なぜ監査法人に不正会計が見抜けないのか


これは根本的な問題だと思います。


はじめに

最近、東芝問題の影響で、会計関連の話ばかりですが、今回は、なぜ監査法人が不正会計を見抜けないかを考えてみます。

きっかけは、AERAの下記の記事。
https://dot.asahi.com/aera/2017041300033.html

内容としては、東芝の経理部に会計士が見下されていたとか、監査に対して敬意が払われていないとか、全く本質を外した議論がなされていて、公認会計士協会の偉い人や有名な学者も全然わかってないなという議論をしているので、私なりに考えてみます。

なお、日本企業の会計不正はこれからも続くと思いますし、以下に述べる状況に対応しない限り、監査法人が対応するのも厳しんじゃないかな。

東芝の特異性

なお、下記で述べるのは東芝問題をきっかけとはしているものの、一般論です。

東芝問題に関して言えば、東芝もあり得ないですが、新日本監査法人もあり得ないです。

東芝はバイセル取引と呼んでいたらしいですが、東芝はパソコンの製造委託先へ半導体などの部品を有償支給していたのですが、どうせ最終製品を買い戻すからという言うことで、すさまじい価格で有償支給していて、特に期末に大規模な押し込み売り上げをすることで(東芝は仕入のマイナスで処理してたみたいですが本質は昔からある押し込み売り上げ&翌期返品と何も変わりません)、益出しをしていたというもの。

こんなことをやる会社も、こんな会計処理を認める監査法人もどうかしてるとしか思えません。AERAに書いてあるような、会計士にビジネスの理解が無いとか、監査チームが経理部から見下されていたとか全く関係ない話です。

有償支給価格を不当にかさ上げして利益を過大計上していたことが意図的な粉飾でそれを監査法人が見逃したのではなく、最終的に買い戻すはずなのに一時的なOEM先への有償支給から利益を計上する会計処理自体が間違っていて、それを監査法人が認めていたことが問題です。

ただ、これ、他にもやっている会社たくさんあるんだろうな。

さて、以下本題。

人と法人

ここからは会計不正と監査法人によるその看過が続くであろう理由を書きます。

突然ですが、近代社会の条件とは何でしょうか。

そうです、皆さんご存知、奴隷制の廃止です。

人は物を所有できますが、人は人を所有することは出来ません。

しかし、実は、このルールには大きな例外があるのです。

それは、法人。

法人とは、自然人じゃないけど、法律上人として扱われる存在です。この記事では、法人=会社としてしまいます。

会社という存在はどこにもいないのですが、登記して会社という存在が認められると、晴れて会社君として、自分の名前で土地を買ったり事務所を借りたり銀行口座を作ったり商品を仕入れたりできるようになります。

もちろん、全てフィクションですから、契約などはすべて、会社君の手足として代表取締役という人が代わりにやるのですが、代表取締役がした契約から生じる権利と義務は全て会社なる法律上の人に帰属します。

なお、備品を買ったり事務所を借りたりするためにはお金が必要ですが、会社君が自分の名義で支払う以上、会社君の財布を作ることが会社活動の第一歩で、会社君の財布に一番最初に入れるお金を資本金と言います。

マルサの女という映画の冒頭シーンで税務調査のシーンが登場するのですが、中年夫婦が切り盛りするいかにも儲かってなさそうな零細の総菜屋に税務調査に入ります。そこで、調査官が「お宅、売れ残った総菜を夕飯で食べたりしてません?」と聞くと、店主が「自分で作ったもの自分で食べて何が悪いんだ」というのですが、そこで調査官は「でも、お宅は法人化してますよね」と言います。

要するに、法人化している以上、その総菜は店主個人ではなく会社の所有物なんだから、会社の売上に計上して、もし代金を払っていないなら「会社から店主に対する未収金」を計上しろという指摘で、これは法律上店主と会社が別の人である以上、当然の結論です。刑法学者なら他人の物を勝手に取った以上、窃盗罪適用の可否を問題にするところです。

これが法人です。

そういう意味で、会社というのは、法律上は人であり、死刑とか懲役にはなりませんが、それ以外は我々自然人と何ら変わらないものです。

しかし、会社、特に株式会社になると、話がややこしくなります。

何故かというと、会社は人に所有されしかも売買されるという点でモノとしての側面があるからです。

つまり、会社は法律上人なのですが、自然人とは異なり、人に所有され取引の対象となるモノでもあるのです。

この2面性が非常に重要です。

日本とアメリカの会社観

会社が法律上は人として扱われる反面、モノとして売買の対象になるという点は、日本とアメリカで差はありません。

しかし、もちろん程度の問題なのですが、両者で会社を見る目は大きく違います。

まず、アメリカでは、1960年代以降始まるM&Aブームの影響もあり、企業の買収は日常的な光景となります。

そして、買収・合併だけでなく、会社分割や事業譲渡といった、会社をバラバラにしてその一部だけ売買するのも非常に活発です(日本でも最近はすっかり定着しましたが)。

つまり、会社はモノであり、売買の対象となるという側面が非常に強いわけです。

しかし、日本では、いまだに「家」制度の影響があり、会社のヒトとしての側面が非常に強調されます。

日本の会社は皆、伝統を背負い、社訓なる家訓みたいなものを守っています。

東芝に関しては、先進医療事業や半導体事業を売って、一体何が残るのか、その抜け殻を残すことに意味はあるのかという意見も聞かれますが、経営者たちは、「東芝」という看板を残すことに必死なわけです。

先代から受け継いだ東芝が自分の代で絶えるのだけは避けようとしています。

また、最近では、Panasonicだったかと思いますが、社長が、苦しい環境が続いているが総合家電メーカーとしての看板は下ろさない、なんて言っていました。

もちろん、海外にも伝統を重んじる会社はたくさんあるのですが、日本の会社というのは、「うちの会社はこういう会社なんだ」という主張が強いのが特徴です。

何々家の家訓があるように、どの会社の経営者も、歴史と伝統を守って経営しているのが特徴で、会社の、人としての側面が強調されます。

会計観の違い

この会社観の違いは会計処理に影響を及ぼしています。

アメリカでは、会社というのは株式市場での売買の対象という側面が強く、財務諸表は重要な参考資料ですから、会計基準の特徴は一言で言えば公平性です。

とにかく全員同じルールを適用しろと、そうじゃないと投資家はどの会社の株を買うべきか比較検討できないじゃないか、ものさしが複数存在するなんてありえない、という考えが強いです。

他方で、日本の企業会計原則の一番最初に来る大原則は真実性の原則となります。しかし、その真実は相対的なものだよというへんてこな注釈が付きます。

公平性とか相対的な真実とかわけわからないと思うので、具体的に説明します。

日本の会計基準では、ルールが複数用意してあって、その中から一つ選ぶという選択適用が認められるわけです(今は国際化してだいぶ認められなくなりました)。

世の中には無数の会社があり、そのビジネスも多種多様です。そして、財務諸表は企業の実態を反映するのでなければなりませんから、各会社がそのビジネスの実態を反映する上で最も適切なルールを適用しましょう、というルールです。

あくまで、会社のビジネスの真実をできる限り財務諸表に反映しようという哲学があります。

ビジネスは多種多様ですからルールも多種多様で、どれを選ぶかは企業の自主性にゆだねられていました。

しかし、アメリカは、選択適用が大嫌いです。

元々移民国家で、彼らにとっては公平性(Fairness)が、日本人にとっての義理人情のようなものですから、いいからみんなで同じルールを適用しろとなります。

もちろん、彼らだって、ビジネスが多種多様で、一つのルールを機械的に適用すると、かえって業種によっては財務諸表がビジネスの実態を反映しなくなる可能性があることは重々承知です。

ただ、それ以上に、自分に有利か不利かだけで、複数あるルールの中から、適当な理由をでっちあげて、都合の良いルールを選ぶ輩が出てくることを防止する方が重要なわけです。

性善説か性悪説かといった整理もできるかもしれませんが、真実と公平のどちらを追求するかという大きな対立があります。

時価会計

この公平性と同じくらい重要なのが有用性という考えです。

最近では政治や市場のグローバル化の影響で、日本の会計基準もすっかり欧米化しました。

よく時価会計とか、資産の時価評価なんて言われたりもします。

ただ、ここで、この時価、英語ではFair Valueといいます。文字通り、フェアーな価格、つまり、公正な評価額を意味し、日本の会計基準でも、「時価とは公正な評価額を言う」なんて一見よくわからないことがちゃんと書かれています。

会社が保有する株式は期末に時価評価されます。

ここで、時価評価というと、期末日に市場で成立した価格で帳簿価額を評価し直すことは知られていますが、何でそれをするかというと、市場で無数の買い手と売り手の間で成立した価格がFair Valueだからです。

同じトヨタの株式を持っているとしても、いつ購入したかは会社によってさまざまで、高値で買った会社もあれば、安値で買った会社もあります。

しかし、買った後に、時価が変動して含み損や含み益が発生しているのに、財務諸表上原価のままで載せていいのか、という議論がありました。

そこで、時価評価がはじまるのですが、これが日本だと、売ろうとしても市場価格でしか売れないわけですから、買った値段より期末日に市場で成立した価格の方が、資産の評価額として適切であるといった、真実性の原則が裏側で登場してしまいます(もちろんアメリカでもこの考えはあるのですが・・)。

どうしても我々は、実態の反映、「何が適切なのか」というドグマから抜け出せません。

しかし、アメリカだと、買った値段と期末日の時価のどちらが投資家への情報として有用かという点しか考えていません。

それは、時価だろうということになります。

何故かというと、会社が含み益や含み損を隠すのはフェアーじゃないし、同じものを持っているのであれば全員同じ価格で財務諸表に載せるのがフェアーだからです。そして、その金額として、市場で成立した価格はフェアーだからです。

なんだかややこしいですが、ここら辺が分かっていないと変な反論が生まれます。

例えば、持ち合い株式のように、短期で売る気はなく長期保有の株式の場合、時価評価して一時的な評価損益を計上するのはおかしいんじゃないかなんて議論があったりしますが、時価評価することが企業の実態の反映として適切・真実だから時価評価するのではなく、皆で同じ価格を使うことは公平なやり方だし、企業を比較検討する時にその方が有用だから時価評価するだけです。

また、その結果、株式を持っていても、上場企業の株式であれば時価評価しますが、未上場企業の株式であれば時価評価しません。

未上場企業の株式でも、時価、つまり、その会社の業績予測から割りだした真の価値みたいな概念を数式モデルで計算したりでき、企業価値なるものの把握からはその方が有用かもしれませんが、、そんな怪しい見積り金額を使うのは、不当な操作の余地があってフェアーじゃないから、買った値段のままです。

これを聞いた多くの日本人は、上場企業のみ時価評価して、未上場企業は時価評価しないのはつじつまが合っていない、矛盾している、などとなるのですが、アメリカ人にしてみると、理解できない主張だったりします。

アメリカ的には、財務諸表というのは、アイデンティティーと歴史のある人としての会社の真実の姿を映す鏡なんていう大それた物ではなく、売買の対象たるモノとして会社を比較検討するための道具でしかありません。

真実なんてものはそもそも議論しておらず、便利でかつ公平なルールを作ることに注力しているわけです。

市場があるのであれば市場価格で、市場が無ければ買った価格で、というのが、全てを買った値段で据え置くよりは便利で、かつ恣意性が介入する余地が低くでフェアーなわけです。

ビジネスの理解と客観性

相変わらずイントロが長くなりましたが、ここからが会計監査の本質です。

AERAの記事でも、試験を受けただけの若手会計士がビジネスを理解していないなんて話が出てきますが、結論から言うと、ビジネスの理解なんてたいして要りません。

もちろん、その会社の業務内容は理解する必要がありますが、ビジネス的な視点なんていらないんです。

減損会計というものがあります。

これは、資産の価値を目減りさせてその分だけ損失を計上する会計処理です。

例えば40億円で工場を立てて、毎年1億円ずつ40年で減価償却していたのですが、5年後に、その工場で製造する製品の売れ行きがあまりに芳しくないので、今年は25億円減損して、工場の価格を10億円にしてください、なんていう処理です。

会計士と会社でもめるのが必至の会計処理です。

そこで、会社側としては、新製品の企画とか、大手メーカーとのコラボレーションとかの話を持ち出して、立ち上げ直後はうまくいかなかったけど、今年からは絶対うまくいく、明るい兆しが見えてきた、などと必死で抵抗します。

そして、最終的に、「会計のことしか知らない先生たちにビジネスのことがわかるのか!」なんてセリフが出てくるわけです。

それに対して、会計士はこう言い返すべきなんです。

「ビジネスのことなんてしらないよ、客観的な資料に基づいて客観的な判断をするから、ビジネスのことなんて知らない投資家にとって有用な情報になるんだよ」と。

ただ、こうやって反論できない会計士の多いこと。

数字のプロなんだから、根拠ある数字から客観的な判断をすればそれでいいんです。

40億投資したのはその工場から40億以上の利益を計上する計画があったからで、その計画と実績が大幅にかい離していて、それが会計基準で定められた期間継続したら、減損していいんです。

減損後の価格は当然、実績の延長で計算します。

しかし、会社も会計士も、みんな真実性の原則の奴隷になっていますから、一生懸命未来予測をしようとして、本当にこの工場の価値は10億円なのかと、新製品はもしかしたら売れるのじゃないかなんて、わけわからなくなります。

減損した直後にその工場が大きな利益を出したって全く恥ずかしくありません。

工場設立時の計画と実績を比較して、乖離が激しければ減損するというのがルールであって、未来を予測してその工場の真実の価値で評価するのが減損会計ではありません。

そんなことしたら、会計士のビジネスの理解度、つまり監査担当者ごとに会計処理が異なるなんてことになるわけで、会計監査なんて無意味なものになります。

もちろん、昔の日本の基準のよう複数のルールを認めて、その中から自分の会社に合ったものを選びましょうなんて、主観的に真実を追求して、財務諸表が会社の実態を反映しているかどうかを監査するというルールもありです(その反面、昔の日本基準では現実のお金の出入りに基づいて資産評価するのが鉄則で、時価評価はしないという防波堤があった)。

しかし、会計基準を欧米化して、時価会計なんてものを取り入れた以上、真実を追求するなんて無理なんです。

一番重要なものは客観性であり、判断が客観的でさえあればよくて、究極的には、その判断が神のみぞ知る真実に近いかどうかなんてどうでもよいと言わなければならないわけです。

真実性ではなく、皆で同じルールを守るという公平性にシフトする必要があるわけです。

後日付仕訳

こういった対立が先鋭化するのが、日系企業の外資買収後などの経営統合でよく起きます。

典型的なのが後日付仕訳(あとひづけしわけ)。

東芝のようなグローバル大企業、システム化が進んだ(システム化してないと経理なんてとてもできない)会社を想定します。

例えば、4月20日に100万円の売上があり、売上システムからデータが流れてきて、会計帳簿に自動仕訳が起こされて、100万円の売上が計上されました。

しかし、3日後の4月23日になって、営業担当者が売上データの入力を間違えていることに気付いて、4月20日の売上データ100万円を取り消して、120万円と正しいデータに修正しました。

そうすると、マイナス100万円の売上データと、120万円の売上データが会計帳簿に流れてきますが、その仕訳日はいつになるでしょうか。

これ、外資であれば、通常は4月23日の売上で処理します。

ただ、日系企業だとこれがどうしても理解されない。4月20日でなくてはいけないという意見が圧倒的多数を占めます。

そして、4月23日に流れて来たデータが4月20日で処理されるプログラムがシステムに埋め込まれます。

外資の場合これはどうしても認められない点で、何故かというと、彼らは業務を高度にシステム化していて、その反面、データを日々チェックするのが仕事なので、4月20日のデータは4月21日に締め終わっていて、4月24日の朝出社したら、締めたはず20日の帳簿が勝手に変わっているなんていう事態だけは許せないわけです。

内部統制の根幹にかかわる問題で、そんなシステム設計だけは絶対に認められないとなります。

これを外国人に話すと、皆非常にびっくりして、そんなシステムだったら、後から帳簿を修正出来てしまうじゃないかというリアクションをします。しかし、日本人経理マン的には、後から帳簿を修正するのが経理の仕事だろといった感じで議論はかみ合いません。

もちろん、決算日をまたいでいるのであれば修正しますが、システム上過去の仕訳が入力される仕組みは絶対に作らず、手修正でも非常に厳格なコントロールをかけます。

会計ソフト上で仕訳を手入力する場合、仕訳日としては、前日以降の日付しか選べないのが基本で、月初の5日間だけ前月末が選べるといった感じです。

真実を追求した結果、コントールに不備が生じるくらいなら、多少の真実を捻じ曲げてでも機械的な処理を優先します(そもそも、期またぎ以外、売上日がいつかなんて決算書には関係なく、売上データが売上日というデータをもっていれば何の問題もないですが)。

経理部は英語ではコントローラーと言いますが、仕事もまさしくコントローラーで、日本の経理部が出来上がりの数字に非常にこだわるのに対して、外資企業では、コントロール可能な体制の構築が最優先で、日々のシステムデータの流れのコントロールと、その維持をするのが仕事です。

大企業の決算

欧米が大嫌いの私としては珍しく欧米礼賛的ですが、もう少しで終わります。

東芝のような大企業の場合、取引数はものすごい数ですから、ほぼ完全に会計処理はシステム化しています。

受注システム、発注システム、人事システム、経費管理システム、大量のシステムから自動でデータが飛んできて、仕訳エンジンで仕訳が自動で起こされて会計システムに入力されます。

3月31日が期末日だとして、基本的に4月1日の朝には全ての取引の入力は終わっています。

一定規模以上の大企業は全部そうです。

にもかかわらず・・・。

どの企業も決算の開示までには1か月以上かかっています。いったい何をやっているのでしょうか。

これが、中小企業ならわかります。

管理部門だけでなく、フロントやミドルもシステム化されていませんから、会計ソフトへの入力なんかはまだ人力作業で、メールベースの連絡など、時間がかかるのは仕方ありません。

しかし、人力でなんか到底処理できない規模の大企業は、4月1日時点で全てのデータがシステム的にそろっているのに、開示までの45日間一体何をしているのでしょうか。

そう、手でデータをいじっているのです。

決算書の出来上がりを見ながら、会議を重ねてデータを手作業であれこれいじっているんです。

やっと結論にきましたが、このプロセスが残っているかぎり、大企業の会計不正は絶対になくなりません。

営業の人なんかで、経理の決算作業って一体何してるのと思ったことがある人はいるかもしれませんが、大企業の場合、どんなに遅くとも2010年以降の回答は、無意味なことをしているか、不正をしているの二択です。

外資系企業の決算が出るのは1週間とか2週間とか早いですが、理由は簡単で、システムが自動で処理したものをチェックして、ちょこっと手修正して開示するだけだからです。

そして、そういう仕組みにしないと、時価会計とか減損会計なんて怪しくてとても信用できるものにはなりません。

監査の視点から

これを監査の視点でいうと、会計基準の進化を受けて監査基準も進化しましたが、日本企業のほとんどが、監査意見を出す前提となるような内部統制が無いということになります。

今の監査基準を厳格に適用したら、日本の大企業のほとんどが、適正意見を出す前提となる有効な内部統制なんてありません(もちろん勝手な予想ですが)。

大企業の場合、決算書の根拠となる個々の取引を全部チェックするなんて到底できませんから、取引が処理される仕組み、すなわち内部統制の有効性を評価して、どんな取引も正しく処理される仕組みがあることを前提に監査は進められます。

そして、大企業の内部統制というのはイコールそのまま自動システムのことです。

しかし、日系企業の経理部だと、人間にしかできない真実追及がタスクなってしまっているので、システム前提でシンプルな業務フローの構築なんて視点は全くなく、システムをデザインする時に、あれとこれは厳密には違うといった枝葉の話が無数に登場して、ものすごく複雑なシステムを作り込んだ挙句に、誰も管理できない&ワークしない状況となって、結局手作業が増えただけみたいな巨大ピタゴラ装置が出来上がっています。

売上と言っても厳密には1000種類あるのにシステムが機械的に100種類で処理しちゃうから、困った困ったと、システムが処理したデータを、すさまじい人力プロセスで、1か月かけて決算書を作り上げ、それを監査法人が、無数のエクセルシートの数式とリンクを読み解きながら、解き明かしているのです。

そんな状況なのに、J-SOX法の導入で、企業の内部統制を文書化して透明化するとともに、内部統制の有効性を評価するなんて制度が始まったのですが、手入力伝票に、何人も印鑑が押されていて、2重どころか3重チェックが効いていて有効な内部統制があるなんてやってるわけです。

印鑑を押す時に中身なんて見ないケースがほとんどであることをみんな知っているにもかかわらず、押印ごっこをやっているわけです。

ビットコインの口座を作る場合、写真入りの身分証明書の両面コピーと、その身分証明書を見えるように持った自分の自撮り写真が必要になるのですが、これを銀行員に話すと、印鑑なしで口座開設なんてあり得ないなんて言ったりします。

これと同じで、内部統制の評価自体に骨の髄まで形式論が支配していて、会計監査の前提となる内部統制の有効性評価でも、上位者が印鑑押して承認しているから有効な内部統制があるなんていう結論のオンパレードです。

それに対しては、形式論に陥ってはいけなくて、印鑑を押すことではなく、中身をしっかり確認することが大事であるなんて言われたりしますが、全然違います。

押された印鑑を見ても中身が検証されたか否かが判断できないことが問題なのであり、そんなのコントロールとは呼べないわけです。仮に、従業員全員が内部統制意識を高く持って、しっかり中身を判断してから印鑑を押しているとしても、それを事後的に証明できない以上、内部統制には大きな欠陥があることになります。

外部の監査人が内部統制が有効に働いたか否かを事後的に検証できない以上、コントロールされていないのと同じです。実質とか実態なんて問題ではありません。

手作業中心のベンチャー企業だと、会計士が人力で帳簿と通帳をひっくり返してかなり細かく見ていけるので、実は人力内部統制はそこまで問題にならないのですが、取引件数何百万件なんていう大企業の場合は、そういう手法が一切通用しませんから、手修正が出来る仕組みがある時点で内部統制を不合格にしないと限り、不正は見抜けません。

会計基準が複雑化していたりもしますが、複雑化の受けてすることは、基準の心をしっかりと理解して、少しでも真実に近づけるように、エクセルやアクセスを駆使して煩雑な手修正を加えることではなくて、客観的な基準に元づいて機械的にフェアーな値を算出する仕組みづくりであり、そのためには人が出来る限り関わらないシステムフローを作るしかありません。

一時期、統計学が最強の学問であるという本が流行りました。言いたいことはわかるのですが、どんなに過去をひっくり返しても未来のことは何もわからないという点では、統計分析もほどほどにしないと、単なる時間の浪費でおわります。

それと同じで、真実性の原則といったところで、どんなに作業しても真実にはたどり着けないわけですから、会計基準が複雑化しているからこそ、客観性を重視して、機械的な処理を優先するという思考が求められるわけです。

この発想の転換が無い限り大企業による不正会計とそれを監査法人が看過する事態は止めらないでしょう。

終わりに

これからも日本では大企業の会計不正が続くだろうという悲観的な見解を披露してみました。

ちょっと前のめりなので、極論めいたところや、日米の会計基準の説明では端折り過ぎたところもあるし、現場離れたお前に言われたくねーよという思いもあるかもしれませんが、ご容赦ください。

私が某金融機関に勤めている時、頭を離れなかった疑問の一つとして、もしグーグルがこの会社を経営していたら管理部門のコストは人件費含め半分どころか10分の1くらいで済むんじゃないんだろうかと思っていました。

最近はAIの議論が盛んで、10年後になくなる職業の筆頭として会計士が挙げられていたりします。

日本では、そんなはずはない、今の監査業務をAIが出来るとは思えないなんて意見も強いですが、いまやってる業務をAIがやれるかどうかじゃなくて、AIが機械的にその正確性を判断できるような、客観的な財務諸表作成プロセスを作らなくてはいけないんだと思います。

数字がタイムリーに把握できない会社が伸びるとも思えませんしね。

アマゾンのリアル店舗進出、ソフトバンクのARM買収、グーグルやアップルの自動運転車、LINEの送金機能、グーグルだけではなく、AmazonやAppleなど、インターネットというバーチャル空間を支配した企業が今後、スマホの普及とIoTをきっかけにリアル世界に続々と進出してきます。つまり、今までそれらIT企業とは直接の競合になかった業種が続々と戦争に巻き込まれる時代が来つつあります。

管理部門にコストなんてかけてる場合じゃなくて、本気でシステム優先のシステム化に取り組んだほうが良いと思いますけどね。

参考文献

前半は以下の二つを大いに参考にしてます。

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