまくやってきたのに、石油になったら資本主義が登場して、企業による独占を許すようになって我々は大変な損失を受けていると。

それと同じようなことが、石油と同じくらい重要なインターネットインフラで起きてはいけないという話が登場します。

具体的には、インターネットにつながるパソコンを動かすOSがマイクロソフトに独占されそうなときに登場した、Linuxのオープンソースの話なんか案の定登場します。

Linuxは、インターネットは世界全体を豊かにしていく公共資本なのだから、著作権とか言わずに、みんなで公開して開発していこうじゃないかというプロジェクトで、実際に多くのスパコン等は、世界中のボランティア技術者の知恵を結集して開発され、しかも誰のものでもないOSによって動いているわけです。

他には、Google VS Wikipediaです。誰もが無料でどんな情報にもアクセスできるようになりましたが、多くの人が調べ物をする時にグーグルを使います。その結果出てくる検索結果は、そのキーワードで調べた結果一番役に立ちそうなサイトから表示されるべくグーグルは頑張っているのですが、そこに、営利企業としてのグーグルの思惑が入らないとは限りません。

そこで、Wikipediaは何とかしてインターネット上の知識をみんなのものにしようと頑張っているわけです。だれもが、最高の知識に無料でアクセスできるインターネットインフラを構築しようと頑張っているのですが、なんとかして、みんなで作り上げる社会資本としての知識というものを実現しようと頑張っています。専門家にお金を払って書いてもらうようなことはせずに、みんなで作り上げるというプロセスにこだわります。

また、3Dプリンターの先駆者たちも、世界を劇的に変えるマシンが、誰かの独占的支配下に置かれないように、世界中でオープンソースで開発しています。

インターネットに関しては、多くの活動が、誰でもアクセスできる社会資本であるべきなんだから、みんなで作っていこうじゃないかという信念に支えられています。

誰かの所有権ではなく、誰もがその社会インフラにアクセスして恩恵を受けられるようなアクセス権が保証される社会を目指そうという考えです。

上述のように、従来の資本主義の論理で所有権を振りかざし、情報にしろモノにしろ、独占して利益を上げようとする企業との闘いが今まさに生じており予断は許さないのですが、モノや情報がただ同然で手に入る社会の到来は不可避だと著者は見ています。

モノと情報のコストがゼロになる社会の裏側には、与える者と与えられる者ではなく、一人一人が、消費者でもあり生産者でもある、協働社会があります。

著者は、それを支えるのは、我々人間が、アダムスミスの言うような個人の利益を追求する存在ではなく社会的な存在で、他人や社会とのつながりによって満足する存在であるという考えに行きつきます。

誰だって、他人に喜んでもらえればうれしいじゃないかと。人間の幸福はそういうところにあるのだと。

資本主義も良い点もたくさんあり、世界を大幅に進歩させたのはもちろんそうなのだけど、本来的に人間は社会的な存在で、互いに助け合って生きていく協働社会が自然な社会で、それを実現する技術が今まさに出来つつあるんだから、いずれそうなるという結論です。

今から約20年前、大学の情報棟で初めてインターネットに触れた時に何にも感じなかった哀れな人間としては、未来を語るのであれば、こういうスケールの大きい話をしなくてはいけないと思いました。

せっかく読んだので備忘録程度に書くつもりだったのですが、とりとめもなく書いてたら、まとまりのない長文になってしまいました。

コモンズの話が良く登場するのですが、結局コモンズの話は、規模の小さいコミュニティ前提なんですよね。

インターネットで大量の人がつながった時に、本当にそんな理想的な社会が登場するのでしょうか。

トクヴィル先生に聞いてみたいですね。