教育のジニ係数


ジニ係数とは、所得分配の不平等さの指標です。

はじめに

最近読んだ本の中で、かなり感心したものに、アラン・グリーンスパンの「リスク、人間の本性、経済予測の未来」という著作があります。

今さら、グリーンスパンは頭が良いなんて言ったら笑われそうですが、全編を通して見られる、データに基づいて丁寧に考えていこうとする姿勢に素直に感心しました。やっぱり頭良い人は違うなと心の底から思いました。

いわゆる自由主義者と呼ばれる人ですから、もしかしたら時代遅れの人というレッテルが正しいのかもしれませんが、どの章も非常に示唆に富んでおり、時々読み返そうと思っています。

やはり、是非はともかく合理主義者の言い分に説得力があるのは間違いないです。

リーマンショックのような事態が起きた時に、従来の経済学は間違っていた!、新しい経済学が必要だ!と大騒ぎする人は多く、自分はそっち側なのですが、リーマンショックへの自分の寄与はどこ吹く風で、リーマンショックで従来のモデルの欠点が補えた的な姿勢は、自由主義者なりの信念にあふれていて、感心します。

教育のジニ係数

さて、この本の第11章は、グローバリゼーションや所得格差に関して分析しています。

そして、タイトルのような、教育のジニ係数という、小見出しで始まる一節があります。

教育のジニ係数なんていうから、なんとなく教育格差の話かと思いきや、本当にジニ係数の話、つまり所得格差の話をします。

元々、教育は地元密着型で行われており、教師の給料も、教師一人が、生徒数十人、多くても数百人を教える前提で決められてきた。しかし、IT化、グローバル化により、カリスマ教師がオンライン講義で数千人を教える時代が来ているという話です。

その結果、教育者の中にも超高額所得者が出てくるだろうと予想しています。

これはそうなんでしょうね。

東進ハイスクールじゃないですが、オンライン講義が普及すれば、なにも決められた教室に行く必要なんてありませんから、教師の競争が全国レベルで始まって、各科目一人とまではいかないにしても、教師界の淘汰が始まるのでしょうね。

教師の質の重要性は言わずもがなですから、地元密着型の塾などはかなり淘汰されて、家でカリスマ講師のオンライン講義を好きな時間に聞くだけという時代が来るのでしょう。というか来てるのかな、もう。

資本主義的に考える

そして、よくよく考えてみると、これぞ資本主義ですね。この現象から見えてくるのは、資本主義の帰結そのものです。

まず、教師の競争が激化して、良い教師が生き残り、教えるのが下手な教師が淘汰されます。もちろん、人気講師=良い教師ではないという考えもありそうですが、話をしだすときりがないので、競争の結果は妥当だとします。

これは、教師にとってはたまったもんではなくて、人気講師とそうでない講師の差がはっきりして、教師間で格差が拡大します。それどころか、教師一人当たりの生徒数が増えれば、必要な教師の数は必然的に下がるはずですから、大量の失業者を生む事態になります。

しかし、生徒側にとってはどうでしょうか。

生徒側からすると、誰もが良質なオンライン講義を受けられるので、生徒全体の教育レベルが上がるということになりそうです。

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もちろん、人気講師の料金が上がれば、誰もがその講義を受けられるわけではなくなりますが、生徒数×料金が最大化するように行動するとすれば、妥当な料金に落ち着くはずです。

そう考えると、オンライン講義により、全国レベルの教師の競争が始まるのは、教育レベルを上げるためにはよいことになります。少なくとも、教育の地方格差なんてものはだいぶなくなって、本当に機会の平等の下の、全国レベルの競争が始まります。

資本主義の現在

相変わらずイントロダクションが長くて申し訳ないですが、ここからが話の本題です。今更アダムスミスの話をしたいわけではありません。

次に困るのは学校側です。

昔は、どんなに教師が優秀でも、学校というインフラがなければ、活動できないわけですから、教師は学校に囲われる側でした。学校あっての教師であり、人気予備校講師の給料はかなり高いと聞いたことがありますが、そうはいっても、予備校側が決めているはずです。

しかし、オンライン講義の配信なんて誰でも簡単にできますから、今後は圧倒的に人気講師の力が強くなって、学校の力は弱くなります。

給料が不満なら、上げてくれと言えばよくて、それを学校側が断ろうものなら、辞めて他の学校に行くどころか、自分で初めてしまえばよいわけです。インフラ投資がいらないわけですから、お金なんてなくても簡単にできます。

(余談ですが、講義データの知的財産権をタックスヘイヴンに作ったペーパーカンパニーに譲渡して、その国のサーバーから配信すればだいぶ節税できそうですね。にわかタックスヘイヴン4参照)

人気講師の給料はどんどん上がっていくはずです。教師の質こそが教育業界にとって一番重要な要素だからです。

これが、現代資本主義であり、所得格差の本質です。

所得格差の本質は、お金の力が弱まったことにあるのだと思います。

つい最近までは、お金の力が強い、つまり、お金持ちが強く、物言う株主とか言う、金はあるが特に才能のない連中がでかい顔してました。そして、株主が経営を監視するなんていう、アメリカ型の株主主権論が一世を風靡していました。

もちろん、お金がなければ始まらない業種もたくさんありますし、あくまで相対的な話ですが、今の時代、製造業を含め生き残るのに必要なのは多額の投資ではなく、他者との違いを生み出す才能です。

才能ある人がいなければ、いくらお金なんかあってもどうしようもありませんし、その逆に才能があれば、お金はそこまで必要ではありません。

どこの株主が、アップルやグーグルやフェイスブックの役員に、お前ら給料高すぎだ、金を出しているのは自分たちだ、などと強気で文句つけられるでしょうか。

世界中でカネ余りのなか、膨大なお金が世界中を駆け巡っていて、何故かというと、世の中の人々に欲しいものがたくさんあって適当に設備投資すれば金儲けできる時代がとっくに終わっており、運用先がないからです。

そんな中、ごく少数の、革新的で時代の先を読める天才たちに頼る以外にありません。かなり極論ですが、株主からしたら、お金を出すだけで何のお役にも立てませんが、少しでも分け前をいただけると幸いです、という時代になりつつあります。

所得格差といっても、高額所得者と貧困層の問題は分けた方がよさそうで、才能ある人が超高額所得者になっていくのは、止められない流れのようなが気がします。

ピケティとかいう人が、お金持ちがますますお金持ちになっていくと言っていましたが、お金がお金を生む力は弱まっているような気がします。