レッスルする世界で筋トレする理由


私の好きな映画の中に、ミッキー・ローク主演の『レスラー』という作品があります。

80年台のプロレスブームの時に大スターだったが、すっかりプロレス人気はなくなり、主人公は地方のドサ周りを続ける。イベントに来るのは昔を懐かしむ熱心な中年ファンだけであり、基本的に閑古鳥が鳴いています。

本人自身すっかり昔の大スターの面影はない。体も衰え、心も弱っているが、自分の居場所をリングの上しか見つけられない。そこにしがみつくことで、家族との軋轢も生まれる。しかし、行く場所はどこにもない。

どんなに痛めつけられても、結果改善をもとめて合理的で最短な行動をとるのではなく、与えられた役割から逃れられずに演じ続ける点でまさにレスラーなわけです。もがくけど、自分で作った枠組みからは出てしまうと本当に何にもなくなってしまいそうで出られない不安(こういう言い方すると少しミスチル的な気がしてきました)。それは誰にでも当てはまる側面があるわけです。

そういったストーリーを通して描かれる、映画の本質的なポイントをうまく表現したいのですが、語彙力がなさ過ぎてうまく説明できません。

要するに、そんなストーリーの中で人生の喜怒哀楽が描かれるわけです(チープすぎてすいません)。

そこら辺はさておき、映画の中で面白いセリフが登場します。

ストリッパーの恋人とパブで酒を飲みながら、ジュークボックスで80年代ロック(確かモトリー・クルー)をかけながら言うセリフです。

うろ覚えですが、『ニルバーナがロックをダメにした』というような感じだったと思います。

要するに、あいつらが、騒いで楽しいだけだったロックに生きる意味みたいなつまらないものを持ち出したせいで、ロックがおかしくなったというわけです。これは、プロレスなんてやらせだ、その点総合格闘技は真剣勝負で面白いといった意見やそれを支える社会全体の風潮(日本で言うとバブル崩壊後か)をうまく表現していると思います。

これは筋トレが趣味の人には他人ごとではないと思います。

趣味が筋トレと言うと、何のために筋トレするのか、何かスポーツをやっているのか、スポーツ目的がないのに筋トレしてどうするのか、何かに利用できない筋肉をつけても無意味などと言ってくる連中が必ずいます。

いつからそんな風に何にでも理由が必要とされるようになったのでしょうか。楽しいからやってるではいけないのでしょうか。

そうすると、重いものを持ち上げる動作が楽しいはずがない、結局はナルシストなんだとか、動機の根底はコンプレックスだとか、それっぽい”理由”を見つけて批評を加えてくる人もいます。聞きかじりの精神分析全開で、フロイト先生が生きてたらステッキでぶん殴られると思います。

筋トレがなぜ楽しいのか。

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良くストレス発散にスポーツが良いと言われますが本当でしょうか。

スポーツには、相手を倒す、相手に勝つ、一位を目指すという結果意識が不可欠です。しかし、その反面、勝てば何でも良いのではなく、徹底的にルールの順守が求められます。

ボクシング何てその最たるもので、史上最強は誰か、本能と本能のぶつかり合いなんて煽りますが、実際には、蹴ってはいけない、噛みついてはいけない、下腹部を攻撃してはいけない等制約だらけで、ライオンやトラから見たら、理解不能な代物です。本能を押し殺して”ボクシング”への愛を表現する営みとでもいったほうが正確かもしれません。

実際、メイウェザーなんて見ていると、どちらが強いかではなくて、どちらが”ボクシング”がうまいかを競う競技になっている気がします。

そして、この、徹底的にルールを順守しながらも結果を求められるというのは、現代社会のストレス原因そのものです。まさに、私たちの悩みそのものです。

そのルールの前提にあるのが、何故そのルールがあるのかを支える理由、その理由を考えださずにはいられない社会、その社会を構成し、出来上がったルールを守る代わりに他人に順守を要求する自分自身です。

一人一人は幸せになりたいだけなのに、一人じゃ何もできないから社会を作ってみたものの、みんながみんな自分で自分の首を絞めて、身動き取れなくなって、どうしていいかわからなくなっているわけです。

スポーツというものは、体を動かす点にだけ着目されて本能的な営みであるかのように誤解されていますが、ルールが存在し、ルールの順守が求められるという点に目を向ければ、本能とは真逆の極めて社会的な営みです。

そう考えるとスポーツなんてストレス発散にはなるはずがありません。

その点、筋トレは違います。

あるのは自分とバーベルのみです。重力と闘うのであって、自分と闘うなんていうのも現代病への一里塚です。

よく理想のボディを手に入れた自分をイメージしながらトレーニングしようなんてことを言う人がいますが、実践している人は少ないでしょう。

そんないつ来るかわからない将来ではなくて、今から1分以内の、目の前にあるバーベルが10回上がるかどうか、それしか考えていない人がほとんどでしょう。

そして、10回あがろうがあがらなかろうが、次の種目に移って同じことを繰り返します。

そういう意味で、筋トレとは、私たちの日常生活では大っぴらにやることが歓迎されない、刹那的な一瞬の満足を求める行為の連続です。難しいルールもありません。バーベルを持ち上げる理由がない以上、その行為をするにあたって守らなくてはいけないルールなんてあるはずがありません。

情報が氾濫し、あれはしてはいけないなんていう情報が何をするにも耳に入ってくる反面、結果を出すことが求められる。

そんな社会から一瞬逃れ、バーベルと向き合って、日頃の生活で求められる役割やルールを捨てて、何も考えずに重いものを持ち上げる。

私は、女性にしろ男性にしろ、バックプレスで顔をゆがませながら最終レップを挙げる姿を見るのが大好きです。

みなさん美しいです。

そして楽しいはずです。

その楽しさを説明する理由なんてありませんよ。