2017年6月2日の日記


6月2日の日記です。

最近、すっかり日記の更新をサボっております。

面白いニュースもなくて、特に書くことが無くて困っております (いたって元気ですが)。

ここ最近で個人的に一番印象的だったのは、ザッカ―バーグのハーバード大学卒業式でのスピーチでしょうか。

http://www.huffingtonpost.jp/keizo-kuramoto/mark-zuckerberg-harvard-speech_b_16818864.html
(紹介・翻訳してくれた方に本当に感謝)

これを、素晴らしいと感じるか、やっぱりアメリカ人は怖いなあと感じるかは人によるんでしょうね。

私は怖いと思いました。

歴史を持たない国ならではの思想だと思います。

しかもそれを他の国にも押し付けながら世界に広げていこうとするんだからすごいですね。

プラトンは、民主政治は最も堕落した社会だと言ったそうです。

一般大衆が、自分の利害を政治に反映するようになったら終わりだと。

もっと自由を、もっと権利を、となって、それに応えるかのような詭弁を弄するペテン師がリーダーとして選ばれる。

誰もが主権者として偉そうな態度をとるようになり、生徒が先生を尊敬せず、子が親を尊敬しない『平等社会』が誕生し、権威のあり方が見えなくなって、社会は崩壊すると。

ここ数十年、社会は便利になりましたが、社会の変化はそんなに美しいものですかね。

自由になったんだか、根無し草になったのか、レールがない方が良いのか、ある程度はあった方が良いのか、私にはよくわかりません。

このままの流れを続けて良いのでしょうかね。

もちろん、弱者を支援することに反対しているわけではないです。

ただ、これ以上、社会に対して、自由な個人が力を持つ事態になった時に、社会というものが一体感を維持したまま存続できるのかどうかが不安なだけです。

まあ、イスラム社会、アフリカの部族社会、アジアの多元的な社会、そういった『後れた社会』に対峙したときには、一つにまとまれるんでしょうけどね。

理想主義的で、聞こえの良い話をしているのが、IT業界ひいてはグローバル経済界きっての独裁者の一人だという点も気になります。

しかも、どうやら悪人であるとか、世界を支配しようとしているといった感じはなく、心の底から、無邪気に、理想的な信念をもっているらしいのも気になります。

1709年(宝永六年)、絶賛鎖国中の我が国の屋久島に、イタリア人宣教師のジョバンニ・シドッチという人が流れ着きます。

当時の日本の幕政改革を仕切っていたのは新井白石ですが、この人は、儒学者で政治の中枢に関与した非常に珍しい人で、なんといっても学者ですから、この宣教師に興味津々で、シドッチを小石川の切支丹屋敷に置いて、散々訊問し、集めた情報を西洋紀聞という本にまとめます(当然、当時は公刊されず)。

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その中で新井白石は、シドッチの持つ天文地理の知識に舌を巻き、到底自分たちの及ぶものではないと感心しながら、熱心に教えを請います。

しかし、話にキリスト教が登場するや、十字架にかけられたイエスの復活や天地創造など、滅茶苦茶すぎて語るに足らずと切って捨て、一つも道に近きところあらずと、一体こいつは何を言ってるんだという感想を隠しません。

天文地理を語るシドッチと、キリスト教を語るシドッチと、智者と愚者が入れ替わりながら、二人と話しているようだと素直な感想を述べています(これ、気持ち分かる人も多いんじゃないでしょうか)。

そして、結論付けます。

たくさん話してよく分かったと。

連中の学問とは、目に見えるような、形と器にはやたら詳しいが、目に見えないような中身のところはどうやら全然わかってないらしいと。

西洋にしろ、東洋の儒教にしろ、理性というものを重視しますから、政治というのは、武人ではなく文人、すなわち剣ではなく書物を持った人がするものです。

なので、日本という、武士という軍人が統治する国は、非常に野蛮で未開な国家とされるのが当然の帰結です。

政治家層が皆腰に刀を差していて、なんかあれば切り捨て御免ですし、不名誉なことをすれば切腹とかいうとんでもないペナルティが控えていました。

山鹿素行など、儒学をベースにした江戸時代の日本の思想家は、武士階級の意味について非常に悩んだりしています。

しかし、諸説ありますが、えらい人達が皆腰に刀を差していたからと言って、殺戮が横行したわけでも、恐怖政治が行われたわけでもなく、非常に安定した社会を300年にわたって継続したのも事実です。

独自の社会観が養われ、なんだかんだ言いながら、我々にはその時代に培われた価値観がしっかりと根付いています。

法律で禁止しながら街には売春婦があふれている西洋社会と性風俗にオープンで寛容な日本社会、マフィアが表向きは起業家や政治家で表面上はマフィアなどいないことになっている西洋社会と暴力団の看板を掲げた事務所が街に存在する日本社会、犯罪者への再教育などにさして興味を示さずとにかく厳罰を求める世論。

我々が野蛮なのか現実的なだけなのかはわかりません。

しかし、連中のきれいごとには要注意でしょう。