「京大出て専業主婦なんてもったいない」について



たまには旬な話題にコメントしてみます。もう1周遅れくらいかもしれませんが。

先日、京大卒で専業主婦やってる人が、もったいないといわれるけど、何がもったいないのかわからない、じゃあ何すればよいのか、というようなブログを書いて話題になっていました。

普段、こういう旬な話題みたいなものに対する意見を書いたりはしないのですが、関連しそうな記事を書いたばかりなのでコメントしてみます。

まあ、該当記事のコメント欄をみると賛否両論なのですが(もちろんちらっと見ただけ)、はっきり言って、勉強が好きな人と嫌いな人の間にある壁が大きく出てくる話だと思います。

勉強が好きな人というのは、好きだから勉強するだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

もちろん、本当に本当に心の底から好きなのかと聞かれれば、多少の疑問が残りますが、勉強が嫌いな人からすると想像できないくらい勉強を楽しんでいたりします。

この点、学生時代、勉強に興味がないという状態になると、なぜ好きでもない勉強をしなくてはいけないのかで悩むことになります。そして、スポーツや音楽など、勉強以外に人生かけて打ち込む何かが見つからない限り、悩みの出口も見つかりません。

この点、学校をとりあえず辞めてみるという選択肢がないのが、日本の良くないところで、一度ドロップアウトすればもう終わりみたいな社会になっていますから、多くの学生は、やめるのだけはヤバい、学校生活自体は楽しいしといった感じで、結局なんとなく学生生活を続けることになります。

しかし、勉強が好きだから勉強をするわけではないので、結局、道を踏み外したくないから、一種の義務のようなものとして、好きでもない勉強をするというモードに入ってしまいます。

つまり、勉強が好きでもないのに勉強してきた人たちにとって、いつのまにか、勉強やら学歴は、社会に出るためのチケットみたいなものになってしまいます。

そうすると、京大出て専業主婦なんて言うのは、人気アイドルグループの超レアなコンサートチケットを入手できたのに、コンサートに行かない人みたいになって、もったいない、という意見が出てくるのだと思います。

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勉強が好きでない人からしたら、京大卒とかいう資格は、勉強とかいう苦行の壮絶な競争を勝ち抜いた人がゲットできるプラチナチケットですから、そのチケットを使わずに誰でもなれる専業主婦になるなんていうのは、もったいないと思うのでしょう。

しかし、勉強が好きな側の人から見たら、当人としては、勉強が好きで、勉強したくて京大に入り、そして、好きな勉強を十分にしたのですから、それだけです。京大に入るのは、社会で一流企業に入るための手段ではなく、京大で勉強すること自体が目的だったわけですから、当人からすれば何ももったいなくはないです。

XXを勉強していると言うと、何のために?と聞いてくる人がいますが、何のためでもなく、単に知りたくなったから勉強しているという人もたくさんいるわけです。

そして、その後専業主婦をやりたくなったからしてるというだけでしょう。

手段があるのに目的を達成していないのであればもったいないですが、目的を達成したのですから、何も無駄にはしておらず、何ももったいなくないというところでしょうか。

多額の税金をつぎ込んだ大学で教育を受けながら、それを社会に還元しないなんておかしいという意見もありそうですが、学問を何かのためにするという発想自体が、学問の否定です。

勉強は勉強が好きな人たちが勝手にするものであって、そういう人たちが結果として社会を大きく発展させるから、多額の税金が投入されているだけです。

勉強は社会貢献するためにするものだなんて言ってしまうと、それこそ、社会に貢献しない勉強は認めないなんて言う、恐怖政治につながる発想となり、憲法がなぜ学問の自由なんてものをわざわざ保障しているのわからなくなります。

また、仮に何かのために勉強することを認めるとしても、専業主婦になることイコールもう働かないとか、社会で活躍しない、みたいな雰囲気になっている日本社会がおかしいのであって、専業主婦を経由して起業する人なんて海外ではたくさんいますし(たぶん)、日本でも、専業主婦体験を通じてさらに知見を深めて、それを社会に還元して世の中を豊かにする人がたくさん出てきてほしいものです。

結局スティーブジョブズじゃないですが、目の前の好きなことを一生懸命やってる限り、なにも無駄ではないということでしょうか。

まさに、Connecting the Dotsですね。

久しぶりに見ましたが、いいこと言いますね。